第434話 塔と学院、一家の混乱
「……それで、一体どういう事情なのかな?」
穏やかな口調でそう言ったのは、フェリシーの父親であるというリオであった。
フェリシーの母親は、レノラ、という。
先ほどお互いに自己紹介したのだ。
オーグリーは自分について、依頼を片づけるために村に来た冒険者だ、と話してある。
「お父さん……何か、勘違いしてるでしょ!」
と、フェリシーがまず言ったが、しかし、リオはそれに対し視線を少しやるだけで返答しない。
表情や雰囲気はひどく穏やかだが、腹に据えかねるものがあるらしい。
それを必死で抑えている、と。
これは完全に誤解されているな、と察したオーグリーは、出来るだけ早いところその辺りをはっきりさせておくことにする。
フェリシーは父親に自分の言葉を流されたので、さらに言い募ろうとしたが、オーグリーは彼女の肩をぽん、と叩き、それから視線を合わせて来たフェリシーに頷いて、任せてくれ、と伝えた。
その仕草にさえ、リオは何か思うところがあったようで、銀級冒険者であるオーグリーにしか分からないほどであるが、僅かに握った拳に力が入った。
この状況を考えると、明らかにオーグリーがフェリシーに近づいた馬の骨にしか見えないだろうに、しっかりと感情を抑え、まずは言い分を聞こうとしている辺り、しっかりとした人物なのだと感じた。
これなら、普通に対話すれば問題ないだろうと。
そう思ってオーグリーは口を開く。
「先ほども申し上げましたが、このような時間にフェリシーが帰宅したことについて、彼女に責任はないのです」
その言い方は、普段のようにおどけたものではなく、非常に誠実で、しっかりとした口調のものだった。
普段は意識的に軽い態度をとっているのであって、やろうと思えばこのようなことも出来る。
銀級となると、貴族からの依頼も出てくるし、地方に行けばパーティーに呼ばれることなどもある。
最低限の振る舞いは身に付けておく必要があるのだ。
それでもそんなものはいらない、自分は貴族の依頼など受けない、と冒険者然とした態度をいつだって崩さない者もいるが、オーグリーにそういう拘りは特になかった。
必要とあらば、自分の良心を裏切らない限りどんなこともする。
それが、オーグリー・アルズという男だった。
「……では、誰に責任があるのかな?」
よっぽど、お前に責任があるんだな、よし、顔を貸せ、と言いたいだろうに中立的な物言いである。
非常に助かるな、と思い、オーグリーは続ける。
「強いて言うなら、今回の出来事の首謀者、ということになるでしょうか……。詳しく説明いたしますと……」
それから、オーグリーは今夜起こったことの顛末をリオに語った。
オーグリーの口から、娘をどうやってか誑かした男のどんな言い訳が出てくるのかと身構えていたであろうリオは、その内容に別の意味で驚愕する。
普段は何も変わったことなど起こらない集落で、何者かの恐るべき計画が進んでおり、その駒として自分の娘が利用された、しかもかなり危険な立場で、という事実は、リオにとっては晴天の霹靂だった。
慌てて立ち上がり、ふらふらとよろめき、そしてもう一度椅子に腰を掛けた。
それから、ゆっくりと深呼吸をして、オーグリーに言う。
「……それは、本当なのですか……?」
そう言ったリオの口調は先ほどまでの、ある意味で確信に満ちていたものとは全く違ってしまっていた。
不安や驚き、そして申し訳なさまで混じったその声に、オーグリーは返答する。
「流石に、あったことをなかった、と言うことはできません。これについては本当にあった、としか申し上げられません。おそらく、ここは村はずれのようですから、村の方々からまだ情報が入っていないのだと思いますが、明日になればその話で持ちきりになるかと……」
「……そうですか。そのようなことで、嘘をつかれる理由はオーグリーさんにはないでしょうからな……本当、で間違いないのでしょう。なんてことだ……しかし、お願いがございます」
リオが決意の籠もった眼でそう言ったので、オーグリーは首を傾げ、
「……なんでしょうか?」
そう尋ねると、リオは言った。
「……フェリシーについては、どうかお許しを。私の出来ることであれば、どのようなことでも致しますので。もしも命をもって償え、というのであれば、私が……!!」
これに、妻のレノラが、
「あなた! そんな……」
と声を上げ、
「レノラ……フェリシーのことは……」
とリオが目に涙を浮かべつつ妻の肩に手を置いた。
リオは、オーグリーがフェリシーに襲われたことについて、実家に賠償なりなんなりの責任を追及しに来たのだ、と思ったらしい。
もちろん、オーグリーとしてはそんなつもりはない。
確かに、今回のような場合に、そのようなことをするであろう冒険者は少なからず存在するのは確かだが、オーグリーはそうではないのだ。
オーグリーはこれはまずいな、と思い慌てて口を開く。
「いえ! それについては問題ありません! フェリシーとは話がついておりますので!」
