第415話 塔と学院、ゴブリン
ちなみに、ヤツールが何らかの方法によって幻惑の状態にあるのか、というのはロレーヌが密かに調べた。
結果として、やはりそのような薬が使われた形跡があることが明らかになった。
俺も一応薬師の修行は受けており、症状を尋ねればどんなものが使われたかはっきりさせられるが、触れずに確認、というのは高度な魔術的手法を知っていなければ出来ない。
なので、その辺りの確認はロレーヌが行った。
それから、俺がロレーヌによって確認されたヤツールの状態を聞いて、そこから使われたと思しき薬を特定し、解毒薬を作って、ヤツールの椀に突っ込んでおいた。
使われた薬があまり効果の強いものではなく、解毒薬の方もそのようなもので、かつ副作用もないものを選んだため、これで死んだりはしないはずだ。
何か持病を抱えていれば別だが、世間話にヤツールは生まれてこの方、病気なんてほとんどしたことない丈夫な体だ、みたいなことを言っていたし問題ないだろう。
食事を終えると、ロレーヌとオーグリーは眠くなって来たらしく、うつらうつらと船を漕いでいた。
「無理しないで眠ってもいいぞ。火なら俺が見てる」
そう言って、ロレーヌに着火してもらった焚き火を見る。
ロレーヌはそれに対して、
「……そうか? 悪いな……最近、忙しいのかどうも、起きていられん。頼むぞ」
と返す。
またオーグリーも、
「じゃ、僕もそうさせてもらおうかな。もちろん、何か現れたら起こしてよ? 起こされなくても起きるとは思うけど、もしものときってのがあるからね」
と肩を竦めながら言って、集めて来た薪の中でもちょうど良さそうなのを頭に敷いて横になった。
最後の一人、御者のヤツールだが、やはりうつらうつらとしていて、
「……お前だって眠っていいんだぞ、ヤツール」
と言って見たが、彼も今回馬車を操る御者としての責任感があるようだ。
「いや、でも旦那に任せて眠っちまうなんて、それこそ悪いですし、先に俺が見張り番をしないと……」
まさか一晩中起きてるつもりはないだろうが、一番最初に客に疲れをとってもらいたい、ということらしい。
けれど、俺は別にそれこそ三日四日、その気になれば一週間全く眠らずとも平気だったりする。
この魔物の体になって最も大きな利点かも知れない。
逆にあまり長い眠りにつけなくなったことは人生の安らぎのうち三分の一を捨てたようなものかもしれない気もするが、冒険者という職業を考えればメリットの方がはるかに大きいだろう。
ロレーヌやオーグリーがさっさと寝てしまったのは、別に俺に対する思いやりがない、というわけではなく、単純にその事実を知っているからである。
ただ、ヤツールはそんなことは知らない。
まだ悩んでいたが、ダメ押しに俺は言う。
「お前の疲れがたまって、明日の御者の仕事に響く方が俺たちにとっては迷惑なんだ。仕事一番ならさっさと眠っててくれ。別に、朝まで起きなくていいぞ。途中でロレーヌかオーグリーと変わるし、三人でならそれほどの負担でもないからな」
実際は、俺が朝までやる予定だが、それを言うと不自然だろうと思っての軽い嘘である。
ヤツールは俺の言葉に納得したようで、不承不承ではあるが頷き、
「確かにその通りでさ……。今日はどうも調子がおかしくて、迷惑をかけちまったんだ。明日しっかりと仕事をするために、先に眠らせてもらいますぜ……」
そう言って、横になったのだった。
◇◆◇◆◇
横になり、眠ったように見せながらも、意識はあった。
行商人ヤツール。
いや、そういう“役”に化けた工作員、通称《ゴブリン》は、今、まさに“上”から受けた指令通りに動いているところだった。
王都において、レント、ロレーヌ、オーグリーという名前の冒険者三人組に近づき、目的地まで馬車に乗せることを約束し、実際に乗せる。
その実、道の途上で彼らを亡き者にする、という指令だった。
レント、という銅級冒険者はともかくとして、オーグリーとロレーヌについては銀級冒険者である、という情報はすでに得ていた。
簡単な仕事ではないことは理解していた。
しかし、そうはいってもこの二人についても詳しく調べてみれば、オーグリーについては最近、銀級冒険者になったにすぎず、元々は辺境の田舎町で銅級としてくすぶっていた者に過ぎない。
また、ロレーヌについても、本業は辺境の学者であり、銀級冒険者の資格についてはその学者としての業績に基づいて与えられたものに過ぎない、というところまで調べがついている。
