第13話 屍食鬼の仮面
「……やっぱり、ダメですか?」
ぎりぎりと顔面に張り付いた仮面と格闘する俺に、リナが気遣うような口調でそう言った。
仮面が顔に張り付いてから、大体、半刻は頑張っている。
が、いくら努力しても外れない。
まるで皮膚か何かのようで、外そうとしても顔ごと持っていかれる始末だ。
「だ……だめ、だ……」
そう答えると、リナは、
「……すみません、私のせいです……実は、今考えてみると、それ、売っていた人、怪しかったんですよね……露店で買ったんですけど、今なら安くしておくよって驚くほどの値段で……」
と聞き捨てならないことを言う。
売り文句だけなら普通の商人の台詞だが、それに怪しいほどの低額な値段設定となると……。
どう聞いても詐欺師の手口のようにしか聞こえない。
まぁ、詐欺師まがいではあるが、普通の商人、ということもなくはないだろうが……。
「ちな、み……に、いくら、だった……?」
「銅貨三枚でした。金属製の丈夫そうな仮面にしては、いくらなんでも安すぎますよね……? でも、一目見た時からなんだか気に入っちゃって……」
リナの趣味か。
まぁそれなら仕方がない……とはならないだろう。
当然だ。
というか、銅貨三枚って。
冒険者向けの仮面、というのは意外に珍しいものではない。
なぜなら、長年冒険者をしている中で、低位の回復魔術では回復しきれない大きな傷を負ってしまったりすることが多々あるからだ。
腕や足など、身体の大きな欠損は教会などの宗教団体で認定される聖女クラスでなければ回復することは出来ないし、それを望むのであれば寄進という名の多大なる治療費がかかる。
それが払えないものは、残念ながら諦めてそのまま生活するか、義手や義肢をつけたりして何とか頑張るしかない。
顔が大きく傷つけられたり、見るも無残な火傷跡が治せない、という場合には仮面をつけるわけだ。
低級な魔物の中にも、スライムの放つ酸弾など、顔が融けるような攻撃をしてくる魔物は少なくなく、避け損ねるとそういうことになってしまう。
そういうわけで、仮面は意外と俺たち冒険者にとって身近な品物の一つだった。
だからこそ、出来れば使うことのない人生を、と思いつつも、相場はなんとなく知っている。
その感覚からすると、今の俺が身に付けているような金属製の仮面は銀貨を出さないと買えないだろう。
銅貨は一枚二枚でパンが一つ買えるかどうか、くらいの金額である。
つまり、この仮面は、加工費は言わずもがな、材料費だけで銅貨三枚など越えているだろうと突っ込みたくなる品なのだ。
それなのに、リナは購入してしまった。
若干怪しいかもと思っていた節はあるが、安さに負けたのかもしれない。
「……」
じとっとした目でリナを見つめる。
眼球は一つ足りないけど。
するとリナは慌てたように手を顔の前で振って、
「あ、あのっ、いえ、大丈夫そうだなって思ったんですよ! 呪いの気配もなかったですし……ほら、私、普通に手で持ちましたけど、ピンピンしてるじゃないですか! もしかしたら何か訳ありかなとは思いましたけど、呪われてないなら別にいいかなって……」
まぁ確かに、言われてみるとそうだ。
リナは特に警戒することなく自分で袋からこの仮面を取り出して地面に置いている。
つまり、呪いがかかっているわけではない……?
