第368話 塔と学院、不死者心得
「ま、そのうちレントさんと私は出会う運命にあるわけですし、これからここで起こるだろう波乱についてはそのときにでもお聞きすることにしましょう。そろそろ馬車の出る時刻ですし、私はこれで失礼しますね」
そんな運命は勘弁願いたいところだが、ニヴの勘は馬鹿には出来ない。
よくよく注意しておかなければと心の底から思う。
そして、ニヴの視線の方向を見れば、少し離れた位置にある馬車の前でイライラした表情でこちらを見つめている一人の男が目に入る。
ニヴはそちらを見ながらそう言ったので、おそらくあの馬車がこれから彼女たちの乗る馬車であり、そしてあそこにいる男は御者か何かなのだろう。
男はミュリアスに対しては敬意の籠もった視線を向けていることから、ロベリア教関係者なのだと言うことがなんとなく理解できる。
馬車もよくよく見てみればロベリア教の紋章が刻んである。
そこまで高価そうな馬車ではないが、普通の馬車よりはかなり上等なものだな。
俺には逆立ちしたって買えそうもない。
魔法の袋で散財したから、財布の紐はしばらくはきつくしめておかなければならないのだ。
まぁ、それでも昔に比べれば遥かに余裕があるのだが。
いつ物入りになるかわからないしな……。
格の高い魔物と戦おうとすればするほど、冒険者の出費というのは大きくなるものだ。
名を挙げるつもりなら、それなりに貯金はなければ。
それでも宵越しの金は持たない、という豪儀な冒険者は少なくないけどな。
それにそっちの方がかっこよくはある。
……俺もそっちの生き方を目指してみようかな?
と一瞬思うも、それをするには自分の性格がせせこましすぎることは自覚しているのですぐに心の中で却下した。
「結構あっさりしたもんだが……確かにまた会いそうな気はするからな。せいぜいそれまで元気でいてくれ」
本音は寝首を掻けるくらいには傷ついていてほしい。
が、そんなことは言えない。
「ふむ? これは至って普通の台詞……レントさんらしくない気もしますが、社交辞令という奴ですか。ご心配なさらず。私に元気でないときがあるとしたら、それはこの世から吸血鬼が消滅したそのときくらいなものですよ」
「……そうか」
それはつまり俺の命が断たれるそのときまでありえない、というように聞こえてくるが……いやいや、俺は吸血鬼っぽいなにかであって吸血鬼ではないのだ、と心の中で思って引きつった笑いを浮かべておいた。
それから、ニヴとミュリアスは、手を振りながら馬車の方まで歩いていき、そして都市マルトで起こした嵐を感じさせない静かな様子で去っていったのだった。
「……いやはや、これで一安心、というところか?」
ロレーヌが遠ざかった馬車を見つめながら、ふっとそう呟く。
「どうだかな……ニヴの預言によるとこれからここでもう一波乱あるらしいぞ」
「まぁ、その見解は必ずしも間違いではあるまい。《塔》と《学院》、それに《迷宮》が一つ所に集まっているわけだからな。さらに大勢の人が流入しているこの状況で、何も起きないわけがないだろう。しかし、レント、お前とリナが吸血鬼だと疑われて怯える日々は一旦、過ぎ去ったと思ってもいいのではないか?」
「だといいんだけどな……どこにでも勘のいいやつがいるってのは今回のことでよくわかったからな。これからも油断できないのは同じだ」
ニヴの場合、勘を経験と論理的推測で補強しているのが余計質が悪かったので、あれ以上の奴は中々現れないだろうと思うが、用心しておくに限る。
「油断できないのは分かりますけど、具体的にどうしたらいいんですか? 私、こんな経験ないから、どうしたらいいものか……」
リナが悩ましそうな表情でそう言った。
確かに言われてみるとそうだな。
俺は不死者になってしばらく生活してきたから、どの辺が怪しまれポイントかなんとなく理解しつつあるが、リナはまだ不死者としての経験が浅いのだ。
この辺りについては俺が教えていかなければならないだろう。
まぁ、難しいことはないんだけどな。
「そうだな。まずは、真夜中は出歩かないことだ」
これは当然だろう。
夜中に俺たちみたいなのがうろうろしていると怪しいからな。
そしてニヴみたいなのがいると目をつけてくる。
これにはリナも納得したようで、
「ふむふむ。確かにそうですね。他には?」
「あとは……出来るだけ感じよく過ごすことだ。やっぱり不死者って言ったら陰気臭いものだって感覚があるからな。隣近所には毎朝さわやかに挨拶するといい」
これは俺がロレーヌの家に居候するにあたって実践していることだ。
と言っても、深くかかわっているわけではなく、朝、たまったゴミなんかを焼却しているときとかどうしても近所の人と出くわすのでそういうときの話だ。
あとは市場での買い物とかでのおばさんとかとのやりとりとかな。
「ははぁ……そうですね。挨拶は人間の基本ですもんね!」
「その通り。他には……」
そうしていくつかの不死者心得をリナに叩き込み終わると、横で聞いていたロレーヌが微妙な表情で、
「……なんだか初めて外泊する子供に教える注意事項のようだな……」
と呟いた。
いやいや、そんなことは……。
そんなことは、ないよな?
そう思ってリナの顔を見るも、リナはどこかから取り出したメモ帳(ロレーヌが作り、リナに与えた魔道具である。買えばそこそこ高価だ)を取り出してそこに俺の注意事項を書きつけていた。
書いてある内容を覗いてみると、
・よるは、であるかない!
・あいさつは、だいじ!
・ごきんじょさんとは、なかよく!etc……
と可愛らしい文字で記載してあった。
……うーん。
まぁ。
確かに、子供への注意みたいと言えなくも……。
そう思ってすっとリナから離れ、ロレーヌを見ると、笑っている。
なんだよ、と思うも、まぁ、立場が正反対なら笑っていただろうし、仕方あるまい。
「でも、間違ってはいないだろ?」
一応、確認のためにそう尋ねてみると、ロレーヌは頷いて、
「確かにな。実際、ご近所の一般人の皆さんにはお前はヴィヴィエ家の気のいい居候として認識されているようだぞ」
そう答えた。
……怪しまれていないのはいいことだが、気のいい居候って不死者の沽券にかかわりそうだ。
ま、いいんだけどな……。
そこまで考えたときである。
「おい、貴様!! どうしてくれる!?」
そんな怒号が、停留場に響き渡ったのは。