第23話 水月の迷宮の油断
「……行き止まり、か?」
ゆっくりと警戒しながら足を進める俺を、男が追い抜いていき、そして広間の壁を中心から見回しながら、そう呟く。
実際、広間は行き止まりのように見えた。
しかし、長い間、発見されてこなかったこの未踏破区域に、これほどまでに何もないというのは拍子抜けだ。
いや、むしろ何かあってほしい、と思うのが人情だ。
まぁ、ある意味、その何かはすでに去ったと考えることも出来なくはないが……。
つまりは、俺が遭遇した《龍》がそれだったのだ、と。
だが、そうなると、やはりここにはもう、何もないということになってしまう。
それは寂しい。
だからせめて他にも何かないかと、男と周囲を歩き回ってみた。
すると、
「……おい! こっちに隙間があるぜ!」
と、男が叫んだ。
何か見つかったか、と男の方に近づいてみると、なるほど、男が指し示している壁に隙間があった。
顔を近づけてみると、仮面からはみ出たわずかな皮膚に風を感じる。
……何か、ありそうだな。
そう思って、ぺたぺたと壁をいじくりまわすと、かちり、と何かを押したように壁の一部が凹み、それから、音を立てながら壁の一部がせり上がって、そこに新たな通路を作り出した。
「……かく、し、つう、ろ、か」
「……おぉ、そうみたいだな……しかし、マジかよ。誰も来たことのない新しい通路に加えて、隠し通路……これは冒険者組合に報告すりゃ、一財産なんじゃないか?」
そうなる可能性は低くない。
これであんたの借金も何とかなりそうだな、と思って俺が男に視線をつい、と向けると、男は慌てて、
「い、いやっ! もちろん、あんたの発見だってことは分かってる! 俺はただ、着いてきてるだけだし、魔物も倒してねぇんだ。一緒に見つけた、なんて口が裂けても言えねぇよ……」
とぶんぶん首を振りながら、自分を卑下して言う。
別に今更気にすることもないし、ここまで来たらもう少し図々しく分け前を要求してもいいような気がするが、そういうところ、男は律儀らしかった。
まぁ、俺も金は欲しいが、この見た目では使える場所に限りがある。
ここで一気に稼がずとも、徐々に溜めていく、くらいのつもりでも別にいいのだ。
少しお人好し過ぎる気もするが、そもそも俺では冒険者組合に報告できないのだからな……。
「……お、まえの、て、がら、にすれば、いい……それよ、り、さき、だ……」
まだ通路は続いている。
そちらの方が気になる。
俺は男の返事を聞かず、再度歩き出した。
◇◆◇◆◇
隠し通路も、今まで歩いてきた道とさして変わらなかった。
多少、魔物の質が上がってはいたが、せいぜいがポイズンスライムや、骨兵士くらいのものだ。
今の俺にとって、雑魚とまではいわないが、十分な安全を確保して戦えるレベルの相手に過ぎない。
それに隠し通路は短く、すぐにまた、開けた場所についた。
今度も広間で、また《龍》が出現するのではないか、と怯えながら歩いたが、そんな心配は無用だった。
ただ、今度は全く何もない、というわけではなく、中心に魔法陣が刻まれていた。
これは、珍しいことで、ただ、全くないということでもない。
大きな迷宮の深部には、それに乗ることによって、仕掛けが動き出したりするような場合があり、そうしなければ先に進めない、ということもあるらしい。
ここにある魔法陣も、そう言った何らかの機能を有している可能性はある。
俺は初めて目にしたが……。
しかし、広間に同じく足を踏み入れた男は、
「……また、何もない部屋かよ。またどこかに隠し通路でもあるのか?」
そう呟いている。
しかも、地面に思い切り刻まれている魔法陣には全く、目もくれずにだ。
「……おま、え……?」
そう声をかけ、視線を下に向けて注意を促すも、男は無反応だ。
それどころか、俺が何を言いたいのか分からないようで、首を傾げて、
「……なんか、あったのか?」
と尋ねてくる始末だ。
これで、男にはどうやら魔法陣が見えていないらしいことが分かった。
しかし、それが分かったところで何だと言うのか。
俺にしか見えないのか、それとも男には見えないが、俺以外の他の人間にも見えるのか。
それは分からない。
ただ、この状況ですんなり魔法陣に乗っかり、その機能を試すのは流石に怖いような……。
そう、思ったところで、男が考えている俺を見て近寄って来た。
そしてその際に、魔法陣を思い切り踏んだ。
「……あ……」
その瞬間、魔法陣が光りだし、そして、男はその光に飲み込まれて、消えた。
それを見て、俺は後悔する。
先に踏めばよかったか、とか、せめて注意すべきだった、とか。
ただ、そんな反省を今更しても無駄だ。
今考えるべきはこれからどうするか、だろう。
幸い、男が踏んだおかげであの魔法陣の効果がなんとなく理解できた。
おそらくは、転移陣だろう。
踏むことによって、任意の場所へと移動することの出来る非常に特殊な魔法陣。
何十階層もある巨大な迷宮に、五階層とか十階層ごとに配置されているらしいそれは、残念なことに人の手で作り出すことは出来ていない。
魔法陣を真似ても稼働しないらしく、また人が使っている魔法陣とは仕組みそのものが違うようで、解析が出来ないらしい。
それでも研究する者は大勢いて、いつかは人の手で作り出そうとしているようだが、今のところその目途は立っていない。
そんなものだ。
つまり、あれは迷宮限定の代物で、飛ばされる先については調べようもない。
乗ってみなければ分からない。
そういうものだ。
つまり、俺には今二つの選択肢がある、というわけだ。
追いかけるか、諦めるか。
慎重に行動する、というのであれば諦める、が正しいだろう。
もしあれにのって、とんでもない場所に飛ばされて、しかも戻ってこられないとなったら目も当てられないからだ。
けれど、見捨てるのは……。
そもそも、しっかり魔法陣の見えている俺が注意しなかったのがそもそもの原因と言えば原因だ。
それなのに、見捨てて戻ると言うのも寝覚めが悪い。
それに、絶対に戻ってこられないと決まっているわけでもない。
確認されている転移陣の情報を思い出すに、双方向で行き来が可能なものもあるという。
しかし、あの男にそういうものだ、という知識はなさそうだ。
なにせ、冒険者としての基本的な知識すら欠けているのだ。
使うこともなさそうな転移陣の情報など、仕入れていることは期待できない。
それに、あの男には見えていないのだ。
それを考えると、仮に双方向式の転移陣だったとしても、自力で戻ってくることは期待できない……。
「……く、そ……」
考えれば考えるほど、悔やまれる。
そして、こうなったらもう、なすべきことは決まっていた。
ここで見捨てて逃げ帰って寝覚めの悪い思いをするくらいなら……。
俺はこつこつと転移陣の元まで歩き、そしてわずかに発光しているその魔法陣を少しの間見つめてから、一歩踏み出す。
案の定、魔法陣の光は増していき、そしてすぐに俺の視界全体を覆うほどの大きさになった。
あぁ、飛ばされるな。
自分の選択とは言え、いざ乗ってみると、色々不安だった。
しかし、こうなったらもう、仕方がない。
どうか、飛ばされる場所が安全なところであることを。
そう祈ることしか、もはや俺には出来なかった。