しかしこの言葉の選択もよくなかった。
リオはフェリシーに、
「フェリシー……! お前にはまだ未来がある! 考えなしな選択はやめなさい!」
と説得にかかった。
だから……違うんだ……そうじゃないんだ……。
と、オーグリーは言いたくてたまらなかったが、よくよく考えてみれば仕方のない成行きだったのかもしれない。
冒険者とは、恐るべき武力の塊だ。
一般的な村人それぞれ武器を持って束になったところでまるで敵わない。
そういう存在なのである。
何か無茶な要求をしてきたら、断ることも難しい。
そんなものが唐突にこうしてやってきた。
しかも、娘がどんな理由があったにせよ、殺そうとしたという事実まで持ってきて。
慌て、正常な判断力を失っても仕方がない。
そもそも、これが無茶な推測だと言うのならともかく、そういう冒険者も実際にいる。
そこのところをもっとよく考えてから話の展開を考えるべきだったな、と。
ともかく、そこからオーグリーはこの場を落ち着かせるためにまず頑張ることにしたのだった。
◇◆◇◆◇
数十分経ち。
「……なんだ、そうでしたか……! それならば、早くそう言っていただければ……! 寿命が縮みましたぞ」
ほっとした笑顔を浮かべるリオがそこにはいた。
「お父さん……だから話を聞いてって言ったじゃない……」
「いや、すまない。こんなこと初めてで、動転してしまってな……せめて家族だけは守らねばと……」
そんなリオに、オーグリーは言う。
「分かってもらえてよかったです。ともかく、事情を説明に上がっただけですので、何かを要求するつもりはありませんよ。ただ、身の回りにはしばらく気を付けてください」
それも伝えたかったことだ。
まだ一人、居場所や行動が掴みかねている人物がいる。
何が起こるかわからないのだ。
ただ、その点についてはっきり言う訳にもいかず、こういう曖昧な言い方になってしまっているのは申し訳なく思う。
これにリオは頷いて、
「ええ、そのように……。オーグリーさん」
「はい?」
じゃあそろそろ帰るか、と思っていたところで名前を呼ばれて、オーグリーは首を傾げる。
リオは言う。
「今回は本当にありがとうございました。お話を聞く限り……フェリシーは殺されてもおかしくなかった。そうですな?」
「いえ、そんなことは……」
ないとは言えない、というのが正直な話だ。
命の危険があったら、オーグリーでもそうしただろうし、短気な冒険者なら間違いなくそうした。
そんなことを考えていることが伝わったのか、リオは深く頭を下げ、
「本当にありがとうございます、オーグリーさん。娘の命を助けていただいて……本当に」
そう言った。
オーグリーはこれに首を横に振り、
「いえ……そんな。頭を上げてください」
そう言ったのだが、リオは頭を上げなかった。
それどころか、そこにレノラも加わり、フェリシーも改めてオーグリーだったからこそ命が助かったのだと言う事実を理解し、頭を下げだす。
こんなことのために来たわけではなく、またそもそもの発端は自分たちにあることを分かっているオーグリーは極めて居心地が悪く、早く頭を上げてくれ、と言い続ける羽目になった。
そして、しばらく経ち、彼らが頭を上げたところで、じゃあ、夜も遅いので、と辞去すべく立ち上がると、リオが言った。
「何かありましたら、どんなことでも言ってください。ただの村人ですので、出来ることはあまりないですが……可能な限りのことは致しますので」
「はは。本当に何もしなくても大丈夫ですよ。では」
そう言って微笑み、オーグリーは去っていく。
そんなオーグリーの背を、リオ一家は見つめていた。
オーグリーの姿が見えなくなったところで、リオはフェリシーに言う。
「……運がよかったな。お前が襲ったのが、立派な冒険者の方で」
「……そうね。銀級冒険者なんだって。オーグリーさん」
「ぎ、銀級!? それは……すごいな」
銀級冒険者というものは、村人からするとほぼ化け物としか言いようがない存在である。
オーグリーはそこまでには見えなかった、ということだ。
「私が死角から刺そうとナイフを振るったのに、無傷で取り押さえたんですって」
「……いくら若い娘とは言え、流石銀級だな……。フェリシー、本当にお前が襲ったのがオーグリーさんでよかったよ。何か礼が出来ればよかったんだが、あのような冒険者の方は我々が持っているようなものはすべて簡単に買えてしまうしな。どうしたものか……」
これに、妻のレノラが、
「村を出るときにお弁当を作ってあげるくらいしか浮かばないわ……」
というと、リオは同意し、
「ほう、それは悪くないかもしれんな。保存食ばかりだろうし……よし、そうしよう」
そう言って、家に戻っていく。
フェリシーも二人を追ったが、その中で考える。
「……お礼、か。そうね……それなら」
そう言って家の扉を開く。
中に入ると暖かな空気が満ちていて、今日は良く眠れそうな気がした。
寝坊はするわけにはいかないな、と思いながら。