第37話 新人冒険者レント
《水月の迷宮》の探索については暗礁に乗り上げた。
というか、もう無理だ。
あの壁の向こう側にはどうやったって行くことは出来なかったし、《水月の迷宮》の探索など既にもう粗方されている。
今更、探索済みのところをある程度深部まで潜ったとしても、大した意味はないだろう。
魔物自体の強さも、正直そろそろ物足りない、というか、《水月の迷宮》の魔物では、徐々に吸収できる魔物の力が小さくなってきている。
《水月の迷宮》の魔物で強くなれる限界なのか、それとも俺という器の限界なのか……。
後者だとは思いたくないので、とりあえず狩場を変えることで対応しようかな、と考えているのだ。
それでダメなときはダメなときだ。
もちろん、諦める、という意味ではなく、強くなれる他の道を探すという意味だ。
「それで、冒険者組合に行くと? やめておいた方がいいと思うがな……」
そう言ったのは、この家の家主ロレーヌである。
彼女のために食事を作って出し、そんな彼女の正面で瓶からロレーヌの血を少しだけ舐めながら、今日の予定を語った途端にそう言われた。
今日の予定、とはつまり、狩場を初心者及び低級冒険者向けのマイナー迷宮《水月の迷宮》から初心者から銀級冒険者程度までの幅広い人気を集めるメジャー迷宮《新月の迷宮》に移すということ、そしてその際に、冒険者組合に少し寄って、何か依頼を受けていこうかな、ということだ。
ロレーヌが反対したのは一番最後の部分、冒険者組合に寄って依頼を受ける、という部分だ。
その理由は明らかで、今の俺の見た目では怪しまれること間違いなし、ということからだ。
ロレーヌは続ける。
「その見た目でレント・ファイナの冒険者証を出してみろ。途端に詰問が始まるに決まっている。冒険者組合長だってやってくるかもしれんぞ。それどころか、古株の冒険者は片っ端から集まるかもわからん……」
「たかが銅級冒険者のことで、そんなことにはならないだろ?」
実際、吹けば飛ぶような冒険者でしかなかった俺だ。
しかしロレーヌは、
「……まぁ確かに、お前は弱かった。だからずっと銅級冒険者をやっていた。それは間違いない。間違いないが……冒険者組合にとって、お前が非常にありがたい存在だったことも間違いないのだぞ。お前が冒険者組合にしがみつくためにやっていた雑用は、一つ一つは大したことのない誰にでも出来るものだったが、それら全てを完ぺきにこなし、工夫を凝らしてやってくれるものなどそうそうおらん。仮にお前が冒険者をやめるときは、冒険者組合への就職を斡旋するという話まで出ていたくらいだ」
「……えっ……うそ、だろ?」
ロレーヌの話に、俺は少し驚く。
確かに少し便宜を図ってくれたりすることはあったが、まさか冒険者組合に就職までさせてくれるつもりがあったとは思わなかった。
なんだ、俺、将来安泰だったんじゃん、と思わずにはいられない。
とは言え、もちろん、それでも意地でも冒険者を辞める気はなかったが。
「本当だぞ? 全く……まぁいい。ともかく、お前がお前である限り、冒険者組合に行くのは……?」
そこで一旦ロレーヌは話を止める。
自分の言葉に迷ったように、首を傾げ、それからぶつぶつと何かを呟き始めた。
「お前がお前である限り? レントがレントである限り……レントがレントでなければ……ふむ、それならば、なんとか、なるかもしれんな……」
そんな風に。
そして独り言から帰還した彼女は、次の瞬間驚くべきことを言う。
「……レント。どうしても冒険者組合で依頼を受けたいというのなら、もう一度登録し直せ。名前を変えて、だ。レント・ファイナ、ではなく……まぁ、名前の方は分かりにくいだろうからレントでいいが、ファミリーネームの方は別のにしてだ」
どういう意味か分からない俺に、ロレーヌはそれから細かく説明した。
◇◆◇◆◇
「……おぉ……」
久しぶりに訪れた冒険者組合の中は相変わらずの空気で、少し懐かしくなる。
そこまで時間が経ったわけではないはずだけど、もう二度と踏み入れられないかもしれないな、と心のどこかで考えていただけに、もう一度、自分の足でこの建物に入れた感動に、涙が出てきそうだ。
……屍鬼に涙を流す機能がついているかどうかは謎だが。
