第24話 水月の迷宮:屍食鬼VS
どうやら、俺の期待、というものは常に裏切られるものらしい。
そう思ったのは、転移陣による光の奔流が収まった後、目の前に広がる光景を見たからだ。
そこは、天井の高い、石造りの大広間だった。
おそらくは迷宮だろう、と推測できる、ありふれた景色。
壁に魔力を飛ばしても即座に吸収されてしまう特殊な空間。
水月の迷宮に未踏破区域、その続きということだろうか?
分からないが、しかし、そんなことを考えるよりも重要なことがある。
目の前にあるもの、それは、巨大な魔物と、そしてそれにやられた、と思しき男の姿だ。
男は、俺が追って来たあの男で間違いないことは、倒れていても確認できる装備や髪型で分かる。
ただ、遠めだがまだ息はあるようだ。
緩慢ながら、手足が動いている。
助けなければ……。
しかしそんな俺を遮るものが、ここにはある。
魔物だ。
巨大な、しかし俺にとっては馴染み深いその見た目。
骨のみで構成された、命を持たずに永遠の時間を彷徨うもの。
骨人――その上位個体、骨巨人がそこにはいた。
笑えばゲタゲタと骨のぶつかる音が大広間に鳴り響き、歩く足音はおよそ骨だけとは思えないほど大きく地面を揺らす。
あんなもの、迷宮で出くわしたら即座に逃げるような魔物だ。
骨巨人は、ただ骨人が巨大化しただけの魔物ではない。
骨人のみならず、巨人の因子をも取り込んだその魔物は、その強度や速度は通常の骨人と比べ、二段も三段も上である。
当然腕力も恐ろしいほど強くなっていて、当たれば一撃で吹き飛んでしまうことは確実だった。
あんなものと、戦う?
いくら多少強くなったとはいえ、馬鹿げている。
だが、あの魔物の足元には男がいるのだ。
見捨てられない以上、選択肢は他にない。
それに、この大広間、通路が見当たらないのだ。
こういう空間に、俺は覚えがある。
――ボス部屋だ。
一度入り込めば、部屋の主を倒すか、倒されるかしない限り出ることの出来ない特殊な部屋。
かなり有名な話だ。
ただ、通常はそんなことにはならない。
なにせ、一般的なボス部屋というのは、倒せないと思ったらすぐに引き返せるように、常に通路への入り口は開いているものだからだ。
そうでなければ、冒険者たちの死亡率は恐ろしいほどに高くなっているだろうし、そもそもなろうとする者すら相当に減少するだろう。
退却できる、というのはそれほどに重要なことであり、だからこそ、冒険者は自らの実力を徐々に研鑽しながら進んでいける。
しかし、そんな冒険者の大きな試練が、この脱出不可能型のボス部屋だ。
未だ誰も踏破したことのない迷宮のボス部屋はそうなっていることが多いと言われる。
またそうでなくとも、四十層を越えるとそう言ったボス部屋も増えてくる、とも言われている。
つまり、基本的にこんなボス部屋を攻略しなければならないのは、冒険者の中でもいわゆるトップクラスの者たちだけで、初心者、中級者、それに上級者でも四十層を越えない区域で稼いでいる者は、殆ど入ることなどないのだ。
それなのに、である。
ここはまさにそのようなボス部屋であるらしい。
これは、もう覚悟を決めるしかない。
そういうことなのだろう。
俺は剣を抜いて、骨巨人に立ち向かう。
幸い、俺が現れたと同時に、骨巨人の注意は俺に向いているようだった。
足元の男については、もはや息も絶え絶えであるからか、興味が薄いらしい。
早く決着をつけて、助けなければ。
そう思い、俺は地面を蹴る。
生前とは比べ物にならない速度で体が押し出され、骨巨人の足元にすぐに着いた。
そして剣を振り上げ、その足に思い切りたたきつける。
しかし。
――がきぃん!
