第389話 塔と学院、王都
「そろそろ王都ヴィステルヤだ。身分証なんかを、準備しておいてくれ」
御者の声が響く。
都市マルトから五日、馬車に揺られてやっとたどり着いたようである。
幌の外を見ると、王都に入るための検査待ちの列に並んでいるところのようだった。
馬車は進んではいるが、先ほどまでとは異なり、かなりゆっくりとした速度になっている。
ちなみに御者は、しっかりとウルフが見つけてくれた、口の堅い人間だという話だった。
本来なら、それがどの程度信用できる話かは謎だが、ウルフだって俺が不死者だ、なんて話はどこにも広めたくないだろうからな。
信用していい、ということになる。
それに加えて、その御者の顔には正直、俺もロレーヌも見覚えがあった。
ウルフの前では黙っていたが……。
「……王都の、特に貴族街から奥には数多くの結界や警戒設備があります。よくよく、お気をつけてくださいますよう……」
御者が、口調を変えてそんなことを言う。
その様子は、辺境都市マルト、などという田舎で活動する御者、というよりかは、よく躾られた執事、という雰囲気だ。
俺は彼の言葉に頷き、
「ああ。ただ、これさえあれば、反応しないってことでいいんだよな?」
俺はそう言って、ローブの内側、身につけている麻製の服に取り付けられたボタンを示した。
それを見て、御者は頷き、
「ええ。ただ、外した場合、どうなるかはわからないとのことです。せいぜい、貴族街でしたらまだ、何とかなるかもしれませんが、王城となると……。ただ、レント様でしたら、案外無反応である可能性も高いともおっしゃっていました」
そう答えた。
これにロレーヌは、
「レントは色々な判別機にすでにかけている。その結果を見る限り、私も無反応の方に賭けるが、用心するに越したことはないからな。私の方でも一応、いくつか対策は考えていたが、多くの特殊な魔道具を保有しているラトゥール家の協力を得られるのはありがたい。ただ……イザーク殿はあとでラウラ殿に叱られないのか? 彼女は眠っているわけだが」
そう尋ねた。
そう、この御者は、ラトゥール家の人間……人間じゃないか。
下級吸血鬼であり、ラウラやイザークの部下にあたる。
どちらの眷属なのかはわからないが、どっちにしろ俺の秘密をどこかに漏らす心配など一切ない、というわけだ。
というか、漏らす気になられたらもうその時点で詰むというだけだけどな。
ラウラにもイザークにも、俺は勝つことは出来ない。
単純な戦闘力でもそうだが、権力という意味でもだし、経済力という意味でもそうだ。
ここはもう、変に疑わずに信じて頼った方が気が楽というものである。
「ラウラ様は眠る前から、レント様のことをお気に召しておられました。ですから、レント様のために行動することを咎められることはないでしょう。それに、ラウラ様は滅多に怒ることのない方です。そのくらいのことでは、仮に意に反していたとしても笑って許されると思います」
ロレーヌの心配に、下級吸血鬼はそう答えた。
結構自由な主従関係なのだな、と思う。
かといって、この下級吸血鬼やイザークがラウラに対して反抗的、というわけでもないだろう。
信頼なのかな。
それとも、ラウラは本当に完全に反抗されても笑って許すタイプなのかもしれない。
……なんだか、そっちのような気がしないでもない。
嘘かほんとかはわからないが、吸血鬼は退屈を嫌う、という俗説がある。
それが事実だとしたら、暇つぶしになるなら反抗してくれても構わない、くらいの感覚を持っていたとしてもおかしくはない。
……おっかない話だな。
だとしたらイザークもこの下級吸血鬼も全く信用ならないという話になってしまいかねないが……まぁ、そこは気にしてもな。
さっきも言ったようにどうしようもないし、そこは諦めておこう。
もしものときはとにかく逃げる、それしかない。
幸い、俺たちには転移魔法陣があるし、王都からならあの古代都市を経由すれば容易に追いかけられないところまでだって逃げることが出来る。
「……では、そろそろ私たちの番のようです。検査を担当する門番の兵士が幌をあけて確認すると思いますので、身分証はそのときに提示してください」
そう言って、御者である下級吸血鬼はまっすぐに前を向き、馬車を進めたのだった。
◆◇◆◇◆
「……乗客は二人、か?」
しばらくすると、先ほど下級吸血鬼が言ったとおり、門番が幌をあけて覗いてきた。
俺とロレーヌは曖昧に笑う。
俺が笑ったって全然伝わらないわけだが、ロレーヌの微笑みはそこそこ効果があったのかもしれない。
門番の雰囲気が若干柔らかくなった。
別に一目惚れした、とか色香に惑わされた、というわけではなく、大概、こういうときの馬車の乗客というのは疲れ切ってるからな。
笑顔なんて向けず仏頂面が多い。
笑顔を向けるのもいるが、そう言うのは大半、商人とか、入街に当たって門番が警戒すべき人間だからな。
ロレーヌのような、商人ではなさそうな若い娘が微笑みかけるのは珍しい、というわけだろう。
門番は若い娘には怖がられる対象だしな。
色々な意味で。
王都の住人であれば門番を見る目も違うんだろうが、初めて訪れた街の門番に微笑みかける若い娘は貴重だ。
とはいえ、
「……お前の方は、仮面?」
俺の方まで警戒が解かれるというわけでもない。
というか、俺は見るからに怪しいからな。
とはいえ、それでも説明すればいいだけの話だ。
俺は冒険者証を差し出しながら言う。
「顔に傷を負いまして……治す金を今貯めているところなのです」
これに門番はなるほど、と言った表情で、しかし、確認しなければならないと思ったようで、
「一応、仮面をとって見せてくれるか? 一瞬で構わないんだが」
そう言ってきた。
俺としてはもう、外して見せてもいいんだが、これが外せないんだよな。
とはいえ、見せる方法はあるが……。
一応尋ねる。
「外すことは出来ないんですよ。これ、どうも呪われているらしくて」
「なに?」
怪訝な表情をした門番に、顔を差しだし、思い切り引っ張ってもらうように頼んだ。
不思議そうな顔で、しかしそういうなら、と言われたとおりにした門番はすぐに納得し、なるほど、それなら仕方がない、と言った。
「まぁ、顔は見せてもらった方がいいんだが、冒険証も真正なもののようだしな。構わないだろう。あとは……来訪の目的だが」
これは今回は素直に答えられる。
俺は言う。
「マルト冒険者組合から、王都本部の総冒険者組合長への報告のため、派遣されてきました。あとで王都本部に参りますので、確認していただければ」
すると、王都本部の信頼は絶大なのか、門番は、
「そうか、そうか。そういうことなら……わかった。あとで確認しておこう。ただ、念のため言っておくが、それが虚偽だった場合には大きな問題になる。わかっているな?」
と少し凄んでくる。
本当に嘘ならおびえるべきところだろうが、全く嘘ではないので、
「はい、問題ありません」
そう頷いたので、門番も怪しいところはないと思ったらしい。
ロレーヌの冒険者証も改めた上で、入ってよし、と告げ、馬車は王都の門をくぐったのだった。