第358話 数々の秘密と吸血鬼の技術
「冒険者組合への報告の方はいかがでしたか?」
イザークがラトゥール家の屋敷の庭でそう尋ねる。
ニヴと治療院で別れてから、とりあえず俺たちはラトゥール家に戻って来たのだ。
まだ、吸血鬼特有の技術とやらを教えてもらっていないからな。
俺とリナはまとめて教わった方がいいだろう。
ロレーヌは別に自宅に戻ってもらっても構わなかったのだが、吸血鬼が自らの技術を見せてくれるという滅多にない機会が目の前にあるのに、自宅でのんびりなどしていられるか、と言ってついてきた。
まぁ、確かに気持ちは分かる。
一応《新月の迷宮》で吸血鬼たちが色々なことをやっているのは見ているが、その原理とかどんなことがどこまで出来るかとかは、戦闘中に細かく説明してくれるわけがなく、なんとなくあんな感じのことが出来るんだな、というくらいにしか理解しようがない。
一般的にも吸血鬼の理解というのはそんなものだ。
ニヴはもっと色々詳しく知っていそうだが、あいつは知りすぎなのだ。
吸血鬼以外で、最も吸血鬼の真実に迫ってそうな気さえする。
執念深く頑張れば、人間って結構何でもできるんだなぁと彼女のことを思うと感心する。
人間らしさはニヴには無いけどな。怒られるか。
「ああ、概ね問題なかったよ。色々突っ込まれるかとも思ったんだが、そもそもウルフには俺の体のことは話しているからな。今更なにか隠し立てするようなこともないだろうと思われたのかもしれない。それに加えて、今、このマルトで起こっていることは前代未聞のことばっかりだからな。いろいろ考えようにもまだまだ情報不足だったのかも」
今のマルトの状況を見て、誰にも説明されていないのに真実に辿り着ける可能性などどれほどあるのだろうか。
ほとんどゼロに近い。
俺たちが正確に状況を把握できているのは、その中心にずっと関わり続けたからに過ぎない。
つまり、偶然のたまものだ。
それを、いかに切れ者のウルフとはいっても、街で屍鬼が暴れているのを見て、吸血鬼が出現した、と認識し、迷宮が唐突に出来たと知ったくらいで、全てを見抜けたらそれはもはや千里眼である。
「なるほど、まぁ、いくら冒険者組合と言っても全く知らないことまで集められる情報収集能力はないでしょうからね。それにウルフ殿は現実主義者です。まずは、目につく問題を一つずつ片づけていく方が重要と考えていると思います」
「そう言われると……そうだな。そんな感じだった」
ウルフは迷宮の取り扱いや、今後マルトがどういう状況に置かれ、冒険者組合がどのような対応をしなければならないか、について主に話していた。
原因や今回の事件の全容解明というよりは、これからどうしていくべきかの方が大事だ、というわけだろう。
まぁ、現実的だな。
可能なら全容解明もしたいだろうが、迷宮なんてそもそも専門の研究者ですらその全てを明かすことなど出来ていないのだ。
あのニヴですら、さじを投げて放置するようなものである。
冒険者組合長だからと言って頑張ればそれが可能になるというものではないのだ。
「ま、これでしばらくは安心してもいいのは間違いないな……他の地域の冒険者や王都のエリートたちがマルトにやってくればそれなりに色々あるだろうが、それまでにレントとリナは色々身に付けておくといいだろう。イザーク殿、吸血鬼の技、見せていただけるのだな?」
ロレーヌが興味を抑えきれない様子でイザークにそう言う。
その言葉にイザークは苦笑しつつ、
「ええ、そういうお約束ですからね。もちろんです。手始めに……これから、ですかね」
そう言った直後、彼の体が爆ぜるように飛び散る。
と言っても、実際に爆発してしまった、というわけではなく、よく見れば、その体の一部がそれぞれ、漆黒の動物となって四方に飛んでいったことが分かった。
これは……。
「《分化》……。吸血鬼の代表的な特殊能力……」
ロレーヌが感心するように言った。
イザークの体は、それぞれが小さな蝙蝠の姿になって辺りを飛び回っている。
いずれも実体を持ってはいるようだが、しかしその輪郭は空気に溶けているような心もとなさを感じる……。
実際、近づいてきた蝙蝠のうち、一匹に触れると、俺の手はすり抜けてしまい、掴むことは出来なかった。
何かに触れたような感触はあるのだが……なんというかな、空中に放り投げた砂を掴んだような感覚と言えばいいだろうか。
手ごたえがほとんどないのだ。
リナやロレーヌも同じようなことをしているが、やはり全く掴むことが出来ない。
リナは蝙蝠を追いかけて楽しそうであり、ロレーヌは何か目に感動を浮かべている。
こんなに近くで、吸血鬼本人の許可を得て《分化》した体に触れられることなどないだろうから、当然と言えば当然か。
そしてしばらく蝙蝠たちは飛び回ったあと、ゆっくりとひとところに集まっていって、人間の影の様なものをもぞもぞと形作る。
そしてふっとすべての蝙蝠たちの輪郭が混じり合うと、そこには先ほど立っていたイザークの姿が現れていた。
「……いかがでしたでしょうか? と言っても、ロレーヌさんとレントさんは見たことがあるでしょうが……」
実際、《新月の迷宮》で吸血鬼たちがやっているのを見た。
しかし……。
「……いや、それでも十分に驚いた。吸血鬼というものの恐ろしさも再認識できた。こうなられては、魔術師としては密室に閉じ込めて一気に燃やすとか、そのくらいしか対応のしようがないな……」
そう言って頷いている。
内容が若干物騒だが、基本的に吸血鬼は敵として遭遇する可能性が高い相手だ。
どう戦うか、という点に思考が寄りがちになるのは仕方がない話だろう。
ラウラやイザークはむしろ例外的な存在であることを忘れてはならない。
「仮にそのようにしても、何度かは復活することが出来てしまいますから、中々難しいところかもしれません。吸血鬼相手だと持久力勝負になりがちですね」
イザークがそうロレーヌにアドバイスする。