と言う音と共に、剣が弾かれる。
そして、その直後、俺に向かって巨大な骨の手の振り下ろしが襲って来た。
まずい、と俺は慌てて距離を取るべく動く。
もちろん、倒れている男をひっつかみ、骨巨人から引き離すことも忘れずに。
このまま放置しておけば、いずれ踏み潰されて死んでしまう危険があるからだ。
幸い、骨巨人は、破壊力はともかく、速度については俺の方が若干上のようだ。
初めて戦うため、その実力の程が詳しくは分かっていなかったが、これなら、もしかしたら何とかなるかもしれない。
俺は、そう思って、抱えた男を大広間の端に置き、骨巨人のもとに再度向かう。
問題は、あまりにも固い骨にいかにしてダメージを負わせるか、だ。
先ほどの一撃は、気の力を込めたもので、俺の最大の一撃に等しいものだった。
しかしそれでも傷つく様子はなく、このままでは勝利を収めるのは難しそうだった。
普通なら、これで詰みである。
いくら多少速度で勝っているとはいえ、ダメージを負わせる手段がなければそこで終わりだ。
いずれこちらの体力が尽き、そこを襲われておしまいになる。
迷宮の魔物と言うものは不思議なもので、ボス部屋にいる魔物については体力切れ、ということがまずないと言われている。
その理由は、迷宮から直接力をもらっているからだ、とか、元々無尽蔵な体力を持っているからだ、とか色々な説があるが、概ね事実であることは冒険者たちの長年の経験からはっきりしている。
つまり、ボス部屋の魔物に体力切れを望むのは意味がないのだ。
だからこそ、倒す攻撃力がなければおしまいなのだ。
そういった諸々を考えると、今の俺が置かれている状況は絶望的に見えるかもしれなかった。
けれど、俺には、通常の冒険者とは異なり、やれることがあった。
俺は、聖職者ではないが、非常に特殊な力、聖気を持っているのである。
向こうは恐ろしいほどに巨大とは言え、その根本は不死者なのであるから、聖気の浄化の力を使えば、おそらくは傷を負わせられるはず、である。
そんな切り札があるのなら、初めから使え、という話であるが、使わなかったのには理由がある。
それは、そもそも俺は聖気をさほど使いこなせていないということはもちろん、それに加えて、武器の問題だ。
クロープに貸与されたこの剣は良い作りのものであるが、聖気を注ぐ目的で作られてはいない。
したがって、聖気を使って戦っても、どれだけ持つのか、という問題があった。
けれど……。
ここでこれを使わなければ、俺もあの男もここで死ぬしかないのだ。
出来ることがまだある以上、やらなければならない。
それが、冒険者だ。
最後まであきらめずに戦うのが、冒険者なのだ。
俺はそう決意を固めると、剣に聖気を注いでいった。
今まで気の、黄金に近い色のオーラを薄く纏っていた剣が、聖気の青白く清浄なオーラを放ち始める。
それを見て、骨巨人は何かを感じたのか、若干後ずさる。
浄化の力は、不死者の天敵だ。
恐れる気持ちは分かる。
それをなぜ屍食鬼である俺が宿していて平気なのかは謎だが、そもそも俺が骨人になったことからして謎なのだ。
今更気にしても仕方がないし、それなら使えることに感謝するしかない。
俺はそして、剣を骨巨人に振るうべく、地面を思い切り蹴る。
気の力を十分に注ぎ込んだ足の力は、大きく離れていた骨巨人との距離をすぐに縮め、そして俺はその足元へとたどり着く。
骨巨人がそれに気づいたころにはもう、遅かった。
俺の剣は振り上げられ、骨巨人の、木の幹のように巨大な足に吸い込まれるように振り下ろされる。
そして、命中した、と思った瞬間、骨巨人の足は、溶けるように切断されていった。
剣を最後まで振り切ると、骨巨人は片足を失い、それによって大きくバランスを崩してその巨体を支えきれずに倒れこむ。
それによって生まれた大きな隙に、俺は骨巨人の頭部へと走り込み、そして思い切り剣を振って、砕いたのだった。