第337話 数々の秘密と目覚め
目覚めると、そこは先ほどまでいたはずの広間ではなかった。
背中に柔らかい感触がするし、冷え冷えとしながら妙な生々しさの感じられる空気が漂っていたあの場所とは異なり、花のいい香りがするように思える。
上半身を起こすと、自分の体が高価そうなベッドの上に横たえられていたのが分かる。
一般人にはとてもではないが買えないような高級品であり、周囲を観察してみるとどこを見ても並んでいるのはやはり、かなり高価な品々ばかりだった。
かなりの資産家の屋敷の一室、そう一目で分かるような、そんな部屋だった。
ただ、ごてごてとして趣味が悪いわけではなく、むしろ色調の抑えられた、心の落ち着く様な色合いの部屋である。
「……ここは……」
思わずそう呟くも、答えてくれる者は周囲にいないようだ。
とりあえず、自分の体がどうなっているのかを確認するため、手を握ったり、顔に触れたりしてみる。
……調子は悪くなさそうだ。
意識が暗闇に落ちる前に、イザークが口にした言葉を思い出す。
意識を保つのが難しくなったのは、《存在進化》するからだ、と。
俺はきっちり《存在進化》出来たのだろうか?
なんとなくだが、意識を失う前よりも体が軽いような気もするが……どうだろうな。
ベッドから降りて色々と体を動かしたり捻ったりしてみるが……。
「……これだとよくわからないな……」
首を自分の背中が見えるくらいに捻った辺りで、柔軟性の確認に意味がないことに気づく。
もともと、関節なんて存在しないかのごとく動いていたのだから、もともと柔軟性はマックスなのだ。
かといって他に試すことと言えば……腕力とかかな?
流石にこの場で試すのは難しそうだ。
もともと限界値がどのあたりにあるのかはよくわかっていなかった。
というか、限界値を確認しても魔物を倒したり修行したりすると徐々に伸びるので、正確なところは把握できていなかったのだ。
方法も重い石を持ったりとか、何かを握りつぶしてみたりとか、そんな感じなのでぶっ壊していいものがなければこの場では試せないな。
周囲にあるのは高級品ばかりで、弁償するのはちょっとあれである。
まぁ、今の俺の財力なら!とか金持ちみたいなことを一度くらい言ってみたいところだが、骨の髄まで染み込んだ貧乏根性が無駄遣いはやめろと俺の脳内に直接語り掛ける。
……魔法の袋とかは金貨を惜しまず買ってしまうのだが、日用品とかそういうのを買うときは結構財布のひもは固い俺であった。
……ま、それはいいか。
自分の体の確認はこの辺にしておいて、まずは状況確認をしよう……。
とりあえず、どこにいるのかを把握するため、部屋の窓に近づく。
すると、外には大規模な庭園が見えた。
緑の生垣が複雑に入り組んで設置してある。
遠くに門が見え、ちらりとその前に門番の男が立っているのが見えた。
……もう判明したな。
ちょっとは推理させてくれよ、とか思わなかったわけでもない。
ともあれ、さっさと分かったのは良かった。
つまりここはラウラの屋敷だ。
ラトゥール家。
あのあと何がどうなったのか分からないが、とりあえずここまで運んできてくれたのだろう。
とりあえず、イザークがどこかにいるだろうから、探しに行こうか……。
そう思って、部屋の入口の扉に近づき、開くと、
「……ヂュッ!」
と、鳴き声が聞こえた。
視線を下に向けると、扉の外で我が眷属エーデルが二本足で立ってこちらを見上げていた。
お前も進化したのか!
とか言いたかったが別に何も変わっていない。
いや、見かけ上変わっていないだけで何か変わっているのかもしれないが……とにかく、今見る限りはただのデカめな小鼠だな。
いつも通りである。
しかしまたなんでこんなところで待っていたのか、と思っていると、ラトゥール家を探索していて、今戻ってきたところだ、と返事が返って来た。
特に主たる俺の静寂なる眠りのために気を遣って部屋の外で待っててくれたとかいうことはないらしい。
別に構わないのだが、ラトゥール家の探索くらいいつでもできるだろうに、と思っていると、エーデルが言うには普段は侵入することが不可能だということだった。
あの生垣迷宮で阻まれる上、他の方向から、とか穴を掘って地下から、とか色々試してみたがすべて阻まれたらしい。
以前ならなんで辺境都市のちょっとした権力者がそんなものすごい防護システムを持っているのか、と疑問に思っていただろうが、今となってはラウラもイザークも上位の吸血鬼であることがはっきりしている。
それくらい出来てさもありなん、という感じであった。
そういうわけで、滅多にない機会を利用して色々と探索しているらしい。
そんなこと勝手にしていいのか、と思ったら、イザークの許可は得ているようだ。
それに、どんなところでも好きに入り込める、ということは全然なく、入ろうとしても開かない扉とか、行こうと思っても行けない区画とかが山のようにあるようだ。
見せられるところだけ見てもいいよ、ということなのだろう。
「それで、イザークはどこにいるのか分かるか?」
別に口に出さなくてもいいのだが、なんとなくそう尋ねると、エーデルは、
「ヂュッ……」
と返事をして、とことこと歩き出した。
流石に四足である。
どうやらついてこいと言うことらしく、俺はエーデルの後を追った。
屋敷の中を歩いていると、使用人らしき人々と何度かすれ違った。
いずれも俺の姿を見ると廊下の端に寄り、深く頭を下げてその通過を待つ。
俺じゃなくてエーデルにかもしれないが。
そんな彼らを見ていてふと思ったが、彼らは人間、なのだろうか。
それとも屍鬼や下級吸血鬼なのだろうか、ということだ。
ここは、主が吸血鬼である家なのであるから、普通の人間が暮らすのは色々な意味で厳しそうな気がする。
となると、使用人も必然的に人ではないということにならないだろうか。
まぁ、俺がロレーヌと暮らしていることから、別に共存が不可能ということはないのだろうが、事情を知れば大抵の人間はしり込みするものだ。
そうなると……。
ただ、顔を見るに屍鬼ではないように思える。
屍鬼の顔は割とはっきりわかるからな。
魔術で偽装されていると分からない場合もあるということは今回のことで明らかだが……。
あとで、イザークに聞いてみようと思う。
それから、しばらく進むとエーデルの足が止まった。
扉の前であり、開けろ、という顔をしてこちらを見ている。
眷属なんだから開けてくれても……と思うが、エーデルが開くのは単純に体の構造的に厳しいか。
まぁ、ジャンプしてノブを掴むか齧るかしてから下げる、という開け方なら出来るだろうが、この屋敷のものはノブですら精緻な彫刻が施されていたりして高級品であるのがよくわかるからな。
傷つける危険は出来るだけ避けた方がいい……と小心者の俺は思ったので、素直に手を伸ばしてノブを掴んだ。