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Red Eyes ~ 吸血鬼の落ちどころ ~  作者: 沙羅咲
特別番外編 I I
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間章  マスター

--------李亮視点--------


 ドアをノックするが返事がない。しかし部屋にいることはわかっている。


「マスター」


 呼びかけてもやはり返事はないが、部屋の中で衣擦れの音がした。


「マスター。開けます」


 ここで何度呼びかけても出てこないことは経験済みだ。機嫌が良いときは、部屋まで呼びに来るまでもなく、すでに起きてラウンジで本を読んでいたり、外でハーブの世話をしていたりする。逆に雨でもない日にそのどちらにもいないということは、ほとんどの場合は自室にいて機嫌が悪い。


「マスター」


 扉を開き、誰もいない書斎を抜けて奥の扉を開ける。鎧戸がおり、分厚い遮光カーテンが引かれた部屋は、かなり暗いが一族の目では楽々と見通せる。


 部屋の奥にある広いベッドには、こんもりとした山ができていた。夫婦の寝室とは別にあるマスターの寝室。レイラ様曰く『都合の悪いことが起こると閉じこもる場所』に、今日も閉じこもっていらっしゃった。


「マスター。起きないと起こします」


 一応礼儀として、一声かけてから、いっきに上掛けをはぎ取った。


「うわっ」


 驚きを含んだ主の声が聞こえて、上掛けの下からまるで胎児のように丸まったマスターが出てきた。びっくりしたような目でこちらを見ている。鳩が豆鉄砲を食らったようだというのは、こういうときに使うのだろうか。


「李亮…」


「はい。私です。おはようございます」


 ドアの外から声をかけたというのに、なぜ今さら確認するように名前を呼ぶのだろうと思いつつ、剥いだ上がけをベッドの端へと置いた。マスターがむくりと身体を起こして、ベッドの上で胡坐をかく。頭はぼさぼさな上に、うっすらと無精髭の生えた姿は、普段の涼し気な様子とは雲泥の差だ。


「李亮」


「はい」


「前にも言ったけど、僕が寝ているときには起こさないでくれ」


 あくびをしながら、頭をぼりぼりとかいている姿。これも普通は見られない光景だろう。


「前にも言いましたが、レイラ様から許可を得ています。さらに『起こしてきてほしい』とミセス・スチュワートには頼まれました」


「メアリか…」


 ミセス・スチュワートの名前を呟いて、マスターは大きくため息を吐いた。どうやらマスターは彼女に頭が上がらないらしい。ミセス・スチュワートはマスターが生まれる前からの眷属だ。


「それで? メアリは何の用だって?」


「日本から急ぎの連絡です」


 マスターに連絡を取る場合、通常はこの屋敷へ連絡するしかない。仕事上で必要のある眷属は、マスター直通の電話番号とメールアドレスを知っているが、マスターがこのように籠ってしまった場合は、一切無視されてしまう。


 しかもこの屋敷の連絡先を知っているのは眷属だけだ。人間がマスターに連絡を取ろうとした場合には、外にいる眷属に取次を頼むしかない。難攻不落の砦に閉じこもるのがこのマスターなのだが…。


「ふぁ~」


 マスターが、ぼりぼりとブルーチェックのパジャマの下に手を入れて、腹をかいて再びあくびをした。それから両手を伸ばして伸びをする。緊張感の欠片もないこんな姿を、見ることになろうとは、眷属になったばかりのころは思いもしなかった。


「シャワーを浴びてくる」


 少しでも現実に戻る時間を延ばそうとするように、マスターは立ち上がってシャワールームへと歩きだした。


「マスター。急ぎとの」


「あとで」


 ぴしゃりと言われて、続く言葉を飲み込む。仕方がない。


 寝乱れたベッドを整えていると、枕の下から聖書が出てきた。すでに牧師としての活動はしていないけれど、たまに迷うことがあると聖書を読むと、マスターが言っていたことがある。


 やはり…先日の同族を裁いた事件は、マスターの心に影を落としているのだろうか。あの一件からレイラ様との中がぎくしゃくしているらしいことは感じる。


 奥のシャワーブースからの水音を聞きながら、枕元の聖書をそっと撫でた。マスターが牧師をしていたころを思い出す。まだ日本語への理解が不十分で、すべてを理解していたと言えないけれど、マスターの話を聞いているのは興味深かった。


 またどこかで、あのような話を聞く機会が訪れないだろうかと思うが、もうないだろう。シャワーブースからは、マスターが讃美歌を鼻歌で歌う声が聞こえてきていた。


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