第40話 新人冒険者レントVS
――ここは本当に建造物の中なのだろうか?
つい、そう思ってしまうような光景がそこにはあった。
草萌ゆる地面に、燦燦と降り注ぐ太陽の光、遠くには森の姿すら見える景色。
昔、先輩冒険者に連れられて見たことはあったが、それでも何度見ても不思議である。
迷宮にこんな、地上と何も変わらないような空間がある、ということが。
どうやって、誰が作ったのか、その真実は誰にも分からないと言われる迷宮であるが、その分からない理由の最たるものが、こういった特殊かつ異常な内部構造にある。
俺の持っている魔法の袋に代表される空間拡張魔術などを見ると、魔法や魔術によって、空間に手を加える、ということは部分的にではあるが人の手でも可能なのは確かだ。
そのため、こういった空間をつくる、というのもそう言った技術の延長線上で可能であろうとは言われている。
けれど、様々な理由によって、現代の人の手では不可能だとも言われているのだ。
それは、魔力量や、魔術自体の不完全さ、このような空間を恒久的に維持する方法がまるで分からないことなど、一つ一つ上げていけばキリがないほどの沢山の理由によって。
それなのに、このような空間が確かに、各地に存在している。
しかも、未だに出現したり、また消えたりを繰り返しているのだ。
不思議という他ない。
迷宮を作り出す存在を神、もしくはそれに準ずるものとして崇める人々すらいるくらいだ。
……まぁ、それでも、迷宮は、人にとって不可欠なものであることも間違いない。
なぜなら、そこからは様々な素材となる魔物のみならず、人が作り出すことの出来ないほど完成度の高い魔道具、宝物まで得ることが出来る。
しかも、少し放置しておけば、そう言ったものは狩っても復活するのだ。
迷宮とは、半永久的に使うことの出来る資源採掘場である。
はっきりとそう断言する者すらもいる。
実際はどうなのかと言えば、そういう面もあるし、また反対に人にとって極めて危険なところもある。
単純に、迷宮にそう言った宝物を求めて入り、命を落とす者の数は数え上げればキリがないほどだし、新たに現れた迷宮を、それと知らずに放置すれば、いずれ中から魔物が這い出てくるようになり、大規模な災害にその姿を変えることもある。
けれど、事実として、迷宮の存在は今の人間にとって不可欠なものだ。
それなしではありとあらゆる活動がなりたたない。
そんな状況になっている。
迷宮で取れる素材は、武器を作り、防具を作り、薬剤の材料となり、そして……食料ともなる。
そして、豚鬼、それは、食肉として最も重宝されている魔物の名前なのだった。
◇◆◇◆◇
豚鬼の見た目は非常に分かりやすい。
豚の頭をつけた、太った人型の魔物だ。
見るからに鈍そうで、それほどの技量がなくても簡単に勝利を収められそうに見える。
今、まさに俺の目の前にいる魔物がそれだ。
けれど。
豚鬼はけっして、どたどたとは走らずに、綺麗なフォームで俺のところまで距離を詰めてきた。
その足や腕には筋肉の筋が見え、見据えているのはへし折れば一撃で絶命するであろう俺の首筋である。
その豚鬼の手には剣や槍はないが、しかしこの辺りの森の木々から作り出したと思しき、荒い削りの棍棒が把持されている。
あれに当たれば、その質量だけで人の命は容易に奪い去れるだろうと想像できるくらいの大きさだった。
それを軽々と持っている豚鬼の膂力の強さが、それで分かってしまう。
これだけでも分かる通り、実際、豚鬼は決して弱くはない魔物だ。
むしろ、ゴブリンと相対するつもりで出遭ってしまえば、瞬殺されることすら珍しくないほどのもの。
