第41話 新人冒険者レントと食糧事情
豚鬼を倒せたのはとりあえずいいが、仕事はこれで終わりという訳ではない。
魔石を収集するだけなら、このまま適当にさばいて心臓の横からそれを抜き出せばおしまいだが、俺が受けた依頼は豚鬼の納品依頼だ。
より厳密にいうなら、豚鬼の魔石の納品依頼ではなく、その肉の納品依頼である。
もちろん、その用途は食肉として活用するためだ。
食肉の用に適する生き物は色々いて、豚や牛や鶏が代表的で、それらは魔力をあまり持っていないため、魔物に比べれば危険性が低く、家畜として生産されているため、比較的安価である。
味もそれなりに美味しく、また、飼育に手間や工夫をかければ極上の味にもなりうる、非常に人にとって有用な動物である。
けれど、そんな肉よりも、高級品とされているのが豚鬼の肉である。
これには色々な理由があるが、分かりやすい最も簡単な理由が、単純に美味い、ということだろう。
豚鬼は筋肉質な魔物であることから、筋張った味がしそうだと勘違いされることも多いが、そんなことはない。
なぜなら、豚鬼の筋肉は、魔力によって維持されており、命を失い魔力が霧散するにしたがって、その肉は本来の柔らかさを取り戻すからだ。
その味は、最高級の豚肉を遥かに凌駕する甘味、旨みが感じられ、一度これを食べれば他の肉には浮気しがたいとまで評されるほどのなのである。
それほどまでの味を持つ豚鬼の肉だが、それほど街に出回らないのは、そもそも豚鬼を狩って来れる冒険者という存在が少ないからだ。
少なくとも定期的に一つの街全体の消費を賄えるほどの豚鬼肉を狩れるほどはいない。
せいぜいが、資産家や貴族の食卓に登るくらい、その程度が限界なのである。
それだけに、希少性もあり、それなりに値段が張る。
つまり、売却益が大きく、倒せるのであればそこそこ金になる魔物なのだった。
俺はそんな金の生る木である倒れた豚鬼に近づき、まずその頸部を切り裂く。
すると、そこから血が噴き出てきた。
これで、胸部から出ている血と合わせて、比較的すぐに血抜きが終わるだろう。
その間、俺は周囲を警戒している。
他に魔物が現れて襲ってこられては問題だからだ。
幸い、魔物は現れることは無く、血抜きは完了する。
それから、必要な部位を見極め、切り取って部位ごとに大きな葉で包んで入れていく。
この葉は、都市マルトの周辺の森に生えているマルトホオノキと呼ばれる植物の葉であり、食品を包むのに重宝するものだ。
俺はこれを常に持ち歩いている。
スライムの体液を集めるための瓶など、冒険者には必需品となる容器が色々あって、これもまた、そのうちの一つなのだ。
切り取る部位は、主にロースとヒレ、バラ、モモである。
どうせならすべてまとめて持っていきたいところだが、俺の袋の容量は小さく、そんなことは出来ない。
よく使われる部位と、それにちょっと俺が食べたい部位――心臓と、肝臓、それに豚足――を切り取って突っ込むのが関の山だ。
これでも結構なお金になるし、最初からしっかりと解体しておくと直接に肉屋に卸したりすることもできるため、仮に依頼で求められた以上の量を狩ってしまったとしても儲けることが出来る。
依頼では、部位の指定はなく、量については豚鬼三体程度、と記載があったが、それ以上持って行ってしまったとしてもこうすれば無駄にはならないので、そう言う意味ではそのまま持っていくよりも利点はある。
まぁ、そのまま持って行っても、冒険者組合では解体を代行してくれたり、解体部屋を貸してくれたりするので、やっぱりそのまま持っていった方がいいというのが真実なのだが、出来ないものは仕方ない。
解体を終え、切り刻み終わった豚鬼の残りについてはその辺に投げておく。
こうしておいても、迷宮内部は不思議なもので、いつの間にか消えているのだ。
迷宮に生息する他の魔物の餌になっている場合もあるし、迷宮それ自体が吸収してしまうこともある。
この豚鬼がそのどちらとして処理されるのかは分からないが、放置しても他の冒険者の迷惑になることはないし、資源としても有効活用されることだろう。
