第10話 冒険者組合職員 シェイラ・イバルス
――レント・ファイナが戻ってこない。
冒険者組合職員シェイラ・イバルスは、そのことを不思議に思っていた。
シェイラは、冒険者組合職員として五年目の、比較的若い女性組合職員だが、レントとの付き合いは長い。
というか、冒険者組合職員になって、最初に担当した冒険者がレント・ファイナだった。
レントは当時、二十歳の若者で、ただ、その時点で冒険者としては五年の経験を積み、それでもまだ銅級にとどまっているという、分かりやすい低級冒険者だった。
冒険者として数年働き、そのくらいまでにしかなれていないとなると、大抵の人間は自分の才能を見限り、故郷に戻ったり、他の仕事を探して冒険者を引退するものだ。
それは別に恥ではないし、そういう選択をする者は大勢いる。
まぁ、それでも命が惜しくなったのか、とか、努力が足りないからだ、とか言って馬鹿にする者もいないではないが、冒険者という職業はそんなに簡単なものでないことは誰もが知っているので、そう言ったことをいう奴こそが馬鹿なのだとみんな心の中で思っている。
つまり、当時のレントは、そろそろ引退を考えてもおかしくはない年頃と経験で、そんな中、彼の担当になったのがシェイラ・イバルスということになる。
シェイラは、当時、そんなレントの担当になったことが、嫌だった。
というのは、別にレントが嫌いだったというわけではなく、冒険者組合職員の仕事には、冒険者たちに最後の引導を渡すことも含まれていて、レントは年齢と経験から見れば、シェイラが彼にもう冒険者は諦めた方がいい、と告げなければならなそうだったからだ。
誰かがやらなければならない仕事だが、出来ることならやりたくない仕事である。
それも、一番最初の仕事でそんな冒険者を振り分けられるなんて、と当時のシェイラの心には暗雲が立ち込めていた。
しかし、結果を言えば、そんなシェイラの心配は取り越し苦労だったと言える。
なぜなら、冒険者組合において、そもそもレントはそう言う対象ではなかったからだ。
確かに、レントの経験と、冒険者になってからの年数だけ見ればもう冒険者などやめた方が良さそうなものだった。
けれど、レントが冒険者組合内外でやっていることは、冒険者組合の運営を非常に円滑にしていて、むしろ、ランクなど上げなくともそのまま冒険者でいてくれた方がずっといい、と言いたくなるようなものだったからだ。
というか、むしろ冒険者をやめるんだったら冒険者組合職員に転職したらどうかと冒険者組合長がスカウトに走りそうなくらいだった。
レントの冒険者組合での役割は多岐にわたり、まず、冒険者組合に来た駆け出しの実力の見極めから始まり、それに見合った適切なパーティメンバーの選定・紹介、それに基本的な戦闘の知識や迷宮でのマナーについての解説・講習も行い、さらには心根の曲がった冒険者たちの陰謀を潰したりまでしていた。
しかも、それら全てについて冒険者組合からの依頼だと言うのならともかく、多くはレントが無償でやっていることばかりなのだ。
たまに冒険者組合から報酬を出して依頼することもあったにはあったが、微々たるものでしかなかった。
それなのに、レントは楽しそうにそう言った雑務を行っていた。
それも、彼のそう言った活動にはかなりの効果があって、駆け出し冒険者たちの死亡率は他の地域の冒険者組合と比べて驚くほど低く、また冒険者たちの綱紀も保たれていて、街の人間たちも冒険者たちと気さくに交流していた。
当たり前だが、これは、かなり珍しいことだ。
シェイラは、もともと都市マルトに住んでいたわけではなく、自分の生まれ故郷を離れて、王都でヤーラン王国冒険者組合の職員採用試験を受け、それに受かってここに配属された者だ。
そのため、冒険者組合と言えば、自分の故郷のそれしか知らず、そしてその故郷の冒険者組合の冒険者と言えば、端的に言って、もっと柄の悪い者たちばかりだった。
もちろん、いい人たちもいて、そういう人たちは街人にも邪険にされたり、怯えられたりと言ったことはなかった。
ただ、かなりの数の冒険者が、はみ出し者として嫌われていたのも事実で、それなりに罪を犯したりもしていたのだ。
なのに、この街マルトでは、そう言ったことがない。
冒険者は信頼されているし、一部の悪徳冒険者が何かをやらかしそうな時はむしろ冒険者たち自身の手で迅速に粛清される。
その理由こそが、低級冒険者レント・ファイナであるということを、シェイラは彼を担当しているうちに知った。
新人であるシェイラに彼が任されたのは、シェイラに低級冒険者を相手に経験を積ませよう、というわけではなく、レントにシェイラの教育をしてもらえないかという冒険者組合の配慮だったわけだ。
そして、実際にシェイラはレントに冒険者組合職員として必要な心得を多く教わり、今ではいっぱしの職員として毎日精力的に仕事をしている。
彼にそんな風に育てられた職員や冒険者は少なくなく、今、この街で頭角を現しつつある新人たちは大体レントの指導を受けたものだ。
いずれそこから最上位冒険者である神銀級が現れても何一つおかしくはないし、むしろその日が来るのが楽しみであった。
本当は、レント自身がそうなりたいと考えていて、毎日欠かさず修行をしていることをシェイラも、他の冒険者たちもよく知っていたが、しかし、彼自身の冒険者としての才能ではそうなるのは難しそうだと言うのも知っていた。
彼に才能さえあれば、と誰もが思わずにはいられなかったが、現実は現実である。
仕方がなかった。
とは言え、彼と実力者がパーティを組んで、パーティとして有名になる、という手もないではなかった。
しかし、マルトの冒険者たちは、その多くがレントの目標を知っていた。
神銀級冒険者になること。
それは、別に有名になりたいということと同義ではない。
彼は、自分の力で神銀級冒険者になりたいのであって、誰かの力で有名になりたいわけではないのだ。
そしてそのためには、どんなに可能性が低いとしても、ひたすらに実力をつけるしか道はない。
ソロで戦い続けることが、魔物の力を吸収するのに最も効率がいいことは明らかで、だからこそ、彼とは誰もパーティを組もうとはしなかった。
彼のために、と思って。
事実として、彼はあまり強くはない。
だから、どこかである日死んでしまう可能性もないではなかった。
けれど、シェイラも、他の冒険者もその可能性はかなり低いと思っていた。
だからこそ、ソロでも誰も何も言わなかった。
なにせ、レントは単純な腕っぷしこそ銅級に見合う程度のものでしかないが、その知識や経験は十分に高位冒険者に匹敵するものだった。
危険なものに対する判断力や冷静さを、彼は確かに持っている、そう信頼するに足りる冒険者だった。
なのに。
レント・ファイナが帰ってこない。
彼は、毎日同じ時間に迷宮に潜り、そして同じ時間に冒険者組合に戻ってきて、素材を納入したり依頼完遂の報告をして帰り、それから自分の修行を始める。
それが日課。
それが彼の日々。
それなのに。
彼は一体どこに行ってしまったのか。
彼を心配する者は、シェイラを初め、たくさんいる。
レント。
レント・ファイナ。
どうか、無事でありますように、とシェイラが祈りつつ、冒険者組合の仕事をこなしていると、
「……あのー……」
一人の少女から、そう声をかけられた。
シェイラがふと顔を上げて、その少女を見る。
その顔には見覚えがあった。
つい先日、王都から移ってきたと言う駆け出し冒険者だ。
運悪く、レントがいないときに来てしまったがためにとりあえずソロでやっている――たしか、名前はリナ・ルパージュだったか。