第433話 塔と学院、父の誤解
ざくざくと道を歩く。
フェリシーの家への帰路をだ。
宿を出てから、なんとなくフェリシーが少し考え込むように無言になってしまったので、あえて静かにしていたのだが、流石にそろそろいいかな、と考え、オーグリー・アルズは口を開く。
「……さっきから何を考えているんだい?」
するとフェリシーは、はっとして答える。
「あぁ、いえ、すみません。退屈でしたよね……」
慌てて視線をオーグリーに向け、手をあわあわと振るその仕草は非常に素朴で、王都の町娘には中々出来ないのも微笑ましい。
田舎国家とは言え、ヤーランの王都もそこそこの都会だ。
男女の機微に関する権謀術数については男よりも女の方が長けている。
そして、男の方が主導権を握っていると思ったらいつの間にか操られていることなどザラなのだ。
恐ろしいことである。
まぁ、男の側が腕力を使い始めたらその限りではないだろうが、王都にはそこそこマナーのいい冒険者も少なからずいるし、そもそも実力ある騎士もいる。
治安を乱すような行動に出れば誰にどんな目に遭わされるかはわかったものではなく、正攻法で頑張るしかない。
なので、王都には広場でナンパする光景をかなり頻繁に見るわけだが、女の方もかなり慣れていて、すげなく振っている姿をよく見るわけだ。
フェリシーがああいうところに行ったら、一時間も経たずにどこかに連れていかれてしまうことだろう。
……いや。
オーグリーたち冒険者と相対しても、一歩も引かずに頑固に自分の持つ情報は教えない、と主張できる度胸を見ると、反対に梃子でもナンパには引っかからない可能性の方が高いのかもしれないな。
そこまで考えて、オーグリーはフェリシーに言う。
「いや、そんなことはないよ。今日の夜は非常にわくわくするものだったくらいだ。こんなに面白いことはあんまりない」
「面白い、ですか?」
オーグリーの台詞があまりにも予想外だったのか、フェリシーは目を見開いて尋ねる。
オーグリーはこれに頷いて答えた。
「そうさ。王都で、ただ日銭を稼ぐため、もしくは冒険者ランクを上げるためのポイント稼ぎのため、そういうことだけのために依頼を受けていると、結構退屈なんだよ。簡単だ、とか楽勝だ、とかは流石にいうつもりはないんだけど……代わり映えがしないっていうのかな。似たような依頼ばかりで、いっつも何か面白いことはないかなって考えてしまうくらいさ」
これは事実だ。
しかしある程度は仕方のない話でもある。
なにせ、冒険者の仕事は、依頼人からの依頼を片づけることだ。
つまり、需要が最初にあってこそ、仕事の依頼があるわけで、需要のある依頼とは、たとえば特定の薬草の探索とか、食材の採取とか、武具や道具の素材の確保など、王都で毎日消費される物品の収集が大半なのだ。
それは銀級だからと言って異なるわけでもない。
もちろん、毎日環境は異なるし、そのための準備も違ってくる。
時期が変われば魔物の分布にも変化があるし、そういう諸々を考えながら依頼を片づけるのは一般人が思っているよりもかなりの手間であり、難儀な仕事である。
それを毎日のように行うのは、そう簡単な仕事ではないし、達成できた時にはそれなりの感慨もある。
だから、不満、というほど大きな負の感情を抱えているわけでもない。
ただ、それでも、毎日似たような仕事が続いた時は、何か面白いことはないかな、と思ってしまうのも事実だった。
オーグリーのもともとの気質が、退屈をとにかく好まないということも大きく影響しているだろう。
銀級に上がった冒険者は、このランクで十年も地道に努力すれば一生働かなくても十分に暮らしていけるくらいの貯金も出来る。
だから、特に上を目指すことなく、こつこつとまさに同じような、しかし報酬の可能な限り高い依頼を受け続け、そして怪我の危険を冒すことなくひっそりと引退していく、なんていう者も珍しくない。
