第427話 塔と学院、捕獲
「……宿の亭主は……」
とりあえず、何も言わずに宿を出て何か変な疑いをかけられるのも困る。
俺は宿の亭主を探す。
こういった田舎の村に都会から冒険者が来た場合、羽目を外し過ぎたり、こういう夜中に出て行って村の若い娘を襲う、などという不埒な輩がいることも少なくない。
あとでそういう疑いをかけられないように、一言断ってから出ようと思ったのだ。
しかし……。
「……いないな?」
入るとき、宿の入り口にあるカウンターにいたはずの宿の亭主がそこにはいなかった。
夜中とは言え、大体が家族経営のこういう宿は、客がいるときは順番にそこについているものだ。
一年中、毎日そうしていなければならない、というのであれば辛いだろうが、週に一度か二度、客が来ればそれでいいくらいの商売をしているのだ。
その程度であれば問題ない。
サービスという部分のみならず、夜中に起きていないで、何か盗まれたり、そろそろと客に出ていかれて料金を踏み倒されても困る、という現実的な危険を避ける意味がある。
「おかしいね。寝ちゃったのかな……ッ!?」
首を傾げながら、カウンターの奥を覗いたオーグリー。
しかし、その瞬間、上の方から何かが振り下ろされる気配がして、慌てて首を引っ込める。
それから剣を抜いて構えた。
俺もそれに続く。
「一体何が……って、おいおい」
見れば、カウンターの向こう側には、鉈を手にした宿の亭主がいた。
こちらを睨みつけるその目は、およそ普通ではない。
血走っているし、口元もだらしなくよだれを垂らしており、まるで獣のようだった。
「これは……やっぱり、そういうことなんだろうね?」
オーグリーがそう言った。
そういうこと、の意味は簡単だ。
《セイレーン》によるものだろう、ということである。
俺は頷くが、とりあえず、言っておく。
「殺すのは無しだぞ」
「もちろん……おっと!」
いつの間にかカウンターを乗り越えて来た亭主は、おそらく、本来は薪を割る用途なのであろう鉈を力いっぱい振り上げながらこっちへと加速していた。
人間らしさのない動きであり、なんとなく動きが予測しにくい。
かといって攻撃を当てられないと言う訳でもなさそうだが、可能な限り無傷で、と考えるといきなり剣で切り付けるわけにもいかず、オーグリーはその鉈の一撃を一旦、自らの剣で受ける。
「……意外と力があるね? まぁ……それでも冒険者と比べれば大したことないんだけど、さッ!」
そう言って、がきぃん、と鉈を弾き返し、それから亭主の懐に入り込んだオーグリー。
そのまま、その腹部目がけて剣の柄を抉り込むように叩き込んだ。
すると、
「ぐあぁっ……」
という、唸り声のような声を上げ、宿の亭主は白目を剥き、倒れたのだった。
オーグリーはしっかりと意識を失っていることを近づいて確認し、それから口を開く。
「……驚いたね?」
「まぁ、な。だが想定していなかったわけじゃない」
「そうだね……こうなると、宿の外もどうなっているか……」
「あんまり考えたくはないけど、な……」
お互いに嫌な予感がばりばりとし過ぎて、顔を見合わせてため息を吐く。
しかし、外に出ない、という選択肢もないだろう。
宿の亭主については、とりあえずその場に放置して、俺たちは外に出る。
宿の亭主も口封じに、という危険はなくはないだろうが、こうなってくるとその可能性は低そうに思えたからだ。
もちろん、絶対ではないが。
◇◆◇◆◇
「……やっぱりこういうことになるんだね」
「みたいだな……」
宿の外に出ると、見たくない光景がそこには広がっていて俺たちは頭を抱えたい気分になる。
十人ほどの村人が、俺たちを囲んでいたのだ。
村人全員が……なんて冗談交じりで話していたが、こうなってくるとそれも冗談では済まないのかもしれないという気になってくる。
いや、そうでもないのかな?
