毛むくじゃら 16
全く眠れる気配がないのでパソコンをつけると、明日はどうするのか?といった内容のメールが何通か届いていた。
「明日雨やけど、それでも行くんか?」「駅前で待ち合わせる?」「何時ごろ?」
メールに気が付いた時間は、もはや早朝と言っても良い4時。
流石に起きてはいないのだろうが、それでも返事を返さなければならない。
「9時半位に駅前で待ってる」
来ないだろうなと思いながらも返信し、徹夜で乗り物は辛いだろうとベッドに潜り込むが、やはりグッスリとは眠れなかった。
一応セットしていた目覚まし時計が鳴り、一瞬で止めた後ダイニングに行くと、親父が1人で全員分の朝食を作っていたので、俺は2人分のコーヒーを入れて椅子に腰掛けた。
7人分用意された大量のサンドイッチを1つ手に取ると、隣に座った親父が1口コーヒーを飲む。
会話はないが気まずさはないノンビリとした朝。
2階では姉や姪、甥が寝ているとは思えない程ゆったりとした時間を過ごせている自分に、少しは姉にも慣れたのだろうか?なんて思って時計を確認してみると9時を回っていた。
「気ぃ付けて行けよ」
と、親父に見送られて小雨の降る中を駅に向かって歩いて行く。そしてもう少しで待ち合わせ場所だという所で、正面から若干小さめの傘をさした男が1人近付いてきた。
「ちゃんと寝たか?」
毛むくじゃらだ。
「ちょっとは寝れた。じゃあ行こっか」
1日乗車券を買い、丁度来た電車に乗り込むと、毛むくじゃらは出入り口の横にある路線図を熱心に眺め始めた。
どうしたのだろうか?と、同じように路線図を眺めてみると、なかもずまでの道のりを指で辿っていた。
「終点まで行けばええんちゃうの?」
実際に弟から、端まで。と聞いたのだから終点までと思っていたのだが、毛むくじゃらはグリンと俺の顔をわざわざ下から覗き込むようにして見上げて来ると、
「乗り換えあるからな?」
と。
「そうなん?」
「そんなんで1人で行くとか、よー言いよったな」
毛むくじゃらは、合計2回乗り換えてなかもずまで。と予定していたらしいのだが、1回目の乗り換え地点までが既に長距離。
乗り換える為に駅構内を移動している間に体調が回復してくれる事を願ったが、ホームに着いても頭はフラフラしているし、眠い訳ではないのに欠伸が止まらない。
「ちょっと休憩してえぇ?」
気分が悪い所まではまだ達していないが、そうなってからだと回復に1時間はかかってしまうので、この休憩は絶対に必要だ。
「大丈夫か?顔色悪いで」
ベンチに座り込みながら、大丈夫なら休憩を申し出てはいない。とか頭の中で突っ込みを入れる。
1本、2本と電車を見送り、3本目が来たところで、
「大分良くなったから行こ。向こう着いたら何か食べよっか」
と、電車に乗り込んだ。
「帰りの事考えろよ?」
着いてスグに何か食べれば大丈夫だろう。そう思っていたので、この時俺はファストフード店があれば良いなとか、喫茶店に行こうとか、そんな悠長な事を考えていた。
2回目の乗り換え時、御堂筋線に乗り換える為に駅構内を歩き、再びベンチで休憩。それでも気分が悪いという訳ではなくて頭がフラフラしている状態。食べようと思えば何でも食べられるほどの元気があった。
ただ、
「顔、青白いぞ?息してるか?」
毛むくじゃらには生きているように見えていなかったらしい。
御堂筋線に乗り換えてから1駅1駅が物凄く長く感じるようになり、フラフラしていた頭がグラグラに変化し、無かった吐き気も出てきて、本格的に酔ってしまった。
「次で休憩しよ……」
奇しくも次の駅名は“長居”だった。
「長居で長居……フッ」
面白くない事を呟き、1人で笑う毛むくじゃらを他所にベンチにダランと座り込む。グルングルンと回る頭の中が気持ち悪い。ファストフードとか考えるだけで気持ちが悪い。
帰りも同じ時間電車に乗らなければならないと言う事実が重く圧し掛かって来て、少しばかり視界が歪んだ。
本当に長居で長居をしてしまった後、やっとの思いで辿り着いたなかもず。スグに歩き出せる程の元気がなかったので、電車を降りた所に丁度あった自動販売機でお茶を買って、ベンチに座ってグイっと飲む。
「で、何処って?」
そう言いながら手を出してくるからお茶を手渡すと、グイーッと大きく一口飲んだ毛むくじゃら。
「なんとかセンターのイベントホール」
毛むくじゃらからお茶を受け取り、グビグビ飲む。
「なんとかって……嘘やろ?」
と、また手を差し出してくるから、またお茶を手渡して小さく手を振ると、お茶を飲みきった毛むくじゃらは空になったペットボトルを軽く振りながら、ごちそうさん。とゴミ箱の中に入れた。
ベンチから立ち上がって歩き出し、改札を抜けて真っ直ぐ案内板に向かうと、センターと名の付く建物が3箇所あった。
何処だっけ?