つまり、銀級、というランクに見合った、正しい意味での実力者ではない、ということははっきりしていた。
《ゴブリン》も、銀級程度の実力は持っているし、今までそのランクにいる冒険者を幾人も亡き者にしてきた実績もあった。
それゆえ、簡単な仕事ではないにしても、不可能なそれではない。
また、油断するつもりは全くなく、可能な限りの準備を重ねたうえで、痕跡も残さずに始末してしまうつもりだった。
ちなみに、工作員としての通称《ゴブリン》、の名称は彼の特殊能力に基づくものだ。
見た目が少しばかりゴブリンに似て、背が低く、野性的な雰囲気がするというのも全くないではないが、それが理由ではなく、彼はなぜか、昔からゴブリンやホブゴブリンに言うことを聞かせることが出来たためだ。
それは本来、従魔師の技能であるが、工作員ゴブリンは生まれつき、そのような能力を持っていたらしい。
ふと両親が目を離したすきに、いつの間にかゴブリンが近くにいて、《ゴブリン》をあやしていたのを見たときは息が止まった、という話を聞いた。
しかし、その頃の思い出は彼にはない。
その能力は、彼の住んでいた小さな村では極めて珍しく、すぐに話が広がり、そしてある日、王都から彼を引き取りたいというものが現れたのだ。
その結果、彼の両親は、大金を手にし、彼は王都の恵まれた環境を手に入れた。
どういう意味で環境が恵まれていたかと言えば、それは彼の能力を伸ばすためにだ。
もともと、ゴブリン一匹に簡単なお願いを聞いてもらう、くらいしかできなかった彼であるが、“そこ”で鍛えることによって、今ではゴブリンの上位種、ホブゴブリンでさえも十匹は操れるようになった。
そう、先ほどの襲撃は、偶然などではなく、《ゴブリン》の異能によるものだったのだ。
加えて工作員に必要な様々な技能、戦闘能力や、色々な薬物に対する耐性も得た。
とは言え、ホブゴブリン十匹程度で銀級二人を屠れるとは流石に彼も思っていなかった。
ではなぜ、襲わせたのかと言えば、それはレント、ロレーヌ、オーグリーの三人の実力のほどを見るためだ。
いかに事前にその実力をうかがわせる情報を収集したとはいえ、最後に役に立つのは自分の目で見たそれであることを、《ゴブリン》は長い経験で理解していた。
事前に集めた情報のみを妄信し、ことに及んだ結果、最悪の結末を迎えてしまった例をいくつも知っていた。
だからこその行動だった。
そして、実際にホブゴブリンを操り、襲わせた結果、その信念が間違っていなかったことを確信した。
というのは、思いのほか、三人が強かったのだ。
通常のゴブリンならともかく、ホブゴブリンが十匹もいれば銀級が三人いても、負けはしないものの、それなりに時間がかかるものだ。
それなのに、この三人はそれらを手早く片づけ、余裕を持って素材採取まで行っていた。
それでも、正面から立ち向かって勝てないほどではなさそうだ、とは思ったものの、仕事は完璧にこなさなければならない。
少々汚くとも、確実な方法を選ぶことに決めた。
それは、彼らを抵抗することの出来ない状態に置き、その中で命を奪う、というものだ。
幸い、初めから道をあえて間違え、進んでおり、今日は野宿になるようにするという手筈も整えていた。
持ってきた保存食にはたっぷりと眠り薬が塗り込んであり、腹に入れればたちまち眠気が襲ってくるものだった。
たとえ、人間の身の丈五倍はある魔物ですらも眠ってしまう……そういうものだ。
それを食わせ、眠らせ、眠っている間に魔物に襲われたように見せかけて、というかゴブリンにやらせて殺す、というのが《ゴブリン》の立てていた計画だったが、これも若干狂った。
妙に準備のいい奴が一人いて、料理グッズをいそいそと袋から取り出し、煮込み料理を作り始めたからだ。
ただ、ここで諦めることはなく、なんとか三人が気を逸らした瞬間を見計らって、予備に持っていた眠り薬を入れることは出来た。
食べさせることも成功し、よく効いたのか銀級二人は眠った。
ただ、銅級のレントには中々効いていないようだ。
少しばかり慌てて入れたから、量が少なかったのかもしれない。
けれど、それでも時間の問題のはずだった。
いずれ眠りに落ちるのは明らかで、そのときこそ、《ゴブリン》によって、密かに冒険者三人組が始末されるのだ……。
《ゴブリン》は横になりつつも、そのときを今か今かと待ちわびていた……。