第25話 水月の迷宮の聖気
体に、いつものように魔物の力が流れ込んできているのを感じる。
その奔流をいつもよりもずっと力強く感じるのは、相手があまりにも強大な存在だったからだろう。
と言っても、銀級であれば簡単に倒してしまうような相手に過ぎないが……。
まぁ、それでも。
――なんとか、なったか。
俺は、頭部を砕かれてもはや微動だにしない骨巨人の残骸を見つめ、ほっと息を吐く。
もちろん、これは比喩的な表現であって、俺の肺はまともに動いていない。
気分の問題だ。
ただ、骨人だった時とは異なり、そこにあるのは間違いなさそうだが、生きている人間と同様には動いていないのは間違いない。
いくら息を吸い込もうとしても吸い込んだ気がしないことからして明らかだ。
まぁ、それでも武器を振るうときなどは呼吸を意識して体を動かしてしまう。
癖であるから仕方がないだろう。
ただ、呼吸で人の動きを読むことの出来る達人もいると言うし、俺が神銀級を目指すならそう言うものと張り合っていかなければならない。
それを考えると、少し、直した方がいいのかな?とも思うが……。
まぁ、今のところはいいか。
それよりも、今はあの男だ。
おそらくは骨巨人に出くわし、傷を負わされたと思しき男。
早く応急処置でもなんでもしないと死んでしまうかもしれない。
先ほどは息があるようだったが、今はどうか……。
そう思って近づき、様子を見てみると、思ったよりも傷は浅そうだった。
それでも触れてみると脇腹の骨は折れているようだし、足の骨も片足がやられている。
放っておけば間違いなく死ぬだろうな、というくらいには重傷だった。
しかし、ここには俺がいる。
回復魔術は使うことは出来ないが、俺には聖気がある。
魔術は使い方をしっかり学び、理論から理解しなければ使いこなせないと言われているが、聖気はむしろ本能的に使っても効果を及ぼすことが多い。
だからこそ、聖職者でもなんでもない俺でも、与えられた直後から、水を浄化するくらいは出来たのだ。
そして今の俺ならもっと大きなこともできる。
先ほど、骨巨人を倒した直後に、感じた力の奔流。
それによって、この身が強化されたのを感じる。
体の奥から湧き出る、魔力、気、聖気の力は、骨巨人と戦う前よりもずっと大きくなっていて、これならば……と思うところがあった。
つまりは、傷の回復が出来そうだということだ。
聖気による治癒術は、聖職者の領分であり、基本的に神の奇跡とされていて、聖気を持つ聖職者の中でも使える者のそれほど多くない力である。
持てる聖気の量、質は、信仰に比例すると言われていて、それが十分でないと治癒を使うことは出来ないと言われているからだ。
だからこそ、治癒術を使える聖職者は尊敬されるし、またある程度以上に力を持っていると聖者、聖女として尊崇の対象にまでなる。
その観点から言うと、俺が使えそうなのは少し、おかしい。
なぜなら、それほど深い信仰心を俺は持っているとは言えないからだ。
なにせ、俺が聖気を得た理由はほぼ気まぐれがもたらした偶然であるし、今も感謝はしているが、信仰している、とまでは言えないからだ。
それなのに、俺の聖気は、以前と比べると格段に増えているのだ。
どういうことなのか分からない……が、別に悪いことではない。
この力で不死者である俺が消滅するというのなら話は別だが、特に不自由は感じていないのだ。
問題ないのならそれでいいだろう、というのが現実的に合理的にものを見る冒険者らしいだろう。
さて、それでは治癒術の開始である。
使ったことは、ない。
正直言って人生初の行為であり、本当に可能かどうかも微妙だ。
ただ、なんとなく出来そうだな、ということが分かるだけで。
こんな感覚的なことでいいのかと思うが、水の浄化だって似たような感じでやってきたのだ。
同じようなものだろう。
気絶している男の体、骨折している患部へと手を当て、先ほど剣に纏ったように、手の平に聖気を纏う。
青白い燐光が俺の手を光り輝かせる。
手袋越しだが、これを外すと、もし目覚めた時に問題だから、とりあえずつけたままだ。
ダメならそのとき外せばいい、と思ってのことだった。
幸い、手袋の厚めの布越しでも、聖気はしっかりと働いてくれるようだ。
骨折して、赤黒くなり始めていた部分が、徐々に色を取り戻していき、またずれていた骨も正しい位置に少しずつ戻っていく。
正直言って、どのくらいの時間で完治するのかは分かっていないので、なんとなくこれで大丈夫だろう、というくらいでやめて、今度はわき腹から足へと手を移す。
そして同じように聖気を発動すると、やはり足の骨折部分も病的な赤黒さから、徐々に肌色へと変わっていき、そしてパッと見では骨折していたとはまるでわからないくらいに綺麗になった。
……治ったのかな?
