第16話 都市マルトの学者
「……“龍”とは。実に嘘くさい話だ、と言ってやりたいところだが……」
そこで言葉を切って俺を見、それから首を振って、
「その見た目ではな。信じざるを得まい。しかしまさか昔からの知り合いが不死者になるとは……思ってもみなかったぞ」
しみじみとした目でローブを脱いだ俺の全体像を見ながらそう言ったのは、俺の昔からの知り合い――学者のロレーヌ・ヴィヴィエだ。
野暮ったいローブに適当にまとめられた長い髪、全体に気だるげな雰囲気が満ちている彼女だが、妙に蠱惑的なところもある。
彼女との付き合いは長く、俺がこの街マルトにやってきてからだから、もう十年になるだろうか。
最近ではほとんど腐れ縁に近い仲になりつつあるが、彼女の学識はいつも俺を助けてくれたし、今回のことについて相談する相手として、彼女以外に適当な人物を思い浮かべることが俺には出来なかった。
実際、彼女は俺の話を聞いても、また俺の今の状況を見ても、驚きはしたが頭から否定したりはしなかった。
それどころか、おそらくは事実であろう、と考えたうえで、色々と考察してくれている。
「おれ、のほうが、しんじられない、けど、な……こん、なもの、になる、なん、て……」
俺がそう言うと、ロレーヌは頷いて、
「それはそうだろうな……“龍”に食われればアンデッドになれるなどと、誰が考えるものか。しかし、“龍”か……あの迷宮にそんなものがな。今もいるのか?」
「い、や……おれ、が、めざめ、たときに、は、もう……いなかった……。けは、いも、なかった、から、たぶん、いまは、いな、いだろ、う……」
もしも未だにいるとしたら冒険者組合に早急に報告することが必要だろうが、あれだけ強大な気配が、俺が目覚めたそのときにはすでになかった。
まるで夢か霞のように、完全に消えてしまっていたのだ。
どうやってあの龍が現れ、また消えたのか。
その理由は分からないが、仮に自由に現れ、また消えることが出来るとなると、注意するだけ無駄だろう。
一応の調査はした方がいいかもしれないが、証拠もなく報告したところで嘘扱いされるだけだと言うのも分かっている。
俺の姿を見せて、龍に会ってこうなった、と言えば多少の証拠にもなるのかもしれないが、それをするとなると俺は身の危険を覚悟しなければならないし、そもそもなぜ龍に出会ったらアンデッドになるのかと聞かれると俺にも答えようがない。
つまりは、結局大した根拠にもならない可能性が高く、身を危険にさらしてまですべきことには思えない。
したがって、今のところは放置するしかないだろう、と思っている。
そう言ったことをロレーヌに言うと、彼女も頷いて、
「正しい推測だろうな。龍が現れたと言われて信じる者など、まずいない。私はお前とは長い付き合いになるからそんな嘘は言わないと分かっているが……他の者たちからするとな。信じてやりたいとは思うが、流石にないだろう、という話になってしまうだろう。そもそもその姿をさらせば討伐対象まっしぐらだ。やめとけやめとけ」
ひらひらと手を振ってロレーヌは笑う。
それにしてもロレーヌの振る舞いは、アンデッドでしかない俺を目の前にして相当に図太いわけだが、どうして彼女がこんな風でいられるかというと、そもそもロレーヌが図太いと言うか、細かいことは気にしない性格をしているというのがまず一つ。
そしてもう一つが、彼女の主な研究対象が魔物や魔術などに向いているからだと言うのが大きい。
人間がこんな風に変わってしまった、その原因や理屈には深い関心があるらしく、先ほどから色々と考えてくれているのは必ずしも俺だけのためでもないということだ。
「しかし、見れば見るほどにアンデッドだな、レント。こう聞いては何だが……お前は以前のレントと同じなのか? 同じようで、似て非なるもの、だったりはしないのか?」
この質問には、俺としてもなんとも答え難かった。
なにせ、俺には分からない。
俺にはレントだと言う自覚があるが、おそらく俺が一度生物としては死んでいるというのも間違いないだろう。
なにせ、最初は骨だけだったのだから。
