第395話 塔と学院、配達
――思った以上に若いな。
それが、東天教僧正エルザを見たときの俺の第一印象だった。
僧正、という地位は他の宗教における枢機卿や主教などに該当する高い地位であり、団体のトップが亡くなるなどした場合に、新たにそこからトップが選ばれるという宗教団体の中でも重要な地位でもある。
そのような立場に選ばれるとなると、人品、教養、経験など、多くの事柄についてかなり高いものが求められ、結果としてそれなりの年齢でなければつくことが難しいことは、想像に難くない。
にもかかわらず、エルザ僧正は非常に若い。
実際にどれくらいなのかは、ぱっと見で女性の年齢を当てる妙技を身につけていない俺にはわからないが、少なくとも、この人を見て三十代後半に至っていると見る者はなく、また人によっては十代であると答える者もいるかもしれない、という感じだ。
だだ、概ねの人間は二十代であろう、と答えるだろうとは思う。
それは、見た目に若さが感じられない、というより、その瞳に宿る理性と、全体から感じられる落ち着きが十代というのはありえない、と感じさせるからだ。
ヤーランにおいてはさほど珍しくない烏の濡れ羽のような黒髪に、同じく漆黒の瞳を持ったその女性は、応接室に入ると同時に、深く俺たちに頭を下げる。
俺とロレーヌが立ち上がり、同様に礼を返すと、エルザ僧正は口を開いた。
「……遠路はるばる、遠いところからお手紙を届けに来ていただき、まことにありがとうございます。リリアン・ジュネから、僧正エルザへ向けてのもの、ということで……わたくしがその、エルザ・オルガドでございます」
これに対し、答えたのはロレーヌである。
なぜなら、今回この依頼を受けたのはロレーヌであり、俺は基本的には付き添いであるからだ。
とはいえ、一緒に手紙を運んできたという事実はあるから、ここにいることは許されると思われる。
そもそも、リリアン的にはロレーヌに頼んだと言うより俺たちに頼んだ、という感じだろうしな。
「これはご丁寧に……。銀級冒険者のロレーヌ・ヴィヴィエと申します。こちらは連れの、レント・ヴィヴィエです」
そこでファミリーネームが同じ事に少し考えたような視線を向けたエルザだったが、ロレーヌはそんな彼女に浮かんだ疑問に気づきながらも特に説明することなく、本題に入る。
そもそも、夫婦であるとか同じ家の出であるとか、いろいろと理由は考えられるからな。
エルザも流すことにしたのか、ロレーヌの言葉に耳を傾けた。
「今回、私はリリアン殿から直接に、このお手紙をエルザ僧正にお届けするようにと依頼されて参りました。どうぞ、お受け取りください」
そう言って、ロレーヌは手紙を取り出す。
懐から、というか魔法の袋からだな。
「銀級の……? ……そうですか。失礼ですが、ここで開封しても? 気が急いてしまいまして」
エルザがロレーヌのクラスを口にしたのは、手紙の運搬程度であれば銅級でも事足りるからだろう。
わざわざ銀級に頼むことでもない、ということだ。
もちろん、重要な手紙であれば高位の冒険者に依頼されることも少なくないが、リリアンはマルトの孤児院の院長である。
さほど金銭的な余裕があるわけではなく、あえて銀級に頼むようなことはしないのではないか、と思ったのかもしれない。
実際、ロレーヌが受けたのはリリアンが銀級にわざわざ頼みたかったから、というわけではなく、たまたま知り合いがそうだった、というに過ぎない。
ちなみに依頼料も規定料金を支払うとリリアンは言ったが、ついでだからとロレーヌは割り引いていたりする。
また、ここで開封すると彼女が告げたのには二重の意味があるだろう。
一つ目は、彼女が口にしたように、出来るだけ早く中身が見たいというわかりやすい理由である。
そして二つ目は、本当に手紙が正しく届けられたのかを確認させてくれ、という理由だ。
前者についてはあくまで建前で、後者の方が本来の理由になるだろう。
通常、冒険者に手紙の運搬依頼を出したら、冒険者が中身を確認したりすることはまずない。
というか、依頼主の許可なくそんなことをしたら、普通に罪になってしまう。
しかし、中には不埒な者もいて、勝手にのぞき見るようなことをする冒険者もいないではないのだ。
もちろん、そんなにたくさんいるわけでもないのだが、一応、念のため、という確認は重要である。
ロレーヌはエルザの言葉に頷いて、
「もちろん、構いません。どうぞ、ご確認ください」
そう答える。
エルザは頷き、
「では……おっと、立たせたままでしたね。どうぞ、腰掛けてください。わたくしも座らせていただきますので……」
そう薦めてきたので、俺とロレーヌは再度、応接室の座り心地のいいソファに収まった。
俺たちがそうしたのを見て、エルザもそうしたが、彼女をここまで案内してきた女性僧侶は黙ってエルザの後ろに立ったままである。
何か、用事を申しつけられたときにすぐに動けるように、ということだろう。
それと、まぁ、俺たちが何かエルザにしようとしたときに盾になれるように、とかそういうのもあるだろうな。
女性僧侶には武術の心得がある気配がする。
現実に俺たちの相手になるかどうかはわからないが……俺はともかくロレーヌが本気で魔術を放ったらどうにもならないだろうな。
ただ、もちろんその場合、俺たちは捕まるだろうし、そうならなかったとしてもお尋ね者である。
そんなことをすることはないので安心してほしいところだが、こういうのは常に警戒してなんぼのことだから仕方がない。
そんなことを考えていると、エルザは手紙を翳し、はっとした顔をする。
「……どうかされましたか?」
ロレーヌがそう尋ねると、エルザは首を横に振り、
「……いえ。懐かしい気配がしましたので……」
と答え、それから何事か、東天教のものだろう聖句を唱えた。
すると、エルザの周囲に淡く青白い光がふわりと漂い、そしてそれに呼応するようにリリアンの手紙にも同様の、しかし少し質の違う光が輝いた。
これは、紛れもなく、聖気の輝きである。
リリアンも聖気を操る聖女だったわけだが、このエルザ僧正も同様に聖女ということだろう。
別に、宗教団体で高位聖職者になるために聖気使いであることが必須、というわけではないのだが、使えると比較的、初めから高い地位につけられることが多い。
必然、出世も早くなるため、高位聖職者になりやすいという事実はどこの宗教団体でもあるようだとは聞いたことがある。
エルザの地位に見合わない若さも、これが理由というのなら納得である。
しばらくして、聖気が落ち着くと、手紙の封蝋が炭化するようにぼろぼろと崩れて消えた。
初めて見る光景に、俺がロレーヌの方をちらりと見ると、彼女が小声で説明する。
「……主に高位聖職者が使う、封印術の一種だな。聖気を使用したもので、一般にはあまり知られていない。術の正しい解き方、鍵のようなものだが……それを知る者以外が勝手に手紙を開こうとすると痕跡が残るのでばれる、というわけだ。その場合、聖気により印されるので、誰が手紙を開いたかもばれる。とは言え、聖気を使える者であればその印については消すことも出来るらしいが……」
これを、ロレーヌは特にエルザに聞こえないように言った、というわけではなかったので、エルザもしっかり聞いていたようだ。
「よくご存じでいらっしゃいますね。その通りです。リリアンは、しばらく前に聖気を使えなくなっておりましたので……このような形式で送られてきたのが久しぶりで……」