第321話 反逆者イザーク・ハルト2
「……来ると思っていたよ。君は私たちの中でも特に、血が好きだった。これだけの騒ぎを起こしたのも、すべて、君のため……」
ローブ姿の男が、マルトの街の端にある建物の屋根の上で、そう言って笑った。
目の前に立っているのは、私、イザーク・ハルトだ。
「頼んでもいないことを勝手にやられて、誰が喜ぶと? 私はもうお前たちとは関係がないんだ。さっさとこの街から去れ」
かつての《仲間》に対して、ひどく酷薄な声を出せたものだ。
昔なら、決してこんな言葉はかけることがなかっただろう。
《仲間》は、友人であり、兄弟であり、そして同志だった。
凡百の繋がりとは違う、血よりも濃く、強い絆がそこにはあった。
だから……こんな風に、袂を分かつ時が来るなどとは、想像もしていなかった。
けれど、人生とはわからないものだ。
想像もしていなかった出会いが、物の見方を大きく変える。
今の私にとっては、彼は、《仲間》ではない。
けれど、彼にとっては……そうではないということも分かる。
たぶん、ボタンのかけ方が違っていたら、私は向こう側にいて、彼こそが私のいる場所に立っていただろうと思うから。
彼は私に言われた言葉にショックを受けたようで、青白い顔をさらに蒼白にさせた。
そして、言う。
「……なにを、一体何を言ってるんだい? イザーク。もっと笑ってくれ。もっと喜んでくれよ。あの頃のように。計画にも目途が立ってきてるんだ。昔は夢物語だったことも、今なら……。戻ってきてくれ。戻ってくるんだ、イザーク!」
最初はただ、困惑しているように言葉を紡いでいただけだった。
しかし、徐々にそれは悲痛なものへと変わり、最後には怒気の混じった声へと変化した。
ありとあらゆる感情が、彼の中でぐるぐると渦巻いていることが分かった。
それは、私にとっても辛いことで……けれど、その内容に、惹かれる部分はない。
計画、夢物語、楽しかった日々……。
色々思い出されることはある。
けれど、すべては今の私にとって、セピア色の景色でしかない。
色褪せた思い出は、たまに手をとって懐かしむことはあっても、その中に戻って写り込むことは出来ない。
「シュミニ。昔の誼だ。もう一度だけ言おう。この街から、去れ。でなければ……」
続きを言おうとしたが、
「……ッ!?」
ひゅんひゅん、と下の方から矢が撃ち込まれる。
魔術もだ。
「いたぞ! あいつだ!」
私を狙ったものではなく、ローブ姿の男……つまりは、シュミニを狙ったものだ。
シュミニは、
「……人間め! 今は重要な話をしているというのに……」
と呟きながら、手元に魔力を集め始める。
かなり規模の大きな魔術を使うつもりらしい。
屋根の下の方に続く街の道路に集まっている冒険者たちの数は十人ほどで、その全てをそれでもって屠る気であることが分かった。
だから……。
「……あまねく宿る魔の力よ、我に従い、全てを焼き尽くせ《火嵐》……ッ!?」
私は、唱え終わる直前に、彼の腕に向かって火球の魔術を放つ。
大した攻撃力はないものの、彼が唱えたような規模の大きな魔術とは異なり、一瞬で組み上げ、また詠唱も省略が可能なものだ。
それはシュミニの腕に命中し、彼の魔術の狙いを大きく逸らす。
結果として、下にいる冒険者たちに命中することはなかった。
とは言え、街にある建物に命中してしまったが……この辺りに住んでいる人間は皆、避難済みだ。
それが分かっていて、あえて、ここで気配を放出しながらシュミニを待ったのだから、当然だ。
そうはいっても、住んでいた家屋を壊された住人はたまったものではないだろうが、あとで弁償すればいい。
それよりも命が大事だろう。
せっかくの魔術の狙いを逸らされたシュミニは、下でまだ魔術や弓矢を放ち続ける冒険者たちを睨むように一瞥してから、私に向かって困惑と怒りの視線を向けて来た。
「……今、何をしたんだ? なぜ、奴らを……助ける? 君はそんな男ではないだろう? 思い出してくれ。共に戦った日々を。人間を殺し、街を滅ぼし、血を啜ったあの時のことを!」
「確かに、そんな時代もあったな……」
断末魔の悲鳴が尽きることがなかった。
自分のしていることに疑問も抱かずに、ただ、そうすべきだと思って活動し続けていたあの頃。
「だったら……!」
「私は何も知らなかったのだ。だからと言って、許されることだとも思っていないが……もう、繰り返すことだけはない」
はっきりと断言すると、シュミニはバランスを崩したように後ずさり、膝から崩れ落ちる。
それから、
「……くくく……くっくっく……ははは……そうか。君は……変わってしまったんだな。きっと、人間に騙されているんだ。そうだろう? どこにいる? 君をだます、不埒な人間は……どこに! 私が殺しに行こう。そうすればきっと君は戻ってくる……そうだろう!?」
そう叫ぶ。
いくら説明しても、分かってはもらえなさそうだ、とそこでやっと理解した。
……遅すぎか。
初めから分かっていたことだ。
彼らと、今の私とはどうやったって分かり合えないことなど、初めからはっきりしていたというのに、少しだけ、ほんの少しだけ期待してしまっていたのだ。
長い間共にいて、同じ目的のために様々な場所を駆け抜けた。
だからこそ、どんな風に変わったにしても、話を聞き、最後には理解してくれるかもしれないと……。
そんなわけないのに。
彼らの求めは、願いは、そんなに簡単に揺らぐものではないということを、忘れていた。
私は、揺らいでしまった側だったから。
「私は騙されてなど、いない。しかし、この街の人間にこれ以上手出しするつもりなら……たとえかつての友人と言えど、敵対することを厭うつもりはない。そのために来た」
そう言って、私は剣を抜く。
かつて与えられた剣を。
「……いいだろう。ならば、直接その身に聞くのみ。なに、酷いことはしないと誓おう。ただ、君が名前を言うまで少しだけ、痛めつけるだけだ」
そう言って、シュミニも武器を取り出す。
それは血のように赤い剣だった。