絵本ではよく、腹の出っ張った、のろのろとした魔物として描写されているが、それは本物の豚鬼と相対したことのない者が描いたか、あくまで絵本の登場人物として、過度にデフォルメされた存在でしかないかのどちらかだ。
本物の豚鬼は、戦士である。
どれだけ身に付けている武具が貧弱であろうとも、油断してはならない。
その油断は、冒険者を簡単に殺すのだ。
――とはいえ。
俺はその豚鬼の棍棒の一撃をするりと避けた。
それから、豚鬼の背後に素早く回り、剣を振るう。
確かに豚鬼は強い。
強いが、その強さの程が分かっていれば十分に対応する準備が出来るのは、どんな相手が敵だろうと同じことだ。
しかし、豚鬼もさるもので、俺が背後から切り付けたのを理解すると即座に振り返り、重い棍棒を横に振って攻撃を加えてくる。
背中を切り付けられことに対する狼狽が全くないのは、俺の攻撃が浅かったからだろう。
豚鬼の体はパッと見、太っているように見えて、実のところ極限まで磨かれた筋肉の塊であり、一撃に確かな威力を込められなければ、その体の内部の筋肉に斬撃を阻まれ、その表面を軽く傷つけるに留まり、深いダメージを与えることは出来ない。
豚鬼は生まれたその時から、天然の鎧を持っているようなものなのだ。
しかし、だからと言って負けてやるわけにもいかない。
俺は、豚鬼の棍棒を避けると、このままでは泥仕合になりそうだと感じ、魔力と気の力を体に満たす。
いざというときはいつでも盾を張れるようにしておき、さらに気でもって体力の底上げを図った。
一撃で致命傷を与えなければ、と思ってのことだった。
特に金属製の武具などで武装をしているわけではない通常豚鬼は、その大半が魔力や気などの力を持っていないと言われているが、それでも俺の纏う雰囲気の変化に気づいたようで、棍棒を構えてこちらを睨み、さらに準備が整う前に、とでも考えたかのように地面を思い切り振り切り向かって来た。
全力の疾走には恐ろしいほどの迫力が感じられ、それを前にすると逃げ出したくなるほどだ。
けれど、それをしてしまうような冒険者は、豚鬼に追いつかれて死ぬことになる。
豚鬼に勝利を収めるコツは、あの疾走を決して恐れないこと、そして恵まれた身体能力頼りで放たれる攻撃の数々に存在する確かな隙を適切に突くことだと言われる。
そのために必要なのは、知識と経験――それに、戦闘勘だ。
かつての俺には、知識のみがあった。
そして、今の俺には豚鬼との戦いに関する経験が欠けている。
しかし、勝負における一瞬の分水嶺を認識する力――戦闘勘は、あの頃とは遥かに異なる高みに至っている。
もちろん、昔と比べれば、という話で、銀級より上の冒険者たちと比べるとまた、話は別かもしれない。
ただ、豚鬼と戦えるだけの力はある、と確信しているのだ。
俺はその確信に基づき、剣を構え、豚鬼の突進を迎え撃った。
チャンスは確かにある。
そのことを、俺は知っている。
そう、自分に言い聞かせる。
そして、とうとう豚鬼は俺の目の前までやってきた。
その瞬間、時間が引き伸ばされたように、豚鬼の挙動が良く見えるようになる。
豚鬼は俺に向かって棍棒を掲げ、突進の勢いに加えて俺を殺そうと攻撃を加えようとしている。
しかし、その全力を攻撃に割り振った身体の挙動は、残念なことにその体の中心部に大きな隙を作っている。
俺は剣を後ろ手に引き、そして地面を蹴り、思い切り豚鬼の体の中心部――つまりは胸の辺りを狙って振り切った。
俺と豚鬼が交錯した後、振り返ると、立ったまま静止している豚鬼の体から大量の血が噴き出た。
それから棍棒を振り上げた状態で、ゆっくりと地面に向かって倒れていく。
その様子を見て、俺は思った。
――どうやら、勝てたらしいな。
と。