十人というのはいくらこの村が小さな田舎の集落だからと言っても、全員というには少なすぎる。
そこまで深刻な事態、というわけでもないのかもしれない。
そもそも、所詮、村人しかいないわけで……流石に俺が銅級であると言っても大した相手にはならない。
魔物になる前だって、おそらくはこれくらいなら普通に相手に出来た、と思う。
だから、次の瞬間、タイミングを合わせたように飛び掛かって来た十人ほどの村人たちを、俺たちはそれほどの苦労もなく捌くことが出来た。
一人ずつ、怪我を負わせないように丁寧に気絶させていく俺たち。
そして、最後の一人になったところで、
「がぁぁぁぁ……!!!」
「なっ……! まずい!」
追い詰められたからか、手に持ったナイフを、自分の首筋に向けて振るおうとしたので、俺はそのナイフを弾き、そしてその男を気絶させた。
他の者たちもそうしないとは限らないので、一応、その意識の有無はオーグリーと共にしっかりと確認してから、俺たちはほっと息を吐く。
「……危なかったね。まさか死のうとするとは」
オーグリーの言葉に、俺は頷く。
「あれも自分の意志じゃないだろうな……しかし、とんでもないことをしてくれるもんだ。死なれたらかなり困るぞ」
どこまで困るか、と言えば現実的にはそこまでではないのかもしれない。
しかし、村人には通常、冒険者に対する対抗力なんてない。
今回のような場合、よくよく国の方で調査がなされる可能性もあり、そうなると俺たちは最悪捕まってしまうかもしれない。
もちろん、俺たちはいきなり襲い掛かられたので、と言えはする。
言えはするが……。
そこまで考えて、ふと思う。
「……それが狙いだったのかもな」
「何がだい?」
「俺たちに、村人たちを傷つけさせるか、殺させるかして、国に捕まえさせる……ってことさ」
「あー……なるほどね。それはちょっとまずいかも」
オーグリーは俺の説に頷き、げんなりとした顔でそう言った。
もちろん、素直に俺たちを殺せればそれでよかったのだろうが、出来なくてもそういう方法に出ることが出来ると言う二段構えだ。
で、捕まって拘束されている無防備な俺たちを殺す、と。
結構巧妙なやり方かもしれなかった。
ただ、俺は捕まっても分化でいくらでも逃げられるけどな。
ロレーヌも逃げられそうだ。一応、魔力を乱れされる拘束具もあるが、そんなものがあると分かっているのに対抗手段を用意しない女ではない。
オーグリーは……無理かもな。
「こうなってくると、大体誰が黒幕か分かってきたような気もするね」
「そうだな……王女のところに行ったのが良くなかったな」
そんな話を小声でしながら、村に他に何か異変がないか、歩いていると、オーグリーが突然、鼻をすん、と鳴らした。
それから、
「……あぁ、思い出した! レント、ちょっと待ってて! 行ってくる」
そう言って、唐突にどこかに向かって走り出す。
一体何が……と思ったが止める暇もなかった。
その足の速さは流石銀級である。
いや、別に追いかけっことかが仕事ではないのだけどな、銀級。
ただ、あまりにも強い魔物に出遭ってしまったときに生き残る方法として、足の速さというのは重要なのは確かであり、足の速い冒険者が高ランクに多いのは事実だった。
ともあれ、待ってろと言われたからには待ってるか……。
そう思ってぼんやりと突っ立っていることにした俺。
村のど真ん中で、ぼんやりと立ち続ける骸骨仮面と黒ローブの男……。
怪しすぎるな、と思いながら。
それからしばらくして……。
「レント! お待たせ」
そう言って、オーグリーが帰ってくる。
「……お前、一体どこ行ってたんだ? というか……そいつは?」
見れば、オーグリーの小脇に一人の女性が抱えられていた。
地味な格好だが、だいぶ妖艶な容姿の美女だった。
「たぶんだけど、《セイレーン》じゃないかな」
オーグリーの答えに俺が度肝を抜かれたのは言うまでもない。