何処にしても2番出口からが近いし、とりあえず2番出口から外に出ようと言う事になり、長い階段を上がって広がる道。
右と左と真っ直ぐ。どっちに進めば良いのだろう?
サッ。
その時、俺達の後ろから1人の女性が現れ、颯爽と真っ直ぐ歩いて行った。その後ろには2人組の男性が、同じく真っ直ぐに進んで行った。
これは、もしかして?
「あの人ら文学フリマ行きそうやし、着いて行こ」
3人ともかなり足早だったので、置いて行かれない様にと毛むくじゃらの腕を掴んで軽く走るが、毛むくじゃらは大またで数歩歩いた後、
「走るな走るな。帰りの体力残しとき」
と、腕を引っ張ってきた。
見失ったらどうするのか?いや、でも確かに帰りの事を考えると体力を温存していた方が懸命だ。
「分かった」
目で3人を追っていると、産業復興センターと言う文字が見えて来て、それと共に微かなカレーの香り。
とても美味しそうな香りなのだろうと思うし、空腹ならば食欲をそそられる香りには違いないのだろう。しかし、乗り物に酔っている人間にとってソレは、刺激的過ぎるのだった。
気分が落ち着いた所でイザ、イベントホール内!
傘を入り口にあったビニールに入れ、文学フリマと大きく書かれたパンフレットを1冊受け取り、初めての雰囲気に緊張しつつ足を前に運ぶ。
「パンフレットどうぞー」
あちらこちらから聞こえて来る声と、思った以上に近い店員さんとの距離に手を本に伸ばす所か、立ち止まる事すら出来ない。
右を見ても、左を見てもズラリと並ぶ机の上には本。
「なんかあるか?」
ザックリと聞かれた所で、まだ何も手にとっていないのだから答えようがない。答える為には立ち止まって、本を手にとって……そうだ、値段も見なければ。
だけど、人が多い所だと立ち止まり難い。立ち止まらずに本を見ようとゆっくり歩くとパンフレットを進める声が気になってしまう。
「雰囲気に圧倒されてるところ……」
外は雨だと言うのに、イベントホールの中には沢山の人がいる。だけど、今日は乗り物には酔ったが、人間酔いはしていない。雰囲気に飲み込まれさえしなければ、きっと俺にだって立ち止まる事が出来る筈!
「小説家になろう、入り口ん所にあったで」
気合を入れていると急に後ろから声をかけられ、自然と足が止まった。
立ち止まれた……立ち止まれた!
振り返るよりも先に横にある本を眺めるが、表紙が良く見えない。そして少し視線を上げて見えるのは店員さんの目!
合ってしもたっ!目が、合ってしもうた!
急いで毛むくじゃらに駆け寄り、
「全部見てみる」
と、再び立ち止まる事が出来ないままゆっくりと歩き出す。こうして壇上前まで歩き、端っこのガラス窓の前で貰っていたパンフレットを広げて見る事にした。
「ある程度決め打ちしてから買いに行ったら?」
と、同じくパンフレットを広げた毛むくじゃらだが、そもそも文学には然程興味がなかったのかパタンとスグに閉じ、
「えぇのんあった?」
と。
ガラス窓の前に立って、パンフレットを真剣に眺める。色んな角度から眺める。時には目を細めて、時には大きく開いて。
だけど良く分からないので、ゆっくりと瞬きを数回して、パタンとパンフレットを閉じた。
「……眼鏡忘れたから、読まれへん」
と、焦点が合わない目で毛むくじゃらを見つめながら。
「アホやろ」
返す言葉が見つからない……。