ためしに目をがっつり開いて三十秒ほど数えてみたが、目が乾いた感じすらしない。
もともとカラカラらしい。
よって涙も出ない。
「……?」
通りすがりの冒険者になんだこいつ、という目で見られたのは、ただその場で突っ立って停止していたからだ。
俺は慌てて歩き出し、目的を達成すべく、受付の冒険者組合職員へと話しかける。
「……すまない、が」
「はい? 今日はどのようなご用件でしょう」
そう言って顔を上げたのはそれこそ、ひどく懐かしいような気分にさせる顔だった。
――シェイラ・イバルス。
冒険者組合で五年働いている、新人から抜け、だいぶ慣れてきた職員だ。
彼女の一番最初の依頼者となることを、ここの冒険者組合長から頼まれたことが懐かしい。
なにか、また涙が出てきそうになるも、実際にはさっぱり出てこないこの身に若干の腹立ちを感じながら、俺はシェイラに言う。
「ぼうけんしゃの、とうろくが、したいのだが」
「あぁ、登録ですね。……でしたら、こちらの書類に必要事項をご記載ください。書けない部分は空欄で構いません」
そう言って、一枚の荒い用紙を渡してきた。
この紙はどこだかの国で魔道具を使って作られているもので、比較的安価で出回っているものである。
もっと高品質の、つるつるした丈夫かつ上質なものは、国の重要書類などに使われていて結構高価らしいため、あまり出回らない。
まぁ、なぜかロレーヌの家にはたまに転がっていたりするのだが。
俺は渡された紙に色々と記載する。
以前これを書いたのは十年前か。
そのときは、碌なことを書くことが出来なかった。
名前、年齢、それと少し剣が使えること。
それくらいだった。
今思えば、もう少し色々と書けるだけの技能はあったが、それが書くに足りる技能だと知ることは当時の俺には出来なかった。
たとえば、少しの薬草学の知識だったり、解体の経験だったりだ。
初心者でありながら、それくらいの技能を持っている奴は少ない。
俺は、故郷の村で薬師や猟師に色々と頼み込んで教えてもらっていたから覚えたのだ。
何のためにかと言えば、それはもちろん冒険者になるために、である。
あの頃から、俺の目標は変わっていない。
いつか、神銀級級冒険者に。
それだけだ。
そのためなら、すでに手に入れた銅級冒険者としての実績を捨てて、もう一度やり直すことになってもいい。
別にレント・ファイナとしてなりたいわけじゃないからだ。
俺は、俺としてなれればそれでいいのだ。
そもそも、銅級冒険者の地位なんて、大したものじゃないしな……もちろん、普通の人間からすれば十分に驚異的な力を持つ人間だと言うことにはなるんだろうが、冒険者としては所詮は低級である。
だから、これでいい。
それに、もしも俺の見た目が元に戻ったら、レント・ファイナとして活動しても構わない。
冒険者組合の規則上、二つの冒険者登録というのは許されてはいないが、もし仮にそれをしたとしても確認しようがない。
また、一番の理由として、それをしたところで大した意味はない、というのもある。
冒険者組合で自分の達成した依頼の実績を二つに分割することになるだけなのだから、無意味だろう。
それに、とりあえずの身分証明書としては機能するが、持っていることが潔白を示すわけではないのだ。
ロレーヌの提案は、そう言ったことを前提にした、いわば抜け道的な方法だ。
俺が、レント・ファイナがこんな状態で来れば誰かがその理由を聞くだろうが、他の誰かだと思われていれば突っ込まれる可能性はかなり低い、というわけだ。
実際、突っ立っててもおかしな目で見られただけだ。
冒険者には、変な見た目の奴も少なくない。
ローブを被ってマスク姿でぼんやりしている奴なんて、どこにでもいるやつ扱いである。
そんなことを考えながら、俺は用紙の最後の項目に取り掛かる。
いや、最後というか、最初か。
それは、名前の欄だ。
とりあえず、レント、とは書いたのだが、ファミリーネームが……どうしよう。
何も思い浮かばん。
……まぁいいか。どうせ、仮の名前みたいなもんなんだから、適当に書いてしまえ。
そう思って、さらさらっと記載すると、俺はそのままシェイラのもとに用紙を持っていった。
「……はい、ありがとうございます。レント・ヴィヴィエさまですね?」