第367話 塔と学院、お見送り
「とはいえ、今日は別に《塔》や《学院》の人間を出迎えに来たわけでもないしな。あまり気にする必要もあるまい」
ロレーヌがそう言った通り、今日は別に王都から来る人々のお出迎え、というわけではない。
一応俺は冒険者組合の職員になっているわけだし、ウルフからいずれそんなことを頼まれることがありえないとは言い切れないにしても、今日はそうではないのだ。
ではなぜ、わざわざ馬車乗り場などに来ているかと言えば、その答えは自明である。
「……おや? レントさんたちではないですか。まさか本当に見送りに来てくださったんですか? 意外過ぎてびっくりですよ」
後ろの方から俺たちにそう声をかけてきたのは、言わずと知れた吸血鬼狩り、ニヴ・マリスであった。
つまり俺たちは、先日ニヴから明日、マルトを発つ、という話を聞いていたので、色々と悩ましいところはあったが、一応見送りに来たというわけだ。
彼女がマルトにいるお陰でかなり緊張感のある日々を送る羽目になったが、同時に色々な知識が得られたし、命拾いしたところも多くある。
特に今回の吸血鬼騒動はニヴがいなければ色々と厳しい部分があったのは間違いない。
最後にはラウラやイザークが片づけたのかもしれないが、そうなると俺たちは俺たちだけで、下級とは言え、延々再生し続ける吸血鬼と相対する羽目になっただろうからな。
いずれ再生が出来なくなる、とかなりたてだとスタミナに問題が、とかそういうことを詳しく知らないマルトの冒険者で彼らに当たれば、別の結果になった可能性は高い。
そして、あの少年少女の吸血鬼たちをあそこで仕留められていなければ、シュミニの計画ももっと円滑に進んでしまっていたかもしれない。
そうなったら、都市マルトは迷宮に沈んでいた可能性すらある。
ニヴの存在は少なくともマルトにとって、良いものだった、と言って間違いないだろう。
だからこそ、彼女のことは見送るべきだろうな、と思った。
個人的にはやきもきさせられたけど、それはそれだ。
そもそも、概ね彼女の勘は当たっているわけだし。
まぁ、俺やリナが一般的な吸血鬼そのものかと聞かれると違うようだが。
「別に見送りに来たっていいだろう? 自分でも見送りに来ていいとか言ってただろ?」
俺がそうニヴに言うと、彼女は頷きつつも、
「……まぁ、そうなのですけど、私はレントさんには好かれていない自信がありますからね。わざわざ来るとは予想外で……もしかして私に惚れたりとかしましたか?」
「ないな」
「即答せずとも……」
俺の答えに本気なのか冗談なのかがっかりしたような表情をするニヴだが、本当にがっかりしているわけもないだろう。
恋愛どうこうとかそういうものから遥か離れた位置にいる性格をしているのだ。
「……ま、しかしこうして来てくれたのです。ありがとうございますと言っておきましょう。ミュリアス様くらいしか来てくれないと思っていましたからね」
そう言ったニヴの横には、ロベリア教の聖女、ミュリアス・ライザがいた。
相変わらず美しい銀髪を持った聖女にふさわしい外見の女性だが、しかしその顔には若干の疲れが浮かんでいる。
ここのところ、ロベリア教に限らず宗教団体の神官や僧侶たちは皆、忙しそうだったからな。
マルトの人々の慰撫やら治癒やら説教やら励ましやらとやることにキリがなさそうで。
今でもまだ、仕事は山積していることだろうが、こうしてニヴの見送りにやってきたということは、それなりに親愛の情でも感じているのだろうか?
そう思って見ると、ミュリアスは、
「私の場合は大教父庁から与えられた義務です。そもそも見送りに来たのではなくて、私も付いていくんですよ!」
と少しキレ気味に叫んだ。
その姿はとてもではないが、清らかさと静謐さを湛えるべき聖女のとる態度ではない。
ないが、特に違和感を感じないのは、これこそがミュリアスの地であるから、なのかもしれなかった。
ニヴはそんなミュリアスに、
「無理していらっしゃらなくても結構なんですよ? そもそもあからさまな監視ではないですか。なぜ、善良な冒険者である私が、ロベリア教の聖女様に監視されなければならないのです?」
「……それは、私にもよくわかりませんが。とにかく、命令なのです。ですから、諦めてください。貴女もロベリア教から異端視されたくはないのでしょう?」
「……やれやれ。好きにしてください……ついでにレントさんも来ますか? 吸血鬼狩りの旅は中々に刺激的で楽しいですよ?」
二人で何やら妙なやり取りをした後、ニヴが俺にそう尋ねる。
吸血鬼狩りの旅ね……まぁ、確かに刺激的ではあるだろうが、危険も恐ろしいほど高いだろう。
シュミニみたいなのを狙って世界中を旅してまわる、なんて自殺場所を探して放浪するに近いところがある。
まぁ、いずれは一人でもあれくらいの魔物を倒せるようになるべきだろうが、まだまだな……。
ニヴがいればある程度安心してもいいのかもしれないが、外部からの魔物の襲撃とかならともかく、いつ寝首を掻かれるかという普通なら考える必要のない危険が俺には伴うからな。
却下だ。
だから、俺は首を振る。
「遠慮しておくよ。ま、俺もずっとマルトにいようってわけでもないからな。いつかまた会えるときも来るだろう」
……出来るだけ会いたくないけどな。
という部分は飲み込んだが、ニヴには伝わっているようだ。
「きっと運命が私たちをもう一度、巡り合わせてくれることでしょう。その日のことを楽しみにしていますね……おや?」
あまり嬉しくない言葉を言ったあと、ニヴはふと、たった今、馬車乗り場に向かって外から入って来た馬車の一団に目をやった。
そこには十台ほどからなる馬車の列があり、いずれの馬車も同様の意匠で統一されている。
かなり高価かつ丈夫な作りであることは明らかで、引いている《馬》も同様のものばかりだ。
「……ふむ、とうとう来たか。あれは《学院》の馬車だな……」
ロレーヌがそう呟くと、ニヴも頷く。
「ええ、そうですね。《塔》もそのうち来るはずでしょうが……あちらの方が機材が多いでしょうし、その分日数がかかっているのでしょう」
研究機関としての色合いは《塔》の方が濃く、《学院》は基本的には教育機関だからな。
専門的な機材やらについては《塔》の方が沢山持って来るのだろう。
精密な魔道具はどうしたって巨大かつ壊れやすく、運搬には時間がかかる。
したがって、どちらも王都から同じくらいの時期に発ったのだろうが《学院》の方がマルトに早くついた、というわけだ。
「しかし、それにしても数が多い。物々しいですね。これはまた、一波乱ありそうな雰囲気がします……うーむ、残っていた方が面白そうですが……吸血鬼はもういませんし……」
《学院》の馬車の一団を見ながら、ニヴが不吉な台詞を呟くので、なんだかこれから先のマルトが不安になって来た俺だった。