自分でやっておいて、どうなのか分からない。
が、見かけ上は治ってはいる。
まぁ、仮に全快ではなかったとしても、そう悪くはあるまい。
先ほどのヤバそうな見かけを思い出すに、今なら放っておいても何とか家に戻れそうですね、というくらいだと言えば分かるだろう。
とは言え、いきなり動かしてやっぱりまだ骨折してた、ではまずい。
とりあえず、目覚めるまで待って、男に痛みはないかしっかり確認してから戻った方がいいな、と思った俺だった。
◇◆◇◆◇
「……う……こ、こは……?」
少し揺り起こしても起きる様子がなく、目覚めるまであまりにも手持無沙汰だったため、周囲に何かないか観察していた俺の耳に、そんな声が聞こえてきた。
どうやら、男が起きたらしい。
それを察知して、俺は男のもとへと近づいた。
「……め、ざ、め、たか……?」
そう話しかけると、男は頷いて、
「あぁ……一体、ここは……そうだ、あのどでかい骨人は……っ! いつっ……」
意識がはっきりしてきたらしく、目を見開いてそう叫びかけた男は、痛みに腹を押さえる。
どうやら、反応からして俺の治癒では完治していなかったらしい。
まぁ、付け焼刃だ。
そんなに大層な効果があるわけでもないだろう。
後で病院に行った方が良さそうだな。
そう思いつつ、俺は男に、
「……おれ、が、たおし、た……こいつ、が、しょう、こだ」
そう言いながら示したのは、手のひら大の大きさの魔石である。
骨巨人を倒した後、その残骸を漁って見つけたものだ。
頭部をばらばらに砕いてしまって、その中に紛れていたから探すのは面倒だったが、時間はたっぷりあった。
結果、見つけることが出来た。
大きいものだった、というのも影響している。
男はそれを見て、驚いた顔で、
「……金級相当の魔石だな……詳しくは鑑定しなきゃわからんだろうが……やっぱり、それだけの大物だったのか……」
確かに、魔石だけ見ればそうだが、そこまでの実力があったかは疑問だ。
そうだったらたぶん、俺も倒せはしなかった。
これは運が良かったがゆえの、レアドロップというものだと思う。
たまにあるのだ。
ある程度の長い年月を経た魔物が、通常よりも高品質の魔石をその身に隠していることが。
今回の骨巨人は、おそらくかなり長い間放置されていたからこそ、こんなものが見つかったんだろう。
ともかく、それなりに高い値段で売れそうないい魔石であることは間違いない。
そしてそうなると、男としては、
「……それだけの魔石があれば……いや」
何かを言いかけて口を閉じた。
言いたいことは分かる。
これはおそらく、金貨十五枚以上で売れる。
つまり、男の借金はチャラになるだろう。
しかし男は、くれとは言えなかった。
そういうことだろう。
ただ、俺は男に言う。
「……ほし、い、なら、やっても、いい、ぞ」
もちろん、ただのつもりはない。




