第373話 塔と学院、破損の理由
テーブルの上に置かれたのは、小さな短剣であった。
全体的には無骨ながらも、柄の部分には精緻な紋章が施されている。
あの商人の所属するアリアナの人間であることの証明を兼ねたそれとは別物だ。
ただ、
「……高そうだな」
俺がつい、貧乏性からそう呟くと、ロレーヌがあきれたようにこちらを見て、
「今のお前ならこれくらいのものは買えるだろうが……とはいえ、これが買えるかどうかはわからんがな。そもそも、その辺に売っているものでもない」
そう意味深なことを言う。
「それはどういう……? ん……?」
言われて、首を傾げつつその短剣を観察し、手に取ろうとしてみたところ、物凄く不快な感触がする。
「なんだ、これは」
ぱっと手を離し、テーブルに戻すと、エリーゼも気になったのか、では失礼、と言って、それに手を延ばそうとした。
しかし、その手をロレーヌが止める。
「……君はやめた方がいいな」
「えっ? ……どうしてですか?」
エリーゼが不思議そうに首を傾げる。
それに対してロレーヌは、
「私とこいつはこういうものに対する耐性があるからな。しかし、そうでない人間が直接触れると良くない影響がある可能性がある。少なくともあの商人はこいつをこういうもので包んで持っていた」
そう言ってから、続けて折り畳まれた布を懐から出した。
「……こいつは……なるほど。聖気の宿った布。つまりこの短剣は……」
「そうさ。これは呪物。このマルトには本来持ち込みを禁じられている品だ」
呪物。
それは、呪具、悪魔の道具、闇具、などなど、いろいろな呼ばれ方をしている、特殊なアイテムのことだ。
そして、分かりやすい例を上げるなら、俺の顔面についているこれのようなものである。
まぁ、これは呪物じゃなくて神具に近いらしいから厳密には違うんだけどな。
最初は呪物以外の何物でもないと思ってた。
外れないんだもんな……まぁ、結局その事実がいろいろと幸いしたけど。
顔を見せない言い訳しなくていいんだもんな。
見せようがないから。
「呪物……!? これが、ですか……。初めて見ましたが、見ただけではそれと分からないのですね……」
エリーゼが目を見開きながらそういう。
しかし、それは意外な話だな。
ロレーヌも俺と同じことを思ったのか、尋ねる。
「ふむ、《学院》には呪物のストックくらいダース単位でありそうだがな?」
《学院》は基本的に教育機関であるのは勿論だが、研究機関としての色彩も帯びているところだ。
そして、その対象は通常の学問のみならず、魔術に関連するものほぼ全てにわたる。
その中には、当然、呪物も含まれているはずで、それを研究してる人間もいるはずだ。
なにせ、呪物は一応、大きく言えば魔法の道具の一部ということになるだろうが、その効果は通常の魔術の法則を無視しているような場合が少なくないからな。
効果それ自体や、その仕組みの解析はいろいろな意味で必要なはずだ。
そう思ってのロレーヌの台詞である。
これにエリーゼは、
「いかに《学院》とはいえ、呪物は本来貴重な品です。したがって、そうそうその辺に転がっているものではありませんから……。《塔》の方にはいくつかあるとは聞いたことがあるのですが、それもかなり厳重に保管されているようで、学生の身で簡単に見せてもらえるようなものでもありません」
そう答えた。
ロレーヌはこれになるほど、と頷いて、
「こちらではそうなのか……ふむ。分かった。となると、これは君にとっても貴重な機会になりそうだな。せっかくだ。呪物に触れてみるか?」
と、意外なことを言う。
「ロレーヌ……さっき触るなって言ったばかりだろ? いいのか」
俺がそう尋ねるとロレーヌは、
「まぁ、流石に町中で、というのはなにが起こるか分からんからな。流石にここでむき出しのまま、とは言わんが、エリーゼはこれからマルトにしばらく滞在するのだろう? 予定が合うなら、別の日に機会と場所を設けようかと思ってな。どうだ?」
そう言う。
かなり物騒な提案であるが、ロレーヌがこういうのだ。
危険はそれほどないと言うことだろう。
まぁ、呪物といっても、いろいろある。
俺の仮面のようななにをどうやってもどうにも出来ない、というものは少数派で、一般的なものなら教会の聖人、聖女なら浄化できると言われている。
この短剣はそのレベル……ということかな。
そうでなくとも、聖気を宿した布越しとかなら、まぁ、なんとか、というところか。
ロレーヌの提案にエリーゼは少し考える顔をしたが、やはり《学院》の生徒らしく、勉強の機会が転がっていてそれを見逃す気にはなれないようだ。
決意を固めたような表情で、
「でしたら、よろしくお願いできますか? 予定の方は、一度確認してみないとはっきりとは申し上げられないのですが、決まり次第、ご連絡しますので……」
そう言った。
それにロレーヌは頷き、連絡先を交換する。
それによると、どうやら《学院》の生徒たちはマルトでも大きな宿をしばらく貸し切りにするようだ。
《塔》も一緒に、ということのようだが、豪儀だな……まぁ、辺境都市の宿なんて、大したものでもないか。
それから、集合の時間がある、ということでエリーゼは宿へと向かっていった。
名残惜しそうにリナと抱きしめあい、そしてここに滞在している間はたまにでいいからご飯を食べよう、というようなことを言っていた。
そんな姿を眺めつつ、俺はロレーヌに尋ねる。
「この短剣があのローブの魔術を歪めていた、ということでいいのか?」
未だに手に持つとぞわぞわとした嫌な感じのするそれだが、流石に慣れた。
ロレーヌは頷く。
「ああ。おそらくは、近くにある物に宿る魔力を乱すのだろうな。本来、そういうことがないように魔道具にはシールドがされているものだが、それすらも越えて影響を及ぼすとなると……今の技術では簡単には実現できないことだ」
「絶対に無理ってわけではないんだな」
「それはそうだ。方法もいろいろ考えられないこともない。とは言え、《学院》のローブはそう言った既存の方法からも身を守れるよう、対策されていただろうが、これの前には意味がなかったわけだ……呪物の呪物たる所以だな。仕組みを解析できれば一財産なんだが、難しそうだ」
魔眼を持つロレーヌだ。
普通の魔道具なら仕組みを看破することはそこまで難しくはないはずだが、呪物はひと味違うらしい。
「ちなみに、これを俺やロレーヌが持っても大丈夫な理由は?」
「私たちには祠の分霊の加護がある。聖気の宿る布越しに触れているのと同じこと、というわけさ。リナもお前から聖気を借りれば大丈夫かもしれんが……それについてはさっきは言及しにくくてな」
これも納得である。
エリーゼの前でそれを言うといったいどこで聖気の加護を、ということになってしまうからな。
ま、あとでリナにいろいろと言っておいた方がいいだろう。