第401話 塔と学院、待合室
「……おぉ! やっといらっしゃったと聞いたが、本当だったか!」
王城の一室、その中でも今回の俺たちのように身分の低い来客のために設えられた待合室の扉が勢いよく開かれると、明るい声と共に見たことのある男性が顔を出した。
白銀に騎士鎧を身に纏った壮年の男、近衛騎士団長ナウス・アンクロである。
自らの仕事に戻ったためにもう、ここにはいないが、道すがら門番が話してくれた情報によれば、ナウスはアンクロ侯爵家の家長であり、貴族の中では中々の好人物だという評判であるらしい。
ただ、権力的にはさほどではなく、宰相であるリュカス・バーダー公爵や、第一王子の後ろ盾となっているマルセル・ヴィーゼ侯爵、第一王女の後援者であるジゼル・ジョルジュ女伯爵などの影に隠れて一般に名前をあまり知られていない。
目立った功績があるわけではなく、忠勤と人柄で知られた人だ、という話だった。
確かに、今挙がった他の貴族の名前については俺も聞いたことがあるが、ナウスの名前はあまり耳にした覚えがない。
権力を嫌い、自由を愛する冒険者とはいえ、この国で生活している以上、貴族と関わらずにはいられないため、多少は貴族のことについても話題になることはあるが、ナウスはそういった話題の中に出てくることもなかった。
そもそもマルトは中央から離れすぎて、そう言った花のある話題はまぁ、半年に一回するかしないかぐらいなことも影響しているだろうが。
ただ、ロレーヌは……と思って見てみると、どうも知っていたような顔つきである。
特に言及してこなかったのは、門番の話からも察することが出来るように、それほど問題があるような人ではないから、というところだろうか?
それか、あえて話さず、自分の目で見て判断する時間をくれた、ということだったかもしれない。
オーグリーはどうだったのかはよくわからないが、俺たちがマルトで色々やっている間に調べただろうし、実際に何度か接してもいるだろう。
その上で、特に細かな注意点などを言わないのは、そこまで緊張して会うべき人ではないから、だと思ってもいいかもしれない。
まぁ、俺にしたってロレーヌにしたって最低限の礼儀と作法は知っている。
もっと冒険者然とした冒険者が一緒なら、オーグリーも事細かにこうすべきだああすべきだと指示した可能性が高い。
「アンクロ侯爵。ですから、申し上げたでしょう。必ず連れてくると」
そう言ったのはオーグリーである。
彼がせっつかれていた相手、とはつまりこのナウスのことなのだろう。
オーグリーは自信満々に、自分の言う通りになったじゃないか、とナウスに主張しているが、本当のところは見通しがつかない中での虚勢だったはずだ。
それを感じさせない仕草や口調は、オーグリーが意外にも結構な役者であることを示している。
まぁ、もともと、動きも大げさで、話し方も芝居じみているところのある男である。
それを考えると意外でもなんでもないかもしれないとは思う。
「オーグリー殿。疑って申し訳なかったですな。なにせ、はっきりとした日にちも、お二人の住む場所も、そして名前まで曖昧だったものですから……これは何かがあるのではないかと勘繰った私を、誰も責められますまい」
取りようによっては皮肉であり、高位貴族からこのような言い方をされれば、大抵の平民は土下座せんばかりに謝罪を始めるものだ。
しかし、これにオーグリーは堂々と言う。
「確かに。しかし、実際に二人はここに参りました。何か後ろ暗いことがあれば、このようなところに来ることはなかったでしょう」
後ろ暗いことはいっぱいあるぞ。
実は魔物だとか。
実は不死者だとか。
知人が吸血鬼とか。
遠くから王都まで一瞬で移動できる秘密の手段を持ってるとか。
……知られたら殺される程度じゃすまなそうだな。
けれど、俺もロレーヌも澄ました顔で二人の会話を聞く。
ナウスはオーグリーの言葉に、深く頷き、答える。
「全く、その通りですな。この王城には、様々な設備がございますれば……容易に犯罪者などは入れませんし、人の悪意などを感知する魔道具などもあります。詳細は申し上げられませんが、その他にも色々と……。ですが、お三方はここにいらっしゃる。そのことが、お三方に後ろ暗いことのない、何よりの証拠」
まぁ、確かに、俺は犯罪者ではないし、俺たちにこの王宮の誰かに対する悪意もないのは事実だ。
他の設備は分からないが、いずれにも反応しないという意味ではその通りなのだろう。
魔物感知に関しては、何らかの理由で俺は反応しないしな。
それが一番の問題なのだが、だからといって「俺、魔物なんですけど無反応でしたよ。設備、別のメーカーに変えた方がいいんじゃないですかね? 今なら大錬金術師ロレーヌ・ヴィヴィエの作った新機軸魔物感知用魔道具一式が、白金貨五枚! 白金貨五枚で販売しております! さらになんともう一台お付けして……」などと、道端のたたき売りみたいなことを言うわけにもいかない。
俺はそういうたたき売りに何度か引っかかってどうでもいいものを買った記憶があるけどな。
冷静に考えると普通の値段だった、とか、よくよく数えてみるとちょっと容量少ないとか、そういう感じに。
「ええ、ええ、そうでしょうとも……。ところで、アンクロ侯爵。今回は、侯爵閣下にご挨拶申し上げたということで、辞去させていただいても?」
オーグリーがさらっとそう告げる。
要は、もう帰ってもいい?
である。
約束通り、挨拶に来たし、もう用はないよね、じゃあね、というのが一番俺たちにとって当たり障りのない話になるからだ。
けれど……。
「いやいや、何をおっしゃいますか。まだ、お礼も済んでおりませんし、王女殿下もお三方にお会いしたいと楽しみにしておられるのですよ。このままお帰しすることは、このナウス、侯爵家の紋章にかけて出来ませぬ」
はっきりとそう言われてしまった。
そりゃそうだろうな、という感じである。
もちろん、オーグリーとしてもそこまで期待して言ったわけではないのだろうが、こういう罠のような会話がオーグリーはうまい。
気づかなければ、つい、うんと言ってしまいかねないタイミングで致命的な同意をさせる、みたいなことが。
ただ、そんなこと日常茶飯事の貴族にはそこまで通用しなかった、というだけだ。
単細胞な冒険者なら一発なんだけどな。
「それは、光栄です。では、これから王女殿下のところに?」
「そうなりますな。と言っても、さほど緊張されることはございません。以前も申し上げた通り、あの方は誠実な方ですので……」
それは、一冒険者などをこうやって礼をするためだけに王宮に招いてくれることからも分かる。
ただ、俺たち冒険者の基準からすれば、それがすでに厄介ごとだ、というだけだ。
この辺りは認識の違いなのでどうしようもないが……。
出来ることなら、その誠実さで俺たちをさっさと返してくれることを願いたいところだ。
……望みはあまり高そうではないけどな。