第375話 学院首席ノエル・クルージュ2
しかし、その予想外の出来事は、ノエルにとってよい結果をもたらしてくれる。
突然現れたその人物は、ノエルのローブの魔術効低下を触れただけで見抜き、その上、商人にその非を認めさせたのだ。
ノエルが概ねやりたいと考えていたことをこれほどまでに鮮やかにやってのけた魔術師。
王都から見れば、辺境都市マルトなどド田舎そのもので、大した人材などいないと思われているが、実際はどうもそうではないようだ。
ただ、可能ならいろいろと尋ねたいとは思ったが、魔術師というのは大半が秘密主義である。
このような人が大勢居るところでノエルが聞きたいことを尋ねても、そうそう答えてくれるとは思えなかった。
それに加え、その魔術師がこれでもめ事は解決ということでいいな、という質問をしてきたため、さっさとこの場を去るのがいいだろうとも思った。
こういう争いごとというのは、その中心人物がいなくなればふっと霧散して何もなかったかのように終わってしまうものだからだ。
《学院》において、比較的、目立つ言い争いをしがちなノエルからすると、それは経験的な事実である。
もちろん、不当に人を糾弾したことはないつもりだが、いかんせん、言い方とか爵位とか成績とかいろいろなものが絡んできて、ノエルの方が悪そうだ、と見られがちではある。
それが分かってきてからは、もめ事自体起こさないように注意してきたわけだが……今回はよくなかったなと改めて反省する。
さらに、魔術師はエリーゼにも同様の確認をした。
彼女はそれに頷く。
それ自体は別におかしくはなかったが、直後、ノエルに対して謝罪をしてきた。
さらに、何か埋め合わせをしてくれるつもりらしい。
まぁ、正義感の強い彼女らしいといえば彼女らしかった。
とは言え、彼女が自分を疑った気持ちは分かる。
確かに最初、彼女が言っていたとおり、この都市マルトに来るに辺り、学院長からはくれぐれも《学院》の品位を貶めるような行為は慎むように、と言われていた。
何も間違った行為をしたつもりはないとは言え、エリーゼの目から見れば、そのような行為に見えていた、というのは理解できた。
だからこそ、謝罪はともかく、埋め合わせなど必要ない。
そう言おうと口を開こうとしたが、まだまだ自分は子供らしいとそのときに思う。
口から出た言葉はかなり皮肉っぽい台詞で、少しだけエリーゼは憤慨したような表情を浮かべた。
しかし、自分の方に非がある、というのはその学年次席を誇る明晰な頭脳で理解していたようで、言い返してこないで少し、鋭い視線をこちらに向けるくらいだ。
視線の伝えるメッセージをあえて言語化するなら、
ーーそのうち吠え面をかかせてあげるわ。
だろうか。
もちろん、殴り合いとか殺し合いとかではなく、《学院》の成績でである。
学生として極めて健全な競い合いだ。
もちろん、ノエルに負けるつもりはないが……最近のエリーゼの成績の上昇は目を見張るものがあった。
もともと、ノエルには学院に来る前から優秀な家庭教師がついていた分、アドバンテージがあったが、それを詰められているというところなのだろう。
これはうかうかしていられない、と心から思う。
そしてそのためには……。
このマルトでやらなければならないことがある。
そう思って、ノエルは《学院》が取った宿へと向かった。
◆◇◆◇◆
「……ノエル・クルージュ。聞きましたよ。馬車乗り場でのこと」
宿に着くと、さっそく、今回、都市マルトの迷宮調査のために来た、《学院》教授の一人であるアデリーナ・モスカに開口一番、そう言われる。
ずいぶんと耳の早いことだ、と思うが、あれだけの騒ぎになったのだ。
他の生徒たちも近くにいただろうし、まぁ、当然かと思い直す。
それから、特に反抗したりはせずに、事情を話した。
すると、はじめは厳しい視線を向けていたアデリーナの表情は徐々に普通のそれへと変わっていった。
まぁ、もともと、その顔立ちは冷たく、氷のようだと言われがちな雰囲気を持った女性である。
少し視線が緩くなっても決して優しげには見えないわけだが、生徒の引率のために来た学院教授の人選としては正しいだろう。
少なくとも、面と向かって彼女に逆らったり、反抗的な行動に出ることの出来る生徒はいない。
性格的な厳しさもだが、魔術師としての実力も《学院》教授の中では上から数えた方が早い方だからだ。
生徒では争いにすらならないだろう。
「……なるほど。事情は分かりました。そういうことでしたら、責めるのはお門違いでしたね……。しかし、そのような場合には自分だけで解決しようとするのではなく、我々教授陣に連絡をしてください。それがもっとも穏便かつ、確実ですよ、ノエル」
アデリーナはそう言ったが、これについてはノエルにも少しは言い分があった。
「それについてはもちろん考えたのですが、商人の気配が何か……不穏で。逃げられてしまう懸念がありました。ですので、あの場ではそれが最善だったと判断したのです」
他にやりようがなかった。
そういうことなのだが、これについてアデリーナは首を横に振り、
「……逃げられても構わないのです」
「え?」
「ノエル。何よりも大事なことは、貴方の身の安全ですよ。もしもその商人に大きな後ろ盾があった場合、たとえヤーランの伯爵位を将来継ぐ予定にある貴方であっても、いろいろな意味で無傷でいられない可能性があります。そのようなことになるくらいであれば……逃がしてしまった方がいい。まぁ、エリーゼほどではないにしろ、見かけより正義感の強い貴方からすると、少し、取りにくい選択肢であるのは分かりますが……貴方はまだ、生徒です。《学院》にいる間は、私たちにその安全を守らせてほしい……私の言っていることが、分かりますか?」
「それは……はい。分かります」
エリーゼと一緒にされたことが少し不服だったが、今になって自分の行動の理由を分析してみると……。
確かに正義感、というのが強く出たのかも知れない。
とにかく、悪いことをした商人を捕まえなければならない、とどこかで思っていたからこそ、ああいう行動になったのだろうからだ。
無理に捕まえる必要はなく、場合によっては逃がしてもよかった、と言われれば確かに、という感じである。
「それなら、いいのです。お説教はここまでにしておきましょう。しかし……その魔術師の方に《学院》としても改めてお礼をしにいかなければなりませんね」
アデリーナはそう言うが、
「いえ、名前も住む場所も尋ねるタイミングがなくて……」
「……そうですか。ですが、貴方が逆らえない、とまで感じるほどの魔術師なのです。少し探せば見つかることでしょう。さて、ノエル。今日のところは休みなさい。明日からは迷宮の調査です。同じ班の生徒たちとその準備をするのを忘れずに」
アデリーナはそう言って、宿のロビーに戻っていく。
ノエルを出迎えた場所だ。
そこからは宿に入ってくる人間全てが観察できるため、今回ここにきた《学院》教授陣が交代で見張っているという感じなのだろう。
それに加えて、おかしな行動をとる生徒をたしなめたりするためか。
ノエルのような。
となると、次にしかられるのはエリーゼだろうな。
そう思うと、どこか愉快な気分になる。
……少し性格が悪いかも知れないな。
そう思いつつ、ノエルは宿の自分に割り当てられた部屋へと進んでいく。