第371話 塔と学院、和解
「……怒りを収めろ、エリーゼ。お前、まさかこんなところで魔術を放ち、争おうというのか?」
十歳ほどの少年、ノエルが激高している少女エリーゼに意外にも忠告を口にする。
しかし、その口調や言っている態度がかなり尊大に見えるために、これはむしろ逆効果のように思えた。
「あなたがマルトに着いて早々、もめ事を起こそうとしているから止めようとしているのが分からないの!? あれほど学院長から釘を刺されたというのに、貴方はそれを……」
とはいえ、未だ決定的なことが起こっていないのは、幸いか。
思いの外、二人とも自制力がある、ということなのかもしれない。
しかし物凄く注目を集めているのも確かだからな……。
貴族だから観客の多寡は気にしないと言うことなのかも知れない。
俺みたいな小市民には真似できない心持ちだな。
そう思っていると、リナに頼まれたロレーヌが、やっとこ人混みをかき分けて、商人と、二人の学院生徒の前へと出てきた。
魔術を使って一発全員吹き飛ばして道をあけさせる、ということもできたとは思うが、それこそ大事だからな。
気を遣ったのだろう。
それから、ロレーヌは怪訝そうにする三人に対して、口を開く。
「お前たち、ちょっと待った」
唐突に場に現れた、部外者という立ち位置の割に落ち着いているのは彼女の性格だろう。
これに対してまず反応したのが、エリーゼであった。
「……貴女は? マルトの人?」
「そうだな」
「それがどうしてこんなところに出てきたの? 見れば分かるでしょうけど、私も彼も《学院》の人間よ。それなのに……」
エリーゼがなにを言いたいのかと言えば、学院の生徒といえば、大半が魔術師であり、そうでなくとも何らかの武術を身につけているのが通常なのであるから、一般人がこのように止めにはいるのは危険である、ということだろう。
つまり、ロレーヌを気遣った言葉なわけだ。
ただし、そんな配慮はロレーヌには必要ないのは当然のことだ。
ロレーヌは、
「……まぁ、その辺りについては分かっているから気にしなくていい。それよりも大事なことは……そっちの君だ」
そう言ってから、ノエルの方へと近づく。
ノエルは一瞬後ずさりかけるが、それよりも早くロレーヌが彼の元にたどり着き、そしてそのローブに触れた。
「……」
何か言うかと思ったが、ノエルは意外にもなにも言わない。
そのことに、エリーゼは少し驚いたような顔をした。
ロレーヌはしばらく、ノエルのローブを観察し、それから、
「……やはり、な。君の主張は正しいようだ」
そう言った。
「……主張が正しいって、商人がローブを壊した、っていうのが正しいと言うことでしょうか?」
ひそひそとリナが俺に聞いてくる。
俺は少し考えてから、
「……さっき何か、ロレーヌが気づいたことがあるって言ってたからな。それが、あの少年……ノエルのローブのことだったんだろう。しかし、壊れているのか。強化はまだかかっているような感覚がするんだけどな……」
そう言う。
俺にはロレーヌのように魔力の流れをはっきりと視覚で認識することは普通にはできないため、大まかな感覚で魔術の発動や効果を捉える感じでやっているが、それによると、少年のローブは未だそれなりの魔術がかかっているような感じがあるのだ。
しかし、言われてみると……少女のものより若干弱い、かな?
いや、弱いと言うより……。
「……それは、どういうこと? なぜ貴女にそんなことが分かるの……?」
ロレーヌの言葉に驚いたのは、俺とリナだけではなく、エリーゼも同様らしい。
これにロレーヌは答える。
「私はこれで錬金術師なんでな。あまり遠くから見ただけならともかく、実際に触れ、確かめてみればそれくらいのことは分かる」
本当はロレーヌ自身が持つ、魔力を視認できるその魔眼によって触れるまでもなく分かっていただろうとは思うが、そういうことを公共の場で言ってしまうと面倒なため、言い訳としてそう言っているのは明らかだ。
とはいえ、それがわかるのは彼女の能力を知っている俺だけだが。
「錬金術師……じゃあ、ノエルの言っていることは……」
「正しい、と言っている。まぁ、君の方が難癖になってしまうわけだが、ただ、この状況なら仕方がないな。少年、君ももう少し、言い方があったのではないか?」
さっきからロレーヌにされるがままになっていたノエルは、ばさり、とロレーヌが摘んでいたローブを引き戻してから、
「……大きなお世話だ。僕は間違ったことは言っていない」
とこれまた尊大な態度で反論する。
それを聞いて、ロレーヌはため息を吐き、首を横に振る。
これで一見落着か、と一瞬思ったが、そんなわけもない。
ノエルとエリーゼとの間の誤解はなくなったかもしれないが、問題の根元がまだ、ある。
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃあ、あたしが悪いと言うんですか!? あんたは……突然横から入ってきて、そりゃあないでしょう!」
問題の商人がそう叫ぶ。
まぁ、当然だろう。
ノエルの主張に間違いがないと言うことは、商人が悪かったという話になってしまうからだ。
本当になにもしていないというのなら、商人からすればたまったものではないはずだ。
しかし、ロレーヌはそんな商人のもとへとつかつか歩いていき、それから、その耳元で何事か呟く。
すると、商人の顔からすっぽりと感情が抜け落ち、それから唖然とした顔でロレーヌを見つめた後、青くなって、震えるように頷いた。
それから、
「……で、どうするんだ?」
とロレーヌが改めて尋ねると、商人は、
「……後で学院の方へ賠償を……申し訳ありませんでした……」
驚いたことにそう言った。
それからロレーヌがノエルに、
「と、言っているが、君の方はどうだ?」
と尋ねる。
ノエルは何とも言えないような、苦々しげな表情を浮かべるも、何かを飲み込んだように、
「……僕もそれで構わん。そこのエリーゼが言ったように、マルトにくるに当たって《学院》の生徒として、恥ずかしくない振る舞いをするように学院長から言いつけられているのでな」
そういった。
さらにロレーヌはエリーゼにも同様の質問をする。
するとエリーゼは、
「……私が間違っていたみたいだし、なにも無いわ。あぁ……でも、ひとつだけ。ノエル、私が悪かったわ。あとで埋め合わせを……」
「ふん。エリーゼ・ジョルジュ。僕に何か奢りたいのなら、まず僕よりも成績を上げてから言うことだな……それと、目の前の人物の力量もある程度見抜けるようになれ。ではな」
そういってその場から去っていった。
それで、争いごとの雰囲気はその場からふっと消え、空気が弛緩して観客たちも去っていく。
残ったのは、俺とリナ、ロレーヌ、それにエリーゼだけだ。
商人もどこかへ去っていった。
そして、それだけ閑散として初めて気づいたらしく、エリーゼはリナの顔を見て、
「……あなた!? どうしてこんなところに!?」
そう叫んだ。