第386話 塔と学院、出発
「……観光じゃないんだけどな」
ぼそっと俺がつぶやくと、リナは、
「えっ。でも王都にはいっぱい楽しいところがありますよ? 色々見ておいて損はありません!」
と力説する。
都市マルトと比べ、王都ヴィステルヤは相当な都会である。
そもそもマルトはそこそこの規模があるとはいっても、辺境の田舎都市だからな。
ヤーラン王国の首都に当たる王都と比べること自体が間違いである。
このマルトだと大きな商会にあるかどうかの昇降機だって、王都ならおそらくありふれているだろうしな。
それこそ《塔》や《学院》にはきっとあるだろうし、その辺の建物にもあるだろう。冒険者組合本部にもあったっけかな。前にも一応行ったが、あのときは慌ただしかったし、一階しか見物していないから記憶がない。まぁ、かなり巨大な建物だったし、たぶんあったんだろうと思う。
……まぁ、別に昇降機を見に行くわけでもないが、マルトにほとんどなくて、王都にはありふれているだろうものの代表として挙げてみただけだ。
「暇だったらな……お土産もあんまり期待するなよ」
たぶんそれなりに時間はあるとは思うが、それも絶対ではない。
ウルフが任せた仕事である。
何か、こう、危険なものがあるような予感がしてならない。
人を迎えに行くだけで何が危険なのか謎だが、用心しておくに越したことはない。
「あぁ、あんまり時間がないときは王都入り口に土産物店がありますから、そこでならぱぱっと買えちゃいますよ」
……諦めないな。
まぁ、もともとリナは王都に住んでいて、愛着が深いのだろう。
ホームシック、とまでは言わないが、何か王都のものに久々に触れたいのかもしれない。
そう思って、そんなことをリナに尋ねてみれば、
「えっ?」
と首を傾げられてきょとんとした顔をされた。
まるで予想外のことを言われた、そんなことは考えもしていなかった、という顔である。
それを見たロレーヌが、
「……深層心理では思っているが、ほぼ無意識な行動だと言うことではないか? リナは若干天然が入っているからな……あまり思い悩むようなタイプでもないし」
と推測を述べる。
確かに、出会った頃からリナはそういうタイプである。
普通の人間なら、喋る不死者に会ったら死を覚悟するか死ぬ気で逃げるかとにかく倒そうとするかのどれかだ。
なんとなく喋っても大丈夫そう、とか普通は判断しない。
それに加えて自分が不死者になってしまったら、もっと取り乱す。
リナも全く何も衝撃を受けていない、というわけではないだろうが、あっさりとしたものだ。
お前、自分を棚に上げて何を言ってるんだ、という感じだろうが、俺だってそこそこ悩んではいるからな。
ただ、あんまり見たくない現実は振り返らないようにする、という癖が銅級からさっぱり上がれなかった十年間で染み着いていたから、同じようにしているというだけだ。
こうなっても俺の本質は変わっていないということだな。
そういう諸々を考えると、真剣に悩みすぎるようなタイプが不死者になるのは向いていないのかもしれないな。
そういう奴は、いずれシュミニのようになってしまうのかもしれない。
俺やリナは、ああなる想像がまるでつかない。
人間に戻るのを諦めたとしても、せいぜい墓場で楽しく歌ってるくらいが終着点になるだろう。
ともあれ。
「……リナがホームシックに悩んでいる、というわけじゃないならいいか」
「まぁ、表面上はな。ただ、心の奥底では王都が恋しい部分もあるのだろうし、土産ぐらい買ってきてやることにしよう。お前が忙しいなら私が時間を見つけて買っておくから」
「……ロレーヌの仕事がどんどん増えるな」
申し訳なくなってそういえば、ロレーヌは不敵に笑って、
「それでもレントに比べたら楽かもしれんぞ」
と恐ろしいことを言う。
その言葉の意味は、何が起こるか分からないからよくよく注意しておけ、ということに他ならない。
「これ以上、あんまりおかしなことは、勘弁して欲しいんだがな……」
「最近のお前はトラブルを呼び込む体質になっているからな。諦めろ」
がっくりと来たが、真理である。
仕方なく運命を受け入れる覚悟を決めて、馬車乗り場に向かった俺たちだった。
◆◇◆◇◆
「お、ずいぶん遅かったな」
馬車乗り場に着くと、そこには意外なことに冒険者組合長ウルフが俺たちを待っていた。
「なんだ? 忙しかったんじゃなかったのか?」
思わずそう尋ねれば、
「忙しいぞ。おまえたちを待っている間も、仕事をしていた」
そういってちらっと見せてきた書類には、マルトに王都から送られてきたらしい物資の納入記録が記載してある。
冒険者組合長自ら、そんな雑用に取りかからなければならないとは、人手不足も本当に厳しいようだった。
そんな俺の考えを見抜いたのか、ウルフは、
「今日届く品の中に、俺が直接受け取らなければならないものがあったんだよ。いつもはやらねぇさ……それより、ほれ、約束の書類だ」
そういって手渡してきたのは、革作りのケースに入った書類である。
かなり色々入っているようで、中を見ると厚い。
一枚一枚確認する気にならない……。
本当はこの場でしっかりしなければならないのだが、
「……ウルフを信じて馬車の中で確認することにしよう」
そう言った。
別に面倒くさいわけではない。
……きっと。
「おぉ、そうしろそうしろ。俺の仕事に間違いはねぇぜ。それと、お前が今回乗る馬車はこれになる。どうだ、なかなかのもんだろう?」
そういってウルフが示したのは、這蛇と呼ばれる巨大なトカゲが《馬》である馬車であった。
ヤモリとかイモリとかによく似ているが、その大きさはけた違いである。
種類としてはイモリの方が近いのかな。
足が速いのは勿論だが、それに加えて水に潜っても平気であり、その気になれば船を引くことすら可能だというきわめて高性能な《馬》である。
見た目からあまり女性人気は高くないが、運送業界では引っ張りだこの人気者だ。
つまり、手配するには結構な手間とお金がかかったはずである。
「よくマルトでこんなもの手配できたな」
ロレーヌが少し感嘆したようにそういった。
マルト周辺ではあまり見ない生き物である。
原産地が遠いんだよな、確か。
「ほとんど偶然なんだがな。運が良かっただけだ。ともあれ、これで王都までは少しは早く着くだろう。頼んだぞ」
ウルフがそういったので、俺たちは頷き、馬車に乗ったのだった。