第133話 下級吸血鬼と鍛冶場
――あいつは、何だ。
俺はそう思って、一歩前に足を踏み出す。
もっと、そのローブの人物を近くで見たいと、そう思ってのことだった。
しかし、まるでそれが合図だったかのように、ふっとローブの人物の輪郭が解けるように淡くなっていく。
彼に相対している少女もまた、同様で、徐々に色を失っていき……そして、消滅した。
残ったのは、なにもない岩肌に囲まれた坑道だけであり、たった今、ここであったことなどまるで気のせいだったとでも言いたげな静寂がその場を支配していた。
「……一体、何だったんだ……?」
思わず、口をついてそんな言葉が出た。
しかし、答える者など誰もおらず、ただ、声が反響していくだけだ。
第四階層では、こんなことは日常茶飯事なのだろうか?
いや、そんなはずはあるまい。
もし、そうだとしたらもっと噂になっていてもいいはずだ。
少なくとも、全く耳に入ってこないと言うことは無いだろう。
では、俺にだけ起こった特殊な現象だと言うことか?
しかし、どうして……ただの偶然か、それとも、何らかの必然なのか……。
分からない。
そしてしばらく考えて、まぁ分からないことは、とりあえず置いておくしかないか、と諦めた。
俺がこうして不死者になっている理由を含め、世の中にはわけのわからないことが多すぎる。
それはそれ、これはこれ、の精神が生き抜くには大事である。
さぁ、素材集めだ。
坑道を深く潜れば潜るほどいい《魔鉄》が手に入る。
進むぞ……。
◇◆◇◆◇
「ぐぎゃぁ!!!」
という人間のものとは思えない悲鳴が聞こえた。
俺の剣が、目の前にいる魔物、鉱山ゴブリンの顔を切ったからだ。
首を狙ったのだが、動きが思ったよりも素早く、避けられてしまった。
鉱山ゴブリンは、通常ゴブリンとは異なり、その名のごとく住処を鉱山とするゴブリンで、それに見合った技能を有している。
それはつまり、鍛冶技術である。
ドワーフのように精緻かつ高度な、魔道具を作るような技術はないまでも、剣や鎧を自らの手で作る程度の業は持っているのだった。
つまり、この山のどこかに彼らの鍛冶場があるはずだが、どこにあるのかは分からない。
何度か見つかって冒険者の手により破壊されているというが、その度に彼らは別の場所に鍛冶場をこさえるのだ。
そんなに簡単に作れるものではないような気がするが……迷宮は広い。
第四階層も本気ですべて回ろうとしたら一日二日では絶対に無理だ。
何週間もかける必要があるだろう。
それだけの空間があるのだから、常にいくつも鍛冶場を作り確保しておいて、一つ壊されたら次をどこかに建造し始めるのかもしれなかった。
だとすれば、いつまでたっても全くなくならない理由も分かる気はする。
道具の類は別のところで作ってもっていけばいい、というわけだ。
少なからぬ魔道具もあるようで、煙やら熱やらは外には漏れない構造になっているようで、見つけるのは困難なのだと言うしな……。
もうそれだけやるなら人間と協力して生きていこうぜと思わなくもないが、そうしているゴブリンも世の中にはいる。
この四階層の鉱山ゴブリンは、人間には分からない矜持を持って、そのような生き方を選んでいるのかもしれなかった。
そういうわけで、鉱山ゴブリンは見かけも通常ゴブリンとは異なり、鎧や武器はしっかりとしたものを持っている。
また、肌の色も、鉱山にいるために保護色になったのか、通常ゴブリンが緑がかった色をしているのに対して、土気色をしているのも特徴だろう。
また、鉱山を採掘しているだろう関係で、体も大きく、筋肉も盛り上がっている。
通常ゴブリンをガリチビだとすれば、鉱山ゴブリンはゴリマッチョである。怖い。
実際、切りかかってくる速度も、その腕力もかなり強く、正直言って蜥蜴人よりも手ごわい。
武器の扱いにもかなり手馴れていて、武術めいたものを使ってくる。
俺が切り付けても、一瞬、集中が乱れる程度で、すぐに冷静さを取り戻し、向かってくる。
徐々に簡単には勝てなくなってきている……。
しばらくは、ここで戦って魔物の力を吸収していくのがいいのかもしれないな、という気がする。
別に俺も強くなっていないという訳ではないのだが、それ以上にさくさくと下に降り過ぎた。
もっと自分の実力と相談してから降りるかどうかは選択すべきだったな、と思う。
まぁ、それでも大した怪我も負っていないのだから、まだ適正なところで戦っているとギリギリ言えるところであろうが、もう一階層降りるとまずいだろうな。
それとも、それくらいのところで戦って、身を危険に晒すことで実力の底上げでも図るか……いや、危険すぎるか?
その辺りは家に戻ってから改めて考えることにしようか。
それよりも今は、目の前の鉱山ゴブリンである。
大きめの両手斧を持っていて、俺では持て余しそうな品であるが、鉱山ゴブリンにとってはさほどの重さでもないらしい。
単純な重さ以上に、扱いも難しそうだが、それも手馴れているのだ。
俺が切りかかると、斧を横に構えて盾のように使い、うまく防御される。
そしてそのまま弾かれ、反撃される。
「……ぐっ」
間一髪で避けるものの、鉱山ゴブリンの猛攻は止まらない。
更に縦に両手斧を振り、俺を真っ二つにしようとしてきた。
今の俺が、単純に真っ二つにされたところでどのくらいのダメージを負うのかは謎だが、しかしあえて切られたいとも思わない。
意外と簡単に死ぬかもしれないしな。
慌てて俺は避けるも、頬を両手斧が掠めた。
スッとした一本の傷が入るが、数秒で治癒し、消えていく。
切り傷くらいならすぐに回復するようだった。
ただ、少し疲れた感じもするので、全く何のリスクもないという訳ではなさそうだ。
吸血鬼という種族は、たとえ切り刻まれてもすぐに回復すると言われており、実際に戦った者たちもそれには同意していて、下級吸血鬼もその例外ではないが、この感じだと何度となくバラバラにすれば、いつか回復できなくなるのかもしれない。
それを試した者がいないのか、記録に残っていないだけなのかは分からないが、ほとんどの場合、吸血鬼に出会ったらそんな方法ではなく弱点を突く方向で戦うのが普通だからな。
あえて手間と時間がかかる選択肢をとろうとは誰もしないのだろう。
俺は立ち上がり、鉱山ゴブリンに向かって剣を振り上げる。
鉱山ゴブリンは俺の攻撃を視認していていて、このままではまた防御されるな、と思ったが、
「……ぎゃっ!」
と、鉱山ゴブリンは声を上げ、両手斧を後ろに振った。
何を……と思って見てみると、そこにはエーデルがいて、魔術の風の刃を鉱山ゴブリンに放ったようだった。
もうすでに遠ざかって逃げており、両手斧からは逃れられているようで安心する。
俺への鉱山ゴブリンの注意も削がれており、俺は行けると考えて、思い切り剣を振り下ろした。
剣は深々と鉱山ゴブリンの頭部に突き刺さり、そしてそのまま、その体を真っ二つにする。
ぐらりと倒れた鉱山ゴブリン、その体からはだらだらと血が噴き出た。




