第387話 閑話 望まぬ不死の迷宮管理人(前)
……。
………。
…………?
「……目覚めましたか。我が、同志よ」
水底から浮き上がった俺の意識に、ふと、そんな声がかかった。
耳元で聞こえた、甘く怪しい声。
しかし厳粛として、まるで神か悪魔のような響きだった。
俺は驚いて、しかし体の自由がさほど利かないため、ゆっくりと、しかし確実に目を開いていく……。
……薄暗い、景色だった。
太陽の下にお前の居場所はないのだとでも言うような、責め立てるような主張を感じる。
いや。
いくらなんでも被害妄想にすぎるか。
確かに俺は不死者ではあっても、そこまで悪辣なことはしていないのだ。
お天道様に顔向け出来ないような、そんな存在であるつもりなど、ない。
けれど。だったら、ここは何だ?
そう思った俺に、再度、声がかかる。
「同志よ、困惑していますね。しかし、不安に思うことなどありません。ここは我らが新たな繁栄の地。正しく楽しめば、きっとその心には歓喜と快感で満ちることでしょう。さぁ、心を開くのです、同志よ……」
その声は、後ろの方から聞こえてきたのだ、と気づく。
そして俺がゆっくりと体をそちらの方に向けると……。
そこには、二人の人物が立っていた。
一人は、仮面舞踏会のような、豪奢な羽根のついた、目だけを覆う形の仮面をかぶった、ツインテールの少女。
そしてもう一人は、そんな少女につき従うような格好で立つ、同じく仮面を纏った銀髪の美男である。
どちらも尋常ではない雰囲気を放っていて、明らかに人ならざる者であると思わずにはいられなかった。
……というか。
「……おい。これは一体なんなんだと思ったら……おまえたち、ラウラとイザークだろう」
そう、俺にはその二人組に見覚えがあった。
立ち姿、雰囲気、存在感、そのどれをとっても、見間違いようがない。
男の方はまぁ、もしかしたら似たような存在がどこかにいるかもしれない、とは思う。
しかし少女の方に関しては……。
気づかなければそれまでだが、気づいてしまうと、震えそうになるくらいの強烈な圧迫感があるのだ。
同じくらいの感覚を覚えたのは、せいぜいが、《龍》に出会ったそのときくらい、ということになるだろう。
そんな存在が、ぽんぽんそこら辺にいてもらっては困る。
つまり、確実にそこにいる少女はラウラであり、そしてそんな彼女に黙ってつき従う美男など、イザークしか思いつかない。
そんな指摘をした俺に、少女は言う。
「……な、なんのことかしら……私はそんな、ラウラなどと言う美少女のことなど知りませんよ」
などと白々しいことをあわてて言う。
しかし美少女って。
確かに美少女だったが、自分で言うか?
「……じゃあ、誰なんだ?」
とりあえず、言い訳に乗ってやると、ラウラは言う。
「それは、ここ、《死者の迷宮》の四天王が一人、女王ですわ。ねぇ?イザー……じゃなかった、執事?」
「さようにございます」
イザークが黙ってそれに頷き、答える。
どう見てもラウラとイザークであるが、それで押し切るらしい。
……まぁ、いいだろう。
それはおいておこう。
それよりもだ。
「……大体、ラウラは今、眠っているんじゃなかったのか? なんで起きてるんだ。そもそも、起きてるんだったら色々と聞きたいことがだな……」
ぶつぶつとそんな話をし始めた俺に、ラウラ……ではなく、女王は、
「……しー。ラウラという美少女は今、まだ寝ていますわ。ですけど、ただ寝ているのは暇だ、と考えているらしいです。それで、ちょっとばかり、暇つぶしのためにこんなことを……まぁ、これは夢だと思ってください。現実に何の影響もない、夢だと」
「……夢? これが?」
その割にかなりの質感を感じるが……まぁ、この言い方だと、何を聞いても答えてくれる気はないのだろうな。
そもそも、彼女に無理矢理何かを聞き出せる気がしない俺である。
イザークにすら、勝てる可能性はないのであるから、従う以外にもともと道はないのだ。
俺は諦めて、尋ねる。
「……まぁ、そういうことならいいだろう。だけど、一体何がしたいのかは教えてくれよ……俺に何を期待してこんなところに呼んだんだ? そもそも、ここはどこだ。さっき死者の迷宮がどうのとか言っていたが……」
「ああ、そうですね。ここは私が保有する迷宮の一つで、特に名前はなかったのですが……今日は《死者の日》です。ですから、ちょっとここで遊ぼうと思いまして。名前もついでに《死者の迷宮》ということに今日決めたのです。ここまで、よろしいですか?」
「……そもそも《死者の日》ってなんだ」
「遠い国で行われている記念日です。我々は不死ですが、すでに死んでいるとも言えるので、つまり死者ですからね。何かみんなでおもしろいことが出来ないかと思いまして」
「……そうか。言われてみると……ここにいるのはみんな不死者か」
ラウラ、イザーク、そして俺。
三人とも不死者である。
ただ、
「ここにいない奴もいるよな?」
「ええ。これから呼ぶ予定ですが、その前に、ちょっとお話を……ごにょごにょ」
そういって、ラウラは俺に今回の企画概要を説明した。
……何やってるんだ、こいつは、と心底思ったが、寝てるだけが暇だというのはわからないでもない。
同情からだが、とりあえず、協力をすることにした俺だった。
◆◇◆◇◆
「召喚!!」
目の前に巨大な魔法陣が出現する。
唱えたのは、ラウラ……ではなく、女王である。
アホみたいに強大な魔力を感じる。
その気になればマルトくらい完全消滅させられそうな魔力だ。
そもそも、召喚って……それ、転移魔術だろ?