いや。
顔に張り付いた仮面に意識を集中してみると、若干、邪悪な気配を感じる。
これは間違いなく呪いだろう。
リナに影響がなかったのは……おそらく、彼女は自分の顔につけようとはしなかったから、ではないだろうか。
なにせ、俺も手で持っただけの段階では何ともなかったからな。
つけた途端に発動する呪いだった、というわけだ。
全く、ついていない。
しかし、呪いか……。
それなら、何とかなるかもしれないな。
ふと、そう思って俺は体の中にある力に意識を集中する。
すると、ぼんやりと淡く青い光が俺の体から噴き出ていた。
「こ、これはっ!? まさか、聖気ですか……!?」
リナが驚いた様子でそう言った。
その反応は理解できる。
なにせ、聖気など滅多に見ることがない力だ。
祭りなどで聖職者たちがごくまれに使っているところを見る機会はあっても、これほど近くでそれの発動を見ることは無いのが普通だ。
そんな力を俺が今使った理由、それは、聖気には浄化の力があるからだ。
呪いを払ったり、解除したりするのは、神聖魔術でも可能なのだが、それに関しては聖職者たちが使い方を独占しているため一般に流れることはほとんどない。
俺も使い方は知らない。
ただ、聖気であれば、その詳しい使い方を知らずとも、放出だけで呪いを消去することも可能であると聞いたことがあった。
以前の俺であれば、そんなことは不可能だっただろう。
なにせ、水の浄化が限界だったのだから。
呪いなど、どう頑張っても払ったりは出来ない。
しかし、魔物を倒し、《存在進化》を経た今の俺ならば……。
そう思っての行動だった。
実際、効果はあった。
先ほどまで一切何の反応もなく、俺の顔に張り付き続けた仮面が、俺の聖気の放出にともない、カタカタと動き出したのだ。
これは……外れる!?
と、期待したのだが。
「……あ、あれっ? レントさん、青白いオーラ、なんだかさっきより、少なくなってってません?」
俺を観察していたリナが、心配そうにそう呟いた。
事実、彼女の言う通りで、俺の体から放出されている聖気は減ってきている。
というか、もう燃料切れだ。
いくら聖気が増した気がするといっても、やはり微々たるものだったようだ。
先ほどまで、仮面を押しているような感覚があったのに、今ではもう、聖気を押し返されているような感じしかしない。
こりゃ、ダメだ。
諦めた俺が、聖気の放出を徐々に辞めていくと、仮面の震えも同様に収まっていく。
そして完全にやめたそのとき、仮面はしっかりと俺の顔に張り付いていた。
もう、外れそうな雰囲気などまるでない。
やはり、俺の力では不足だったようだ……。
「……ダメでしたか」
「だめ、だった……な……」
ショックと疲労で俺が座り込むと、リナは、
「申し訳ないです……そんな呪いの品なんか買ってきてしまって……」
と謝りだした。
よほど俺ががっかりして見えたのかもしれない。
リナの目には涙が浮かんでおり、本当に申し訳なく思っているようであった。
確かに、あぁ、外せなかったな、残念だな、と思ったには思った。
しかし、よくよく考えてみれば、別に彼女の行動はそれほど責められたことでもないだろう。
だから俺はリナに言う。
「きに、しなくて、いい……どう、せ、いまの、おれには、かおを、かくすしかな、い……しば、らくは、このままでも、いい……」
「でも……」
「さっき、とけそうな、けはいはあった……つよくなれ、ば、はずれるかも、しれないし……おかねをためて、せいしょく、しゃに、はずしてもらっても、いい……」
言い募るリナに、俺はそう言って慰めようとした。
そして、肩に手を伸ばそうとして……彼女に触れる直前で引く。
そうだった、俺は屍食鬼で、彼女は俺にまだ、慣れていないのだった、と思い出したからだ。
しかし、そんな俺の手を引き止めるように、彼女の手が伸びて、手袋越しに包んだ。
「な、なに、を……」
驚く俺に、リナは言う。
「私、分かりました。レントさんは、悪い人……魔物?じゃありません! だから、もう、怖くないんです。怖く、ないんです……」
言いながら、手は若干震えていた。
分かる。
怖くないとか言いながらも、まだ、怖いんだろう。
ただ、そんな状態でありつつも、俺を慰めるためにわざわざ手を取ってくれたらしい、ということもわかった。
だから、俺は彼女に、
「ありが、とう……ただ……いつか、ほんとう、に、なれるまでは、むりしなくて、いい……」
そう言って、彼女の手を傷つけないように、ゆっくりと外す。
リナはそんな俺に、
「すぐに慣れます! すぐです! きっと」
根拠なくそう言って笑う。
他愛もないやり取りだ。
どこにでもあるような。
ただ、俺はあぁ、やっぱり、俺は生きているなと思った。
人間と人間らしく話すこと、それが、ひどく幸せに感じた。




