第422話 塔と学院、訪問者
――コンコン。
と、扉が叩かれる音がして、オーグリーは目が覚めた。
……いや、少し前から目は覚めていた、という方が正確だろう。
何者かの気配がオーグリーの部屋に近づいていることを察したとき、すでに自然と意識は覚醒していた。
そうでなければ銀級冒険者などやっていられない。
銅級試験も中々に厳しいものだったが、銀級の試験はさらに厳しい。
一緒に迷宮を探索していたはずの仲間が闇討ちしてくることもあったほどだ。
これくらいのことが出来なければ、このランクになることは出来なかった。
中にはすべて真正面から打ち破る豪の者もいたが、オーグリーはそういうことを好むタイプではない。
しっかりと準備して、まさに銀級試験が想定している“正攻法”でもってそれをクリアした。
それに比べれば、これくらいはっきりした気配を撒き散らして近づいてくる者に、気づかないはずなどなかった。
オーグリーはベッドから起き上がり、叩かれた扉に近づく。
窓の外をちらりと見るに、まだ暗く、太陽が昇る気配はない。
時刻は夜中。
こんな時間帯に誰かが尋ねてくるとして、とてもまともな相手とは考えられなかった。
十分に警戒し、オーグリーは扉の外に向かって口を開いた。
「……どちら様かな?」
可能な限り、穏やかな声を出したつもりだった。
実際、誰が聞いてもそのように響いたことは間違いないだろう。
ただ、レントなら違和感を覚えたかもしれない。
オーグリー、お前、もしかして何か緊張しているのか?とか聞いてくる気がする。
いつもぼんやりしているようで、そしておちゃらけたことばかり考えているようでいて、常に周囲を目敏く観察している。
レントはそういう人間であることを、オーグリーは知っている。
ただ、扉の向こうにいるのはレントではない。
実際、特に不審そうな気配はなく、ただ、少し緊張した気配を向こうが漂わせながらオーグリーの誰何に答えた。
「……あの、私、フェリシーです……覚えて、おられますか……?」
それは少女の声だった。
といっても、その容姿を思い出すに、十七、八、というところだったから少女と呼ぶのは失礼かもしれない。
十分に結婚適齢期であるし、こんな田舎村であればもう二、三年、年若くともどこかの奥方だと言うことも普通だ。
オーグリーからすると馴染めない感覚だが、郷に入っては郷に従えという。
しっかりとした女性として扱わなければいけない年齢だな、と考えを改めつつ、答えた。
「酒場で話した子だね。僕はほとんど話さなかったけど……何か用かい? 飛竜のことで何か話があるのなら、他の二人も呼んでくるけど」
もちろん、オーグリーは彼女のことを覚えていた。
彼女が、あの、ペトレーマ湖について詳しい、と酒場の店主が話していた女性であることを。
また、ロレーヌとの会話から察するに、飛竜についても何かしら重要な知識を知っているだろうということも。
結果的にロレーヌが優しく聞いても答えてくれなかったわけで、あのかたくなな態度を崩すのは流石に無理だろうなと諦めていたが、何か気が変わったのか、こうして訪ねてきてくれたようだ。
となれば、みんなで話を聞く方がいいだろう、と思っての提案だったが、フェリシーは言う。
「いえ、あの……私、オーグリーさんだけにお話したくて……この扉を、開けてくれませんか?」
そんな風に。
――なるほど、つまり、僕に惚れたと言うことかな?
と即座に納得できるほどおめでたい頭をしているわけでもない。
確かに地方の村に行けば、冒険者は比較的モテる。
一般的な職業と比べて実入りは比較にならないくらいいいし、多少の危険があってもその腕一本で蹴散らせるだけの能力を、たとえ銅級冒険者であっても持っているからだ。
冒険者は、村の女性にとってはかなりいい結婚相手、と言える。
もちろん、荒くれ者が多く、すぐ死ぬ可能性もある、ということを考えると尻込みする女性も大勢いるので、そこは行ける女性と絶対に無理と断言する女性とにはっきりと二分されるのだが、フェリシーが大丈夫な方に分類される女性だった、という可能性はなくもない。
しかし……いくら何でもこのタイミングというのはな、とも思う。
まぁ、ロレーヌと、レントと、オーグリー。
この三人の冒険者を見て、唾を付けておこう、と考えるなら明らかにオーグリーを選ぶしかないと言うのは分かるが。
一人は女性、もう一人は骸骨仮面の変な男、となればオーグリーしか選びようがない。
そのオーグリーも孔雀みたいな派手な男であることを考えると、それを選ぶセンスもどうなのかなという気もするが、冒険者というのは大抵が変わり者だ。
細かいことは気にしても仕方がない、という判断もあるかもしれない……。
などなどと、益体もないことを考えつつも、とりあえずは扉を開けないと話は進まないな、と思い、オーグリーは扉のノブに手をかけた。
ぐるり、と回るノブ。
ゆっくりと開く扉。
そして、開いた扉の向こう側にいたのは、
「……あの、すみません……」
確かに、酒場で見た、フェリシーだった。
「いや、構わないよ。何か重要な話があるんだろう? とりあえず、入って」
そう言ったオーグリーにフェリシーは頬を染めつつ頷いて、静かに部屋に入って来たのだった。
◆◇◆◇◆
部屋に通すと、フェリシーはオーグリーがたった今の今まで眠っていたベッドに腰かける。
ふぅ、とため息を軽くつく姿は、普通の男が見れば、妙に色気が感じられるものだった。
また、服装も……。
「……フェリシー。今の君は、酒場にいたときとは随分と雰囲気が違うね……?」
「そ、そうですか? あの……どう、見えますか?」
オーグリーを上目遣いで見つめつつ、そう尋ねるフェリシーの姿は、やはり可愛らしい、のだろうなとオーグリーは思う。
そこまで豊かではない村で育った少女らしく、さほどメリハリの利いた体型というわけではないにしろ、十分に大人の女性と認識できる姿だ。
それが今、かなり煽情的な格好で男の眠っていたベッドに座っている。
この状況が何を意味するか、分からない者はいないだろう。
酒場にいたときは野暮ったい、麻の服だったが、今は王都にいても十分に通用しそうなものだ。
腕や肩が広く露出されていて、ともすれば品がない、と言われかねないが、こういう時間帯に、このような場所でなら十分にありなのかもしれなかった。
「……そうだね。この村のどんな男が見ても、かなり、魅力的、と言うんだろうなと思うよ。フェリシー。素敵な格好だね」
オーグリーの言葉にフェリシーは嬉しそうにじんわりと微笑み、ベッドから立ち上がって、距離を詰めてくる。
「本当ですか……!? 良かった。少し不安だったんです。はしたないって、言われるんじゃないかと思って……」
それから、オーグリーに寄りかかり、腕を後ろに回した。
軽く腰にかかる力が、フェリシーが華奢な女性であることを感じさせる。
「はしたない? どうしてそんなことを言われると思ったのさ……?」
オーグリーが尋ねると、フェリシーはやはり、オーグリーを上目づかいで覗き込むように見て、
「だって……私……」
すっと、フェリシーの片手がオーグリーの腰から離された。
そして、
「これから、酷いことを、貴方にしてしまうから」