そしてそれは本来なら、賢く正しいやり方なのだ。
銀級よりも上、金級や白金、神銀級などを目指す冒険者は、ある意味で頭のネジが二、三本飛んでいる者しかいない。
報酬ではなく、スリルや興奮を求める、退屈で幸福な日常よりも、危険で死の危険と隣り合わせの冒険を望む、そういう馬鹿だ。
オーグリーは間違いなく、馬鹿の方に属する。
レントも……おそらくは、ロレーヌも。
そんなオーグリーにとって、一時の通過点とは言え、点数稼ぎだけの依頼遂行は退屈なものだった、ということだ。
そんな話をかみ砕いてフェリシーに言えば、フェリシーは、
「私は危なくなくて、毎日食べるのに苦労しないくらいの生活の方が魅力的に思えます」
と当たり前のことを言った。
そう、それが当たり前、当然の話だ。
その当たり前に馴染めない人間が、冒険者となり、そして確信を強めて邁進していく奴が、上に上がっていく。
冒険者ランクはその冒険者の実力を表す指標であるとともに、どれだけ愚かなのかを示す証でもある。
そこまではっきりと、まさにその冒険者たちに言えば文句を言われるだろうが、文句を言いつつも、誰もがその通りである、と心のどこかで認め、苦笑するに違いなかった。
「僕もそう思えればよかったんだけどね。それが出来なくて……故郷から飛び出してきてしまったよ。与えられたものに満足して、安穏となんてしていられなかった」
この言葉を聞いて、フェリシーはオーグリーの出自をなんとなく想像したようだ。
「もしかして、オーグリーさんのおうちって、お金持ちだったりしますか?」
これが王都の若い女性の口から出れば、財産を目当てにしての質問かどうかの判断が必要になってくる。
しかしフェリシーの声にはそんな色はなく、ただの興味からであることは簡単に分かった。
オーグリーは身構えることなく、素直に答える。
「まぁね。それこそ、何にもしないで一生暮らしていけるくらいには財産があったんじゃないかな」
「それを捨てて、冒険者になったんですね……」
「そうだよ。でも、今でもそれは後悔していないよ。こうして楽しい日々を送れているんだから。レントたちといると退屈しないんだよ。今回みたいなことが次から次へと起こるんだからね」
「村娘にナイフで襲われたり、ですか?」
「そうそう……ってそれは何度もあったら困るけどね」
そう言ってオーグリーが肩を竦めて微笑むと、フェリシーも笑顔を返してきた。
どうやら、冗談を言う余裕も出てきたようだった。
オーグリーはそれに安心する。
それから、
「あ、あれが私の家ですよ」
とフェリシーが指さしたので、二人はその家に向かって足を速める。
村の中でも少し外れの方に建っていて、辺りには人の気配はない。
オーグリーは送って来てよかったと思った。
足を速めたのはもちろん、フェリシーの両親に一分たりとも余計な心配をかけたくない、そう思ってのことだった。
◇◆◇◆◇
しかし。
「……フェリシー! お前……こんな夜遅くに一体どこに……!!」
家につくと同時に、家の前に立っていた男がそう言ってフェリシーにかけよった。
見れば、その隣にはフェリシーがそのまま年齢を重ねた、という感じのご婦人もいる。
おそらくは、この二人がフェリシーのご両親なのだろう。
そう思って、オーグリーが口を開く。
「初めまして。フェリシーのご両親ですね? まずは、お二人とも、申し訳ありません。フェリシーは悪くないのです。色々と込み入った事情がありまして……」
オーグリーが流暢にそう話し出すと、どことなくうさんくさく見えたのかもしれない。
フェリシーの父親らしき男の視線がオーグリーにちらり、と向けられる。
外面的には普通の視線だった。特に失礼なものでも、また非難するものでもなさそうに見える。
しかし、オーグリーにはなんとなく分かった。
これは、娘を夜に連れて行った者を糾弾しようとする男の視線だな、と。