なんで使えるんだ。
突っ込んだら負けか……。
色々と考える俺の前に、そしてある人物が現れる。
そいつは、魔法陣の上に、抱き枕を抱いて、パジャマ姿で現れた。
ファンシーな水玉のパジャマである。
すぅすぅと気持ちよさそうに眠っているが……。
突然訳の分からないところに呼ばれたのにも関わらず、目覚める様子はなかった。
それを見かねたイザーク……ではなく、執事が俺の耳元に口を寄せて言う。
「……女王は、そこの少女を起こすように仰せです。歩兵、どうか……」
四天王の名称はきっと適当なのだろうが、俺もその一員らしい。
そして歩兵の二つ名をいただいた。
……四天王って言うより捨て駒の名称のような気がしてならない。
まぁ、合っているとは思うけどな。我ながら。
ちなみに、四天王最後の一人は、俺の使い魔エーデルである。
さっき召喚されたばかりだ。
二つ名は悪戯鼠。
……俺より豪華で気が利いてる名前なんだけど、何なんだ。
扱い悪くないか、と思うがまぁ、仕方がない。
俺はとりあえず、少女の元に近づき、揺すった。
「……おい、起きろ」
「う、うーん……もう食べれません! いや、食べます……」
食うのか。
じゃなかった。
「起きろって。ほら……」
根気よく揺すっていると、やっと気づいたようで、
「……あぁ……うーん……ええと……ん? レントさん?」
という声が聞こえた。
「あぁそう……じゃなかった、俺は《死者の迷宮》四天王が一人、歩兵だ。間違えるな」
あやうく頷こうとしたら、女王と執事からギンッ、と睨まれて慌てて訂正する。
少女は不思議そうに目をこすっているが、正体を明かしたりはしない。
……いや、どう見ても明らかなんだけどね……。
「さて、目覚めましたね。我らが使者よ。リナ・ルパージュよ」
そう、召喚されたのは、リナであった。
彼女も死者だからな。
死者の日にふさわしい……かもしれない。
「……え? え? あっ、ラウラさんじゃないですか。あと、イザークさん……?」
「……女王と執事です。間違えないように」
女王が厳しくそういうが、リナは首を傾げていた。
仕方がなく、女王がリナのもとにつかつか歩いていき、耳元で何かをつぶやく。
すると、リナは震えたようになって、
「……ク、女王と執事、そして歩兵と悪戯鼠さん、何か私にご用でしょうか……?」
と尋ねてきた。
一体なにを言ったんだ……と不思議だったが、そこには触れずに、女王はリナに言う。
「ここに呼んだのは他でもありません。あなたに、この迷宮、《死者の迷宮》を管理してもらおうと思いまして。目標は、この迷宮において冒険者千キル達成です」
……相当不穏な提案だった。
◆◇◆◇◆
「せ、千キル……? キルって?」
「殺すことです」
女王の答えは身も蓋もなかった。
いや、迷宮なのだから、入ってきた冒険者を殺すというのは至極まっとうな目標かもしれないが、俺とリナは善良な人間なのである。
それっていいのか、と思わなくもない。
しかし、女王は言う。
「……まぁ。あんまり罪悪感とかは気にしないでいいです。この迷宮は非常に特殊なので、ここで死んでも迷宮の入り口に生き返って戻りますから」
本当か?
と聞きたくなるが、たぶん本当だ。
さっき、人間ではないが、小さな魔物で実験して確認している。
リナも怪しむが、しかし、
「そういう夢なんですよ。夢じゃないと、ここに貴方がいるのはおかしくないですか?」
女王はそう押し切った。
というか、なんか魔術の気配がした。
リナの目がぐるぐると洗脳されたように一瞬なったのは気のせいではないだろう。
これでもう、彼女はその点について気にしなくなってしまった……南無。
ちなみに俺も同じような状況なのかもしれない。
なんだか妙にそういうことに対して忌避感が薄い……。
まぁ、どっちにしろただの夢なのだ。
気にしても仕方がないだろう。
目覚めればそう、元通り……。
「はい、分かりました……それで、迷宮の管理って言いますけど、具体的に何をしたら?」
リナが聞いてきたので、女王は答える。
「主に、魔物の配置と、迷宮全体の組み替えなんかですね。罠の設置も含みますので、色々やってみてください。ちなみに、近くに都市マルトに大きさの近い街があります。ヤーラン王国ではないですから、ここでどれだけ派手なことをやろうとも問題はありません」
不穏だ……不穏すぎる。
しかし、ここまで来たら、やる他ないだろう。
リナも同じ気持ちだったのか、それとも妙な洗脳の結果か、
「はい! 分かりました。私、頑張ります!」
と元気よく言った。
……大丈夫なのかな。