第8章 雨の長夜にすることは…(2)
山南さんは障子の間から見える空を仰ぎ見た。穏やかな横顔が綺麗に見える。この人も日焼けして色黒な人が多い屯所の中では、色白なほうだと思う。
「宮月くん」
「はい」
「今日、君が寝ている間に、全隊士が集められて、近藤さんからお話がありました」
ああ、それで山南さんが来たのか。
「禁令の再確認です」
そう言って、念のため…と山南さんが、禁令を諳んじる。
一つ、士道に背いてはいけない
一つ、局(壬生浪士組)を脱走するのは許されない
一つ、勝手に金集めをすることは許されない。
一つ、争い事の調停を勝手にすることは許されない。
元は文語調だけど、僕的解釈で訳すと、こんな感じ。守れなかったら、切腹というものだった。
組織である以上はルールがあるわけだけど、わりと曖昧なルールなんだよね。一つ目なんて「士道二背キ間敷事」だからね。何が士道かって、結構微妙だと思う。
「全員通達なので、一応、お知らせに」
山南さんがふっと微笑む。僕も微笑み返した。大丈夫ですよ。背きませんよ…という意味をこめて。
「では、私はこれで」
「あ、サンナンさん」
立ち去ろうとした山南さんを僕は呼び止めた。
「はい?」
「そのうち、お時間があるときでいいので、僕に文字を教えてくれませんか」
「え? 読めないのですか」
「恥ずかしながら」
実は読めません。いやいや。だって、ミミズがのたくっているような字だよ?
漢文ならほとんど中国語だからなんとなく意味はわかるけど、それだって語順が微妙に違うものがあるから僕の理解度は怪しいもんだ。
山南さんは、まじまじと僕の顔を見ていたけど、我に返って頬を少し紅くした。きっと凝視していたことが失礼に当たると思ったんだろう。
「すみません。人の道を説くことをされていたと聞いていたので、勝手に仏門か儒学者か何かと思っていました」
あれか。最初に言ったやつだ。
「いや、まあ、あれは忘れてください」
そう答えたとたんに、山南さんが思わず笑った。僕が怪訝そうな顔をすると、身体をこちらに向けて先ほどまでいた位置にもう一度座る。
「いえね、前に土方さんが、あなたのことを『あいつは大嘘の天才だ』って言っていましてね」
僕は思わず、ぽりぽりと頬をかいた。
「ほめられてるんですかね?」
「けなされてるんでしょう」
山南さんが冗談めかして言う。
「ひどいなぁ」
僕は応えるように苦笑した。
夕方のわずかばかりの時間で、お互いに都合が良いときに、教えてもらうことを約束する。これからここで生きていくならば、読めるほうがいいだろう。
山南さんが去った後、障子を開けたままにして、空を見る。
長月(九月)の風が吹いていた。赤とんぼが飛んでいて、もう秋なんだということを実感する。そういえば現代にいたときも、昔はよく赤とんぼやシオカラトンボを見ていたのに、最近は見かけなくなったなぁと僕は感慨にふけってから、頭を振った。
もう戻らない場所。いや、150年後にまた出会う場所だ。




