第419話 塔と学院、ルーザ村
「旦那方。やっとですが、着きましたぜ」
馬車で道を戻り、そこから正しいルートに戻ってしばらく。
このまま、また訳の分からないところに連れていかれる可能性もないではなかったが、今回はしっかりと目的地までの道を進んでくれたらしく、ルーザ村に辿り着いたようだ。
ヤツールも気のいい、普通の行商人然とした様子で、何かを仕掛けてくる感じもない。
彼の《ゴブリン》としての手のうちはすべて、出し終わったと言うことなのだろうか。
まぁ、ホブゴブリンをたくさん仕向けられたし、薬でもって眠らされそうになったりもしたし、それ以上は怪しまれるからやめたということかもしれない。
こちらとしてはすでに相当怪しんでいるわけだが。
ちなみに俺には眠り薬は全く効かないわけだが、ロレーヌとオーグリーについても似たようなものだった。
ロレーヌは魔術でもって無毒化し、オーグリーもいそいそと何かやって無毒化したらしい。
オーグリーはどうやったのかは教えてくれなかったが、彼もしっかりと銀級冒険者だということだろう。
少々の絡め手くらいは、すぐに見抜いて叩き潰してしまう。
「あぁ、やっとか。でも、ちゃんと着けてよかったよ。一時はどうなるものかとやきもきしていたからな」
「旦那、そいつは言いっこなしですぜ……」
がっくりと来つつ、しかし申し訳なさそうな雰囲気を出しながらヤツールがそう言う。
これも演技なのだろうが、中々の役者であるように思える。
どこかの間者、なんて職業よりも劇場でそれこそ役者をやった方が向いているのではないだろうか?
見た目は二枚目ではないが、顔や雰囲気が独特だし、今はそうでもないが、昨夜、仲間と話していたときにがらっと変わったときには結構な存在感が感じられたし。
あとは発声とかだろうが、その辺はやってみてもらわないと分からないな。
「ははは。まぁ、ここまで来ればもう、大丈夫だろう。安心して休んでるから、ヤツールも御者仕事に集中してくれ」
「へぇ」
そう言って、ヤツールは幌を閉じ、しっかりと馬車を進める仕事だけに取り組み始めた。
と言っても、あとすることは宿をとって馬車を停めるだけだ。
そんなに気を張ってやらずとも問題ない。
「……思いの外、なにもなかったな?」
ヤツールが幌を閉じた後、ロレーヌがそう口を開く。
「そうだね。道の途中で何かあるかもとおもってたけど……これからってことなんだろうけどさ」
オーグリーが頷きつつも、気を緩めずにそう言った。
「村でか……宿泊してるときくらいはだらけていたいものだが、今回はそうもいかなそうだな……」
肉体的には疲労を感じにくいこの体だが、精神的には疲れたような気がするときもある。
長く眠れずとも、だらっとしていればその疲れも癒えるのだが、ずっと気を張っていないといけないとなると、それも出来なさそうだ。
「仕方がない。本来退屈な滞在に、ちょうどいい暇つぶしが出来た、くらいに思っておくしかないだろう。もちろん、なめてかかるのは問題だがな」
ロレーヌがそんなことを言うが、いくらなんでも前向きすぎるだろうと思った俺だった。
◆◇◆◇◆
ルーザ村はヤーラン王国に多数存在する村の一つで、その例に漏れず恐ろしいほどの田舎だ。
流石の俺の故郷程ではないが、あそこのように特殊な由来のある場所ではないからだろう。
その暮らしぶりは非常に静かで落ち着いている。
マルトが相当な都会に思えてくるほどだ。
村人たちの職業は、農民に、猟師、木こりに工芸品を作る技術者、それに村人にとって必要な雑貨を売る小さな店を切り盛りする商人がいるくらいか。
あとは、そんな村人全員がたまに羽目を外すための、酒場だ。
「こんなところに冒険者が来るのは珍しいな。何もないところだが、酒だけはそれなりにある。潰れるまで飲んでいってくれ」
そう言ったのは、その酒場の店主である。
熊のような大男だが、威圧感よりも包容力のようなものの方が感じられる男だった。
こう見えて意外と気が小さい、とは酒場に来ている他の客たちの言葉である。
「潰れるかどうかは分からないが、楽しませてもらうよ……そうそう、この近くにあるペトレーマ湖のこと、少し聞かせて欲しいのだが……」
俺がそう言うと、店主は、
「ペトレーマ湖? そうか、あんたらあそこが目当てか。俺たちも今の時期はあそこにはそうそう近づきはしねぇが……普段の様子だったら話せる奴はいるぞ。おい、フェリシー! こっちの人たちが湖の話を聞きてぇってよ!」
奥の方のテーブルで女性三人で食事と甘い酒を楽しんでいたうちの一人にそう呼びかけた。
その一人は、三人の中でも最も地味な雰囲気の女性で、性格も引っ込み思案なのか、呼ばれても逡巡しているようだった。
しかし、他の二人に背中を押され、最終的には慌てつつもこちらにやってくる。
こういう田舎村で、冒険者が突然やってきて、そんな奴らに呼ばれたら怖いものだ。
なにせ、大抵が荒くれ者で、酒場で飲んで酔いも回って来たら、碌でもないことをし始める奴も少なくない。
加えて、その際に若い村娘を呼ぶ、なんていうのはその先どうなるか簡単に想像が出来てしまえそうなものだ。
けれど、反対にそこにはある程度のチャンスがあることもある。
本当にただ、酌をするだけで村人の年収ほどにもなるだろう金貨をぽんとくれたりとか、真面目にただ惚れたから、よければ付き合ってくれないかと誠実に申し出る者もいる。
あの女性の背中を押した二人は、そっちの方だと思ってああいう行動に出たのだろう。
俺たちのパーティーにはロレーヌという女性もいるし、いきなり無体な行動に出たりはしなさそうだ、という判断もあったのかもしれない。
パーティーに女がいてもいなくてもヤバい奴はヤバいんだけどな……。
「あ、あのっ。私……」
少しどもっているのは、緊張しているのだろう。
そんなフェリシーにロレーヌが微笑みかけ、
「あぁ、そんなに肩に力を入れずとも大丈夫だ。私たちは君に酷いことをしたりはしない。ただ、聞きたいことがあるだけでな。実は、明日、この近くにあるペトレーマ湖に向かう予定なんだが、大まかな地形や距離、それから湖自体の広さや生き物の分布などを聞いておきたいんだ。店主によれば君が詳しい、ということだったから呼んでもらったのだが……」