第139話 下級吸血鬼とロレーヌの昔語り
ロレーヌの質問に、俺は呆れる。
何を当たり前のことをいまさら言うのかと思ったからだ。
俺は言う。
「なんだか俺を試すような言葉選びだが、ロレーヌだって分かってるだろ? 信じない理由が何一つない。ロレーヌを信じられなくなったら、一体他に何を信じろっていうんだ。俺のこの体について、誰が真面目に研究してくれる? そうだろ」
そう言う話になるからだ。
俺の馬鹿げた話を、真面目に聞いてくれる人間なんて探して中々見つかるものではない。
ましてやまともに取り合って研究対象にしてくれるものなど、ロレーヌ以外に考えられない。
まぁ、この体を晒し、その秘密を教えて、研究してくれないかと言えば二つ返事で引き受ける者はいるだろう。
けれど、その場合、俺はまんま実験動物というか、どこまでも切り刻まれてどこかの研究施設に放り込まれて一生駕籠の鳥の生活になるだろう。
こんな風に、自由に生活している状態で診てくれるなんてことにはならないのは間違いない。
ロレーヌは俺の言葉に微笑み、いう。
「……確かにそうだな。悪かった。私も少し酔っているのかもしれん」
少し遠いところを見るような瞳をしていて、どうしたのかと俺は首を傾げる。
するとロレーヌは首を振って、
「いや、昔のことを思い出したんだ。故郷にいるときのことをな。皆、初めのうちは私が何を言っても異端扱いだったものだから……」
「へぇ?」
ロレーヌが昔語りをするのは極めて珍しい。
故郷、ということはロレーヌがここに来る前に住んでいた国の事か。
確か、学問の国と呼ばれるところだったはずだ……ええと。
「ロレーヌの故郷と言えば確か、レルムッド帝国、だったか」
「そうだ。よく覚えていたな?」
「そりゃあいくら田舎者でも、友達の故郷くらいはな。かなり遠いから行ったことは流石にないけど」
かなり規模の大きな西方に存在する国で、それこそロベリア教が勢力を誇っている国だということは聞いたことがある。
誰にかと言えば、それこそロレーヌにだ。
ただ、東方の小国であるこのヤーランにおいては、その影響力は小さい。
というか、レルムッド帝国もこんな小さなしょぼい国に興味はないだろう。
特に特産品があるわけでもなし、征服したところで何か得られるところがあるのか?
と住んでいる俺ですら疑問に思ってしまう程度の国だ。
もし仮に、レルムッド帝国がヤーランを侵略する気になったとして、それは他のあらゆる国を併呑したあとになるだろう。
それくらいに、つまらない田舎国家なのが、このヤーランなのである。
……言ってて悲しくなるな。いいところなんだぞ!
他のところと比べると色々とあれだけどな……。
ロレーヌは続ける。
「あの国は、このヤーラン王国と違って、人の時間が早く流れていてな。今思えば、ものすごく疲れるところだった。毎日あくせく努力して、人を蹴落とし、踏み台にしつつ、ただひたすら上を目指すような、そんな人間ばかりのところだ。まぁ、国や人類の繁栄を考えると決して間違った姿勢ではなかっただろうが、それも行き過ぎると問題になると言う、いい例だ」
「だからここに来たわけか?」
俺がそう尋ねると、ロレーヌは少し言葉に詰まりつつ、しかし頷いていう。
「それが大きな理由の一つであるのは違いないな。大きく言えば安らぎを求めていたというか……まぁ、それはいい。そんな国で、私も今とはだいぶ違った生活をしていてな。これで結構なエリートだった。それこそその気になれば、レルムッド第一大学の学長の地位すら狙えたくらいにな」
唐突に出てきた単語に、俺は首を傾げる。
田舎者には難しい話だった。
「……レルムッド第一大学というのは……?」
「私の母校で、レルムッドにおける最高学府だ。まぁ、努力すればだれでも入れるから大したところではないのだが、その学長の地位は、あの国の学者たちが欲しがる椅子のうちの一つだった。私も例に漏れず、手を伸ばそうとしてな。いろいろやって、業績を積んでいったのだが……そのときにな、足を引っ張ろうとする者たちが多くて多くて辟易したのさ。誰にでも分かるように真理を示してやっているのに、なぜか全否定されるのだ。わかるか? みかんを目の前において、これがみかんだ、というと、いいや、それはリンゴだ、とか、それはパンだろう? とか言う者が次から次へと現れる。その上、私の方が間違っている、という目で見られるのだ。目の前にあるのは、どう見てもみかんなのにだ。頭がおかしくなる」
「それは……」
良くある話というか、その辺りの人間の機微はなんとなく理解できる。
つまりは上に結構早いスピードで登って来たロレーヌを快く思わなかった者たちが多くいたということだろう。
まぁ、そのみかんがみかんである、と本当に理解できなかったのかもしれない可能性もなくはないが、どちらかと言えば足を引っ張っていたと考える方が自然だ。
気の毒な話だな、と俺が思ったのが雰囲気に出たのか、ロレーヌはふっと笑う。
「まぁ、私も私であの頃は立ち回りが下手すぎた。子供だったからな。今だったらもう少しうまく動いて、気分よくやれただろう。ただ、あの頃は無理だった……それで、色々と疲れて、私はここに来たわけだ。ある日、突然、なんとなく、な」
「……それは、相当な無茶だったんじゃないか? それなりに仕事があったような話だが」
「その通りだ。が、それくらいしないと私の精神の平衡が保てそうもなかったからな……つまらなくて、かつイライラする日々にはさよならをしたかったのだ。実際、ここにやってきて思ったのは、何かから解放されたような感覚と、自分が久しく感じていない刺激をもらえるような、わくわくだったからな。来てよかったよ……そう、お前にも会えたしな」
ロレーヌはレルムッドで学者をやっていて、なんとなく飽きたからここに来たみたいな話を俺は聞いていたが、実のところ、結構色々あったらしいと言うのが初めてわかった。
まぁ、本当にロレーヌのその話を……レルムッドで木端学者をしていて、大した地位でもないからヤーランにやってきたのだ、というのを心の底から信じていたわけではなかったけどな。
その割に、ロレーヌがこの十年で見せてくれた学識や技術は優秀すぎるものだったからだ。
ヤーランでも、頑張れば宮廷学者になれるんじゃないか、と勧めたことも何度かあるくらいだが、ロレーヌは気が進まないらしいということを悟ってからは勧めなくなった。
そういう、権力闘争みたいなのは好きじゃないのだろうと思っていたが、こういう事情ならば仕方があるまい。
それに、ロレーヌがここにいてくれる、俺はその方がよかった。
彼女には何度となく助けられているし、この街で一番の友人であるからな。
これからも、こうしてずっと楽しく過ごしていけたらいい。
そう思った。