――さて、それでは次だ。
俺は、そう思って歩き出す。
豚鬼の依頼は一匹ではなく三匹だ。
あと二匹、倒さなければ依頼は完遂できないのだ。
あの戦いをもう二度、と言われると結構厳しいものがあるが、先ほどの戦いでいつもよりも多くの力を吸収できたのは感じている。
次の戦いはもっと楽になるだろう。
俺は、豚鬼を求めて迷宮を彷徨う……。
◇◆◇◆◇
しっかりと、依頼通り三匹分の豚鬼肉を集め終わったので、今日のところは戻ろうかと俺は階段に向かって歩く。
帰りもそれなりに魔物が襲ってくるが、豚鬼の出現する階層ではあまり深入りせずに、階段周辺で戦い、ノルマが終わり次第すぐに戻ったため、スライムやゴブリンなどしかおらず、比較的簡単に進むことが出来た。
あのよくわからない女からもらった《アカシアの地図》を開く余裕すらあったくらいだ。
さすがに、豚鬼がいつ現れるか分からない階層で一人でぼんやり地図を見ている勇気はまだ、ない。
周囲を警戒してくれる仲間がいるならまた話は別なのだが、俺にはそんなものはいない。
地図はよっぽど安全なときか、どうしても道が分からなくなった時だけしか開かない。
開いた地図に、魔力を通すと、しっかりと俺が進んだ道のりが記されている、やっぱり便利だなと改めて思う。
帰りは行きとは異なる道を歩いて、出来るだけ地図の空白を埋めるべく努力するも、やはりこの《新月の迷宮》は広大で、そう簡単にはすべてを埋めると言う訳にはいかなそうだ。
すべて埋めなければあの、どこに誰がいるのか分かる機能は活用できないようなので、広い迷宮だと厳しいかもしれない。
まぁ、別に誰がどこにいるのか、なんて分からなくても普通なら問題にはならない。普通なら。
問題になるときは、それなりに話題になるだろうし、そうなったときに考えればいいことだろう。
迷宮を歩いていると、ふと、耳に戦う音が聞こえてくる。
こういう場合、どうするのが正しいかと言えば、人それぞれだ。
さりげなく避けるのがマナーだ、という者もいれば、一応様子を見て、状況が厳しそうであれば助力をするのが正しい、という者もいる。
そこは好みと倫理観の違いが出るので、どうするのが絶対に正しい、というものでもない。
俺はどうかというと、リナの件からも分かる通り、とりあえず様子を見に行く派である。
そのため、こそこそと音を立てずにその現場に行ってみることにする。
すると、そこには二人の冒険者がいて、一生懸命ゴブリンとスライムと戦っていた。
立ち回りから見るに、鉄級、もしくは銅級の下位だろう。
年齢は十五、六くらいだろう。
それであの腕となると、そこそこ立派である。
一人は剣士の少年であり、もう一人はおそらく治癒術師だろうと思しき少女だった。
少年の方が前で戦い、少女の方が背後から補助的な魔術をかけているのが見える。
今の俺から見ると、結構危なっかしいところも感じる戦い方だが、それでもゴブリン程度ならば問題なさそうな実力があるようだった。
問題はスライムだが……。
そう思っていると、少女の方がスライムに向かって火の弾を打ち出した。
あれは低級の攻撃魔術の一つであり、魔術師となれる才がある者なら容易に身に着けられる、と言われるものだ。
残念ながら、魔術についてはさっぱり造詣のない俺としては力任せの身体強化と盾の魔術くらいしか使えず、ああいった攻撃魔術は使えないが、あの少女はしっかりと学び、身に着けたのだろう。
スライムは魔術など、非物理的な攻撃に弱い魔物で、あの程度の魔術であっても一撃で倒せてしまう。
実際、少女の魔術が命中すると同時に、スライムは焼き尽くされ、魔石だけを落として消えた。
ゴブリンもそれとほとんど同時に少年によって倒される。
――問題なさそうだな。
それを確認して、俺はその場から踵を返し、入口へと向かう道に進んでいく。
「……おっと、失礼」
途中、他の冒険者と出くわすも、特に俺の見た目に対する言及もなく、問題なくすれ違うことが出来たことに喜びを感じながら、俺は迷宮を出て、その日の迷宮探索を終えたのだった。