第15話 都市マルトの友人
「まち、だ……」
俺は辺りを見回しながら、そう呟いた。
そこには、活気あふれる都市マルトの姿があった。
たった数日、しかし俺にとっては永遠にも感じる隔たりのある、長い時間だった。
もうずっと、ここに戻ってくることは出来ないのではないか。
そう思っていたくらいだ。
けれど、今、俺はここにいる。
マルトに、都市マルトに!
興奮して飛び上がってしまいそうだが、しかし、街の入り口から少し入ったくらいのところでそんなことをしていたらいかにも怪しい。
それに、やることもそれなりにあるのだ。
心の底から喜んで万歳するのは今でなくてもいいだろう。
「とうとう入れましたね。よかったですね、レントさん!」
リナが横でそう言って笑いかけてくれる。
本当にいい娘だ。
アンデッドの俺に本気でそんなことを言ってくれるのだから。
しかもここまで協力してくれて……。
でも、ここまでだろう。
これ以上は迷惑が掛かりすぎる。
だから俺はリナに言う。
「ほんとう、に……ぜん、ぶ、リナのおかげ、だ……。これ、で、おれも、ひとり、で、やってけ、そうだ……」
「え?」
「……リナ。リナとは、もう、おわかれ、だ……これいじょう、おれ、といっしょに、いたら、きっと、めいわくが、かか、る、から、な……」
そんな俺の言葉にリナは、心外そうな顔をして、
「レントさん……そんな、私は」
何かを言いかけた。
けれど俺はそれを最後まで聞かずに、
「リナ……いま、まで、ありがとう、な……また、おれ、が、もっと、にんげん、みたいになれた、ら……あいに、いく、よ……」
そう言って、走り出した。
俺は屍食鬼である。
その身体能力は人間を遥かに凌駕する上、リナはまだ鉄級冒険者に過ぎない。
真剣に走り出した俺に、彼女が追いつけるわけがないと分かっての行動だった。
後ろから声が聞こえていた。
呼び止める声だ。
けれど、止まってはダメだ。
彼女とは、ほんの短い付き合いだが、それでも冒険者として、十分な才能があることは分かっていた。
俺みたいな、わけのわからない存在と一緒にいて、その未来をこれ以上危険にさらすのはどうしようもなく申し訳ない気がした。
街に入るまで、散々頼っておいて、いざ入れたら、はい、さようなら、というのも中々に酷い人間だなという気がするが、そればっかりは仕方がない。
そうしなければ入れそうもなかったし、ここで別れれば彼女の人生も傷つかないはずだ。
それに、今の俺では彼女の近くにいるべきではないけれど、そのうち、もっとマシな見た目になれば、また会いに行けるはずだ。
そのときこそ、謝罪に行こうと思う。
それまでは……遠くで見守るくらいにしておこう。
それが、彼女のためだ。
そう、思った。
◇◆◇◆◇
しかし、そうは言っても、俺にはまだ、人間の協力者が必要なのは間違いなかった。
なにせ、この見た目で冒険者組合に入るのは怖い。
それでも、小さなころから冒険者になるための努力しかしていない俺には、稼ぐ手段は冒険者として働くことしかないのだ。
もちろん、この見た目である。
受けられる依頼は魔物の討伐や素材集めなどに限られるだろうが、それでも十分に生きていけるくらいには稼げるのだ。
ただ、どうしても自分で冒険者組合に入るのは厳しい。
なにせ、冒険者組合の人間は基本的に全員、魔物についての専門家である。
いくらローブやら手袋やら仮面やらで体中を隠していても、ひょんなことから気づかれて、服をすべて剥ぎ取られる可能性はなくはない。
そんな危険を冒す気にはまるでなれなかった。
では、どうするのか。
そこで、人間の協力者だ。
それも、リナのような純粋なタイプではなく、もっと後ろ暗いところがあって、人に隠しごとが出来るような者の方がいい。
そうでなければ俺もまた負い目を感じてしまう。これ以上、純粋な善意に頼るのは申し訳ない。
しかし、そんな人間がいるのか。
実のところ、俺にはまさにそう言った人物に心当りがあった。
この都市マルトにおいて、俺の友人とも言える人物である。
今まで、俺はその人物の自宅に向かって歩いていたのだ。
そして、たった今、俺は辿り着いた。
◇◆◇◆◇
――ガンッ、ガンッ!
と、扉につけられた不気味な意匠のノッカーを叩く。
しかし、しーんとして、誰の反応もない。
仕方なくもう一度叩くも、やはり、誰の反応もない。
これで、普通なら諦めて帰るところだろう。
けれど、俺にはそういう訳にはいかない事情がある。
この家の住人を訪ねなければ今日の生活すら厳しいのだ。
どうしてもこの家の中に入らなければならなかった。
だから、俺はノッカーを諦め、扉のノブを回す。
正直なところ、最初からこうするつもりだった。
この家の住人はこうして真面目に訪問したところで普通に応対することなどあまりない。
むしろ、昔から勝手に中に入って来いと言うスタンスで、俺も基本的にはいつもそうしていた。
にもかかわらず、今日に限ってどうしてノッカーで行儀よくノックなどしたのかと言えば、こんな姿の俺がいきなり訪ねてきたら流石に面食らうだろう、という配慮である。
せめてドア越しなら、まだ安心して話せるだろう。
そういう気遣いであった。
けれど、それもこれもすべて無駄にしてくれたのは、向こうの方だ。
もうこれ以上我慢する必要はない以上、勝手に入ることに俺は決めた。
案の定、というべきか、ドアにはカギがかかっておらず、ノブは素直に回った。
そして俺は、がちゃり、と開いたドアの中に遠慮なく足を踏み入れる。
◇◆◇◆◇
――相変わらずだな。
部屋の中に入って、まず、俺はそう思った。
埃っぽい部屋の中に、いくつもうずたかく積まれた本があるのが見える。
足の踏み場もなく書類が落ちていたり、用途の良く分からない道具類が転がっている。
家具類も一応あるにはあるが、ほぼすべての家具の上に本かガラクタが設置してあり、本来の用途をなしていなかった。
そして、唯一、本やがらくたの置いていない場所には、その代わりに、部屋の主が横になって眠っていた。
野暮ったいローブに、長い髪がぼさぼさのその人物こそ、俺が訪ねてきた相手に他ならない。
俺は彼女に近づき、そして体を揺する。
「……おい……おい、おきろ」
「ん……んん……もう少し、寝かせてくれ……」
眠そうな声と吐息が漏れるも、俺は手を止めたりはしなかった。
その上、
「……もういちど、おなじ、ことをいったら、あたま、のうえに、ほん、をふら、すぞ……」
「……それは勘弁してほしいところだな……ふあぁぁ……なんだ、レントか? 一体こんな時間に何のようだ? お前、いつもなら今くらいは迷宮に潜ってるはずなんじゃあ……!?」
俺の言葉にはっきりと言葉を返し、それから伸びをしながら起き上がりつつ、俺に話しかけてきたその女性は、目をゆっくりと開け、それから俺の顔を確認した瞬間、びくりとして体を引いた。
そして、
「お前っ……て、なんだ、ただの仮面か……びっくりさせるな」
と、よく見て俺の仮面を確認し、安心した彼女の前に、俺は、手袋を取って、右手を見せる。
もちろん、枯れ切った肉のついた腕だ。
こんなもの、突然見せられれば普通面食らう。
しかし、
「……何があった?」
途端に真面目な表情になってそう尋ねてきた彼女に、話が早そうだな、と妙な安心感を覚えた俺は、改めて、彼女にここ数日間の状況を話すべく、口を開いた。