第396話 塔と学院、返信
リリアンが聖気を使えなくなっていた……というのは、あれかな。
邪気蓄積症にかかったからか?
ということがまず、俺の頭に浮かぶが、しかし、いきさつを思い出すに、リリアンは自らがその病にかかっていることを治療する段階で初めて知った。
つまり、そのことを、王都にいて、久しぶりにリリアンと連絡を取った風なエルザ僧正が知っている、というのはおかしいという話になる。
まぁ、何らかの理由で調査していて本人が知らない情報も収集していた、というのならおかしくはないかもしれないが、エルザの言葉はそういう感じではない気がした。
邪気蓄積症にかかる前から、聖気が使えなくなっていた、というような。
そうだとするなら、貴重な聖気を使うことが出来る聖女であるリリアンが、辺境都市に過ぎないマルトの孤児院の院長、という東天教の末端も末端の地位にいた理由も納得がつくというのもあった。
実際、エルザはそんな俺の予想に沿うような事実を言う。
「お聞きかどうかはわかりませんが、リリアンは十年ほど前までは、ここエフェス大寺院に僧侶としておりました。もともと、彼女が東天教の僧侶となったのは、まだ十五の頃でしたが、そのときからすでに強力な聖気を身に宿し、将来を嘱望される聖女だったのです……」
やはり、リリアンがマルトなんていうど田舎辺境都市にいたのにはそれなりの理由があったらしい。
……いや、田舎じゃないぞ。まぁまぁ栄えている方なんだぞ。
と、反論したくなるが、別にエルザはマルトを田舎だとは言っていないので反論できない。
「それなのにマルトに? 実際に住んでいる私が言うのも何ですが、あそこはここ王都とは比べものにならないほどの田舎です。そのような才能ある聖女を常駐させるような土地ではないと思うのですが……」
そう言ったのは、俺ではなくロレーヌである。
ロレーヌまでマルトを田舎扱い……と思わないでもないが、彼女は帝国出身のいわば生粋の都会娘であるのでこれまた文句も言えない。
田舎者は俺だけか……となんだか萎縮した思いを感じつつ、二人の会話を横で口を挟むことなく聞いている俺であった。
二人の会話は、そんな俺の内心とは異なり、非常にシリアスに進んでいく。
内容が内容だからな。
まじめに聞くべき話であるのは間違いないだろう。
俺はふざけすぎなのかもしれない。
とはいえ内心のことだから許されるだろう。
「そんな……マルトは辺境の中でも力ある土地と聞いています。特に、最近は、新たに迷宮が誕生するなど、注目もされていると……今後、あの土地は簡単には辺境とは言えない重要な場所となっていく、と多くの者が考えているでしょう」
エルザはそう言ってマルトを持ち上げた。
……余裕がある都会人というのはこういうものなのか。
田舎者のちっぽけな自尊心を柔らかな表現で守ってくれたことに涙を禁じ得ない。
エルザ僧正に何かをお願いされたら一も二もなく聞こう……と心に決める。
冗談はさておき、実際、エルザの予想は正しいだろう。
今ですら、《塔》や《学院》が入り込んできている。
あの迷宮でどれくらい有用なものが見つかるのかはわからないが、迷宮という存在の観測というものはかなり長期的に行うものだ。
ましてや誕生したばかりの迷宮、などという世にも珍しいものである。
その研究はかなり力を入れて行われるだろう。
高度な研究所や学問所も必要になってくるだろうし、冒険者や労働者も多く集まってくるだろうことも想像に難くない。
つまり、今後、あの街は栄えていくことになるのは間違いない。
マルトは都会の仲間入りをするのである……。
と、そこまで行くかどうかはわからないが、そうなってくれたらなというのが俺の願望だ。
ただ、雑多な人間が集まるとメリットもあるが、それに比例してデメリットも増えていくからな。
一概にいいとも言えない。
裏路地が荒れてスラム化が進行するとか、単純にもめ事が増えるとか、犯罪が増加するとか。
今でさえ、その片鱗は見えつつあった。
ここに来る前に見た《学院》生徒と商人の争いとか、《塔》の研究者と冒険者のもめ事とか……まぁ、あんなものは序の口だろうな……。
ウルフの仕事が増えるばかりだ。
俺は知らないけどな。はは。
……まぁ、少しは手伝ってやろうとは思う。
「……確かに、今のマルトはエルザ殿のおっしゃるように勢いや活気が感じられる土地になりつつありますね。しかし、リリアン殿が派遣された頃にはそうではなかったはずです」
ロレーヌはエルザの言葉にそう疑問を返す。
エルザはこれに頷き、
「……ええ。その通りです」
「では、なぜ……いえ、立ち入ったことをお聞きして……」
一瞬、さらに深く尋ねようとしたロレーヌだが、これ以上はリリアンのプライベートに深く踏み込みすぎだと思ったのだろう。
質問を抑えた。
けれど、エルザは、
「いいえ。私も少し話しすぎました。リリアンにはあとで謝っておきたいと思います。とはいえ、少し中途半端な気もするので……少しばかり事情をお話ししますと、リリアンがマルトに行ったのは、リリアンに責任のあることではなく、我々教団内部のごたごたによるものでした」
これはよくある話だ。
しかし、東天教ではあまり聞かない。
いや、あっても表に出てきにくい、というだけなのかな?
他の宗教団体だとよく聞くが……。
エルザは続ける。
「ですから、ずっと申し訳なくて……リリアンがマルトに行ってから、わたくしから連絡も何度かしたのですけど、リリアンは自分とやりとりを頻繁に繰り返しているとよくないからと、あるときからほとんど連絡を絶ってしまいまして……今回の手紙は、久しぶりのことなのです。あとで、内容についてはしっかりと確認して……出来ればこちらからもお手紙を送りたく思います。ですので、お手数をおかけするようですが……その手紙につきましても、運搬をお願いできませんでしょうか? 冒険者組合を通しての依頼という形で……」
と、意外な方向に話を進めた。
ただ、手紙をもらったからにはその返信をしたい、というのは人として至極当然の感情である。
それも、久しぶりに知り合いから来た手紙である。
リリアンとエルザは、どうも普通の知人や上司部下というよりは友人に近い立場にありそうな感じなので、余計にそうだろう。
……ふと思ったが、エルザはリリアンと同い年くらいなのだろうか?
リリアンは四十代前半ほど、と思われる恰幅のいい女性であるわけだが、そんな彼女が十代だった頃について普通に語っているということは……。
おいくつですか?
と、尋ねたい衝動に駆られたが、それをしたら大抵は命がなくなるということを俺はよく知っている。
酒場でベテラン女冒険者にそのような質問をした同僚たちはことごとく地面に沈んでいったからだ。
ああいった光景を何度か見て、俺は女性には年は聞くべきではない、と理解した。
……とはいえ、今でもたまにふっと聞いちゃうときはあるけどな。
修行が足らないのかもしれなかった。
しかし、返信の手紙の運搬か。
まぁ、いずれマルトに帰るわけだし、受けても構わないだろうと思う。
ロレーヌもそう思ったのか、俺に目を合わせ、アイコンタクトで簡単な意志疎通を図ってから、エルザに言った。
「……そういうことでしたら、お受けすることは構いません。ただ、私たちはしばらく、この王都に滞在する予定がありまして……リリアン殿に届けるとなると、そのあと、ということになりますが、それでもよろしければ……」
「ええ、そこまで急を要しているわけでもありませんので。そちらで構いませんよ。では、お手紙を書き終え次第、冒険者組合を通してご連絡いたしますので……どうぞよろしくお願いします」