第42話 新人冒険者レントとヴィヴィエ
「……ぶふぉっ! お、お前……」
飲んでいたお茶を吹きだしながらそう言ったのは、迷宮から帰宅した俺が、お茶を飲みながらくつろぎつつ、何かの書き物をしているロレーヌに冒険者組合での登録名を、レント・ヴィヴィエにした、と言ったそのときのことだった。
「……だいじょうぶ、か?」
俺が地面にこぼれた液体を拭きながらそう尋ねると、ロレーヌは頭を抱えながら、
「……ある意味大丈夫ではないが……というか、そもそもなんでそんな登録名にしたんだ。レントと仲の良かった私のファミリーネームを使ったら、怪しまれるだろう?」
と正論を言ってくる。
そしてそれは間違いではないが、そもそも俺がレントの名前を名乗りつつ、しかもロレーヌの家に入り浸っている時点でその問題は遅かれ早かれ顕在化していただろう。
では別の名前にすればよかった、という結論になるかと言えば、そうとも言えない。
まぁ、俺としてはそうなればもう、正体を怪しまれると言う問題からは解放されそうだが、今度はロレーヌがおかしな男を家に入り浸らせている、ということになりかねない。
だから、あえてヴィヴィエ姓を名乗り、親戚である、ということにしたのだ。
そしてそうする以上は、ありふれた名前であるレントを名乗っても名乗らなくても大した違いはないだろうと、今まで名乗り続けて慣れているその名前を普通に使うことにした。
概ねそういう話をロレーヌにすれば、最初はこいつ馬鹿か、という視線を向けていた彼女の表情にも徐々に納得の色が見え始めた。
「……親戚、親戚か……。まぁ、そういうことなら分からんでもないが……」
「だろう?」
「いや、しかしな……別に私の外聞にまで気を遣ってくれなくとも構わなかったんだぞ。もともと、女の身でこんな辺境で学者なんてしている時点で変り者として見られていることは変わりないしな」
確かに女性で学者というのは珍しい。
というのは別になってはいけないとかそういう訳ではない。
もちろん、そう言ったことを声高に主張する者というのはいるが、そういうこととは別に、単純に体力的に厳しい、というのがある。
この世界には大量の魔物がいて、学者というのは職務上、通常の職業よりもそういったものと遭遇する可能性の高い職業だったりするからだ。
研究のため、各地に自らの足で出向かなければならないし、規模の大きな学会に出るにはやはり移動が多くなるだろう。
そのため、基本的な体力の多い、男性の方が向いている、とされがちである。
もちろん、銀級の冒険者としてやっていけるだけの技能のあるロレーヌにこの一般論は当てはまらないが、世間の目というのは確かにある。
それでもあまりフィールドワークする必要のない分野であれば女性の学者の割合も増えてくるが、ロレーヌがやっているのは魔物や魔術など、どうしても深く調べるためには色々なところに行かなければならない分野だ。
必然、そういうことになってしまう、というわけだ。
とは言え、ロレーヌはそんなことを気にするタイプでもない。
だからこそ、こうしてずっと学者を続けている。
冒険者を本業にしてしまえば、そう言った差別的な視線を避けられるのに、それをしないのは余程自分の仕事を気に入っているからだろう。
冒険者は、男女の差よりも、完全な実力主義だ。
こちらにももちろん、女だから、という短絡的な指摘をする輩もいるにはいるが、そういう奴らは大抵実力が不足しているものだ。
だから、意外にも学者よりは女性が生きやすい社会であったりする。
実際、冒険者組合におけるロレーヌに対する信頼は中々のものである。
「そういう、わけにも、いかない、だろう。おれは、ろれーぬに、せわになっている、み、だ。これいじょう、めいわくを、かけたくない」
「お前らしい話だが……別に気にしなくていいぞ。そもそも私の方が世話になりっぱなしだからな。炊事洗濯後片付けと、ほぼお前にすべてやってもらってるじゃないか。お相子……というには、いささか私の方の借り分が多すぎるくらいだ」
ロレーヌは笑ってそう言ってくれる。
非常にうれしく、気持ちが楽になる言葉だが、実際のところ借り分が多いのは俺の方だろう。
ふつう、いくら知り合いで、多少家事をやってもらっていた相手とはいえ、急に不死者として現れたらまず、家に上げないし、一緒に住もうなどとはしない。
それに、危険がないのならともかく、俺は一度とは言え、ロレーヌに噛み付き、彼女を比喩でもなんでもなく食べているのだ。
恐ろしくて近くに置いておけない、というのが普通の感覚だろう。
それなのに、こうして、まるで普通の知人を相手にするようにして、どこにも他に行けるところのない俺を家に置いてくれている。
ありがたかった。本当に心の底から。
だから、俺は言う。
「そんな、ことは、ない……。おれは、ろれーぬがいてくれる、おかげで、まだ、にんげんで、いられるんだ……」
「レント……。まぁ、そういうことなら、いつまででもいればいいさ。なにせ、お前は私の親戚なんだろう? 家族に遠慮はいらぬものだ」
俺が勝手に作り上げた設定を利用してそんなことまで言ってくれるロレーヌに、俺は、
「おことばに、あまえて……そう、させて、もらうことに、する」
そう頷いたのだった。
◇◆◇◆◇
それから、迷宮での成果について色々と報告しつつ、またこの屍鬼の体の性能や、あの魔道具《アカシアの地図》を実際に使ってみた感想などを話し合った。
話し合いの結果、分かったことは、今は何もないなというところに落ち着いて、それから冒険者組合での俺の冒険者としての活動について話す。
つまりは、今日、豚鬼の納品依頼を受け、実際にしっかりと狩ってきて、収めた結果、どうなったか、ということだ。
その結果を簡単にいえば、俺は今度、銅級へとランクを上げるための試験を受けられることになった。
というのも、豚鬼はそもそも冒険者組合に入りたての鉄級が狩れるようなものではない。
それをほぼ無傷で三体も狩ってきた時点で、冒険者組合としてはただの鉄級にしておくわけにはいかない、と判断したようだ。
もちろん、冒険者というのはただ腕っぷしがあればそれでいいと言うものではなく、それなりの知識も必要な職業なので、ランクを上げるためにはそう言った部分についての試験もある。
つまりは筆記試験だが、これについては冒険者組合の規則や魔物や素材の種類や扱いについて、最低限押さえていれば通るようなものだ。
これも、ランクが上がってくると徐々に難しくなってくるが、銅級に上がるための試験くらいだと、俺にとっては楽勝である。
むしろ、試験対策は完璧で、満点すらとれる自信があった。
問題は、実技の方で、これはその時々によって異なる。
通常の銅級の依頼をこなすことを求められることもあるし、そうではないときもある。
これは完全に冒険者組合長の好みというか、選択次第だ。
別に気まぐれ、というわけではなく、事前に不正行為が出来ないように直前まで冒険者組合で内容を伏せるためである。
まぁ、それでも何かしらの技能を駆使して調べ、有利に進める者もたまにいるが、それはそれで実力があると示していることになるので、そこまで目くじらは立てられない。
ただ、調べるのには相当な労力がかかる。
普通に受けて合格をもぎ取る方が楽だろう。
今回は一体どういう試験になるのか……。
俺はそれを楽しみにしながら、明日を待つ。