第39話 新人冒険者レントと新月の迷宮
豚鬼というのは、そのまま名前の通り、豚の頭を持った、人ならざる生き物――つまりは魔物であり、この都市マルト周辺で言うなら、森の中、もしくは《新月の迷宮》で生息している。
つまり、豚鬼についての依頼を受けたなら、《新月の迷宮》に行くか、森の中に入って彼らを探して倒す、ということになるのだが、俺がどちらを選ぶかは自明だった。
なにせ、森の中で生活している豚鬼というのは群れで生活していることが多く、また長く生きている個体が少なくない。
そのため、迷宮において湧出したそれと比べると強い、とされている。
これは事実で、実際、森において出現する豚鬼は集団戦を仕掛けてくることすらあるくらいだ。
ソロで戦うにはいかにも分が悪い相手である。
しかし、迷宮の豚鬼は、その見た目通り、非常に頭が悪い。
まず群れで協力して戦うなどという発想はない。
さらに森の豚鬼は通常のものですら何かしらで武装していたりするのだが、迷宮の豚鬼は襤褸切れを一枚纏っている程度で、攻撃力防御力とも非常に貧弱だ。
この理屈は実のところゴブリンにも当てはまるのだが、豚鬼の場合が最も顕著で、だからこそ森の豚鬼狩りは割に合わない。
だから俺は迷宮に潜るのだ。
そんなわけで、久しぶりに訪れた《新月の迷宮》の入り口は非常ににぎわっていた。
俺が昨日まで狩場にしていた《水月の迷宮》とは雲泥の違いである。
その理由は、こちらの迷宮で狩りをする方が、駆け出しであろうとそれ以上であろうと効率がいいからだ。
ただ、一つだけ条件が必要で、それは、その冒険者がソロではない、ということだろう。
なぜなら、この《新月の迷宮》において、魔物は複数体で襲ってくることが珍しくないからだ。
《水月の迷宮》よりも道幅が二倍程度広く、一人で戦うとどうしても囲まれやすくなる。
魔物自体も《水月の迷宮》のそれより若干強力で、それは《新月の迷宮》の方が迷宮としての格が上だからだ、とも言われているがそれが事実かどうかは分からない。
わいわいがやがやと、おそらくはパーティごとで固まって雑談らしきものに興じているように見える人々をしり目に、俺はとことこと入り口まで向かって歩いていく。
別に、彼らは遊んでいるわけではない。
迷宮内部でメンバーそれぞれがどういう立ち回りをするかなど、作戦の最終確認をしているのだ。
そう言ったことはそれなりの経験を積んだ冒険者にとっては珍しくないが、この都市マルトでは駆け出しでもそれをやっている。
これは、都市マルトのベテラン冒険者たちが地道に長い年月をかけて広めてきたことだ。
これをするかしないかでは明確に生存率に差が出るため、駆け出しには必ずしっかりと迷宮内部での立ち回りについては相談するようにと教えてきたのだ。
それが根付いている、ということだろう。
聞くところによると他の地域では未だにそういうことをする者は、駆け出しにはほぼ皆無であるということだから、都市マルトの冒険者は割と頑張っている方だと思う。
ちなみに、冒険者パーティたちの横を通り過ぎるとき、視線が若干気になった。
別にじろじろ見られているわけではないが、パーティメンバーも無しに一人で《新月の迷宮》に潜る冒険者は少ないのだ。
全くいないわけではないのは、魔物たちに囲まれても対応できるだけの腕がある者にはそれが可能だからだ。
俺はどうかと言えば……どうかな?
微妙なところだ。
魔物の力を吸収してそれなりに強くなっているとは思っているが、それはあくまでも骨人やゴブリン、それにスライムなどを相手にして判断した感覚に過ぎない。
それらよりも格上の魔物である豚鬼などを相手にして、どこまでやれるのかは、実際にやってみなければわからないだろう。
とは言え、《新月の迷宮》においても、浅い階層であれば骨人たちなど、馴染み深い魔物たちが出現する。
豚鬼のようなものは少し深く潜らないと出てこない。
とりあえずは、浅い階層で実力を確かめつつ、徐々に深く潜っていくのがいいだろう。
そう考えながら、俺は迷宮の中に入った。
◇◆◇◆◇
――やっぱり、パーティ推奨と言うだけあるな。
《新月の迷宮》に潜ってしばらく、俺は深くそう思った。
なぜなら、今、俺は魔物に囲まれながら戦っているのだから。
それほど強力な魔物たちではない。
むしろ、俺にとってはもはや友達とも言っていいくらいに何度となく戦った、骨人とスライムの集団で、それぞれ二体と三匹程度しかいない。
しかし、その程度でもやはり今までのように楽に勝つ、というわけにはいきそうもなかった。
《水月の迷宮》において、一対一で彼らを相手にしていた時は、それぞれの弱点を即座に突いて勝利を収めることが出来ていたが、複数体で向かってこられると、その弱点を突ける隙が中々見つけられないのだ。
それぞれの魔物たちが間断なく俺に攻撃を加えてきて、それを避けるのでまず大変だし、剣を振るっても狙ったところには中々当たらない。
地味に持ちこたえて削っていくしかないのが厳しい。
消費を考えずに勝負に出れば瞬殺に近い勝ち方も出来そうだが、俺の目的は豚鬼なのだ。
魔力や気をここで使い果たしていざ豚鬼と戦うときに燃料切れ、となるのは本末転倒である。
ここは温存しつつ頑張るところだろう。
歩きながら回復できる程度の強化で抑えて、一撃必殺のような戦い方はしないで頑張る。
まぁ、それでも十分戦えるというか、一匹ずつ減っていき、最後にはほぼ無傷で勝利出来ているのだから問題はないだろう。
スライムの酸弾がローブに少しかかったが、まるで溶けていないことから、防具の耐久性が高いことも確認できたし、武器も刃こぼれ一つしていない。
これなら豚鬼とも戦えそうだ……。
そんなことを考えながら、俺は倒した骨人とスライムから魔石だけを回収し、腰につけた皮袋に突っ込む。
入れた量より明らかに容積が少なそうな袋だが、これは魔法の品であり、それなりに内部空間が拡張されているため出来ることだ。
もともと俺が生前から持っていたもので、そこそこ高価だったが、五年も貯金すれば俺程度の冒険者でも買えないことはないくらいのものだ。
入る容量もそれほど大きくない。
せいぜいが、普通サイズのリュック五、六個分くらいだろうか。
魔石だけ集めるのなら問題はないサイズだ。
高価なものだと竜一匹くらい入るものもあるらしいが、そんなものは逆立ちしたって買えるわけもないので、今の俺には関係がない。
いつか頑張ってそんなものにも手が出せるようになりたいものだが……夢のまた夢だ。
夢を追いかけるのを辞める気はないけどな。
すべての魔石を回収し終わった俺は、迷宮を進んでいく。
《新月の迷宮》は、階層ごとに内部構造が大きく変わるタイプのもので、確か次の階層は……。
一度も行ったことがないところにそろそろ踏み入れるため、俺はそれを目にするのを楽しみにして、次の階層へと続く階段を下りたのだった。