にもかかわらず、以前と同じ記憶と意識がある。
今の俺と、以前の俺と、全く同一の存在なのかと聞かれればその記憶と意識が証明だと言いたいところだが、そもそもアンデッドとはそういうもので、しかし別の存在なのだと言われればそうなのかもしれないという気もしてくる。
だから、分からないとしか言えない。
ロレーヌにそんな話をすれば、彼女も納得したような表情で、
「たしかに真実はただ考えるだけではわかりそうもない、な。私からするとその返答は間違いなくレントのもののようにも感じられるが、記憶や性格が同じだから、同一の存在だと言えるかと言われると……違うかもしれないという話になってしまう。うむ、分からん。この問題はとりあえず置いておこう。あとで考えておく。それより、レント。お前、これからどうするつもりだ? 今一番大事なのはそれだろう?」
分からないとなるとさっさと話を進める辺り、頓着がなくて楽な相手である。
そして彼女の言うことは、まさに俺が彼女のもとを訪ねてきた理由だ。
俺は言う。
「ぼう、けんしゃとして、やっていき、たいとおもって、る……でも、ぼうけんしゃ、くみ、あいには、いけ、ない……」
「討伐されてしまうものな……ならば、私が代わりに依頼を受け、素材を収めればいいか? そのために来たのだろう?」
たったこれだけで俺の言いたいことを理解してしまえるほど、彼女と俺の付き合いは長い。
しかし、こんな簡単に受け入れられてしまうと、若干申し訳なくなって、
「……いい、のか?」
そう尋ねてしまう。
これにロレーヌは、
「別に構わん構わん。大した手間ではないしな。しかし、ただで、と言えばお前ももやもやするだろう……という訳で、お前、私の研究に協力しろ」
「けんきゅ、う?」
「なに、簡単な話だ。私が何について研究しているかは、お前も知っているだろう?」
「ま、もの、や、まじゅ、つ、だろ、う?」
「その通りだ。その中には当然、魔物の進化についてのそれも含まれる。実のところ、私に限らず魔物の存在進化についての研究はあまり進んでいなくてな。しかしレント、お前がいれば色々と分かることも多そうだ」
「……べつに、いいが、かい、ぼうとか、は、むり、だぞ?」
「流石にいかに私と言えどもそこまでマッドサイエンティストはしていないぞ? まぁ、皮膚くれとか肉くれとかは言うかもしれんが」
「……」
十分にマッドではないか、と思ったが言うのはやめておいた。
そんなの嫌だと言ってじゃあこの話は無しな、と言われても困る。
しかし魔物の存在進化がそこまで研究不足だったとは知らなかった。
俺もあまり詳しいわけではないが、それなりに知っていることもあるし、専門家の間ではもっと色々分かっているものだと思っていた。
そう言うと、ロレーヌは、
「従魔師の協力を得て、限定的ながら分かっていることもある、というのが実際のところだ。しかし、そもそも従魔師は特殊技能だし、数も少ない。それに彼らに従えられた魔物は大抵なぜか存在進化をしなくなる。だから専門技能を活かして出来る限り傷の少ない魔物の捕獲を頼める程度だ。そこから先は、学者の領分になってしまって、中々いろいろと難しいと、そういう感じだな」
思った以上に難航しているらしい。
そんな状況で俺に出来ることが何かあるのか、と思うが、ロレーヌは、
「魔物本人の協力が得られる機会などまず、ありえんぞ。それに、お前はすでに一度、存在進化を経ているというではないか。つまり、これから先も存在進化出来る可能性が高い。そうなったときのことをわたしに報告してくれれば、それでいいのだ。まぁ……事情が事情だから、どこかに発表するというのも難しいだろうが、理屈が分かる糸口にはなるだろうし、お前自身のためにもなるだろうしな」
「おれ、の、ため?」
「そうだ。お前がこれからどういう進化が出来るか、それをわたしも一緒になって考えてやれる。お前もここにある本をそれなりに読んで魔物については普通の冒険者より詳しいだろうが、私はこれで飯を食っているんだ。出来る助言も多いと思うぞ?」




