間章 お買い物
---------- 彩乃視点 ----------
あまり意味はないと知りつつ、風下の木の陰から顔を出して相手を偵察する。
「どう?」
わたしの後ろから伺うようにルイーズが顔を出す。彼女の髪が頬にふれてくすぐったい。
「ん~。やっぱり元気が無いみたい」
視線の先にいるのはレイラちゃん。庭に置いてあるテーブルセットに座って、頬杖をつきながらぼんやりしている。
こんな風にしているレイラちゃんを見るのは初めてかも。
「どうしたらいい?」
ルイーズが尋ねてくるけど、わたしもわからない。
でも、元気が無いんだったら、元気を出るところにつれていけばいいよね。
「うん。あのね。お買い物に行こう?」
「買い物?」
ルイーズがきょとんとした顔をしている。
本当に買わなくても洋服を見たり、アクセサリーを見たりしたら、わくわくするよね?
「レイラちゃん!」
わたしは思い切ってレイラちゃんに声をかけた。
そして着いたところはロンドンのナイツ・ブリッジ地下鉄駅。
車を出す、一緒に行くというデイヴィッドさんたちを「いらないですっ」という一言で黙らせて、女の子3人でお出かけ。
だってお洋服を選んでいるときに急かされるのは嫌だし、ぼーっと立っていられるのも嫌。
男の人ってウィンドウショッピングとかしないよね?
お洋服を買うのに迷わないというか…選んでないよね?
それってお兄ちゃんだけ?
総司さんも服装はあまり気にしないみたいで、わたしが選んでいるとさっさと自分で決めちゃう。
もっとちゃんと選んだらいいのに。色とか形とか、組み合わせとか。選んでいると楽しいよね? 男の人は違うのかな?
目指したところはハロッズ。ロンドンでも大きなデパートだから何でもあるって言われてここに来たの。
ヨーロッパ風の(イギリスはヨーロッパだけど)石造りの素敵な建物。
中も大理石かな? 石でできていて、日本のデパートと違う感じ。
入り口から入ったところは、上からスフィンクスみたいな像が見下ろしていて、あちらこちらにエジプトっぽい文字がデザインされてる。
「すごい…」
突き抜けるように伸びているエレベーターを見ていたら、隣にいたルイーズから声が漏れた。
ルイーズがいたところには、あまり大きな建物は無かったみたい。だからロンドンに来ただけでも大きな建物が並んでいるし、人が多くて驚いていたの。
いいのかな。こんなところへ来ちゃって…。
なんかすごく場違いな気がしてきた。
なんか高そうだよ?
思わず困ってレイラちゃんの顔を見たら、レイラちゃんはにっこりと笑った。
「行きましょう。今日は思いっきり買い物しちゃいましょ」
「う、うん…。でも…。高そうだよ?」
わたしの言葉にルイーズもうなずく。
今日もってきたお金で足りるかな?
思わずそんなことを考えて、ちらりと財布が入っているバッグに視線を落としたら、レイラちゃんにポンと肩を叩かれた。
「気にしないで大丈夫! 今日は全部、彼に払わせるわ」
「えっ、お兄ちゃん?」
「そ。いくら買い物しても大丈夫。それぐらい、彼も覚悟していると思うし」
「で、でも…。お兄ちゃんに悪くない?」
「悪くない。彼が悪いんだもの」
レイラちゃんの表情に影が落ちる。
わたしは思わずレイラちゃんの手を両手で握り締めていた。
「お兄ちゃん、レイラちゃんに何したの? また酷いこと言ったの?」
レイラちゃんの首がゆるゆると振られて、金髪が肩でさらさらと音を立てた。
「ううん。彼が…わたしに何をしたわけじゃないの。ちょっとした…そう。価値観の相違ね」
さびしそうに言った後で、わたしを見てもう一度笑いかけてくる。
「彩乃は知らないかもしれないけど、彼、すごいお金持ちよ? 今日一日の買い物ぐらいを払わせても、どうっていうことないわ」
わたしは思わず首をかしげた。
だってお兄ちゃんとお金持ちという言葉が結びつかない。
確かに一族の当主で、いくつかの会社を経営しているって聞いたけど。
わたしが知っているお兄ちゃんは、近所のお店で安売りの食材が手に入ったって喜んでご飯作ってて、まだ着れるからって同じ洋服を何年も着てる。
一緒に住んでいたころは、お兄ちゃんの部屋にあるのは本ぐらいで、泥棒が入ってもがっかりしそうな部屋だった。置いてあったパソコンも外側は古くて、動かないんじゃないかって思えるものだったし。中は超最新型って言っていたけど。乗っていた車だって中古で買った普通の車だったし。
イギリスにはお屋敷があって、絵や彫刻だとかいっぱいおいてあって、食器も銀だったりして高そうだけど…。あれって、お兄ちゃんのものなの? でも本人は相変わらず、古いジーンズに、着古したシャツでうろうろしているよ?
お金持ちのお兄ちゃんという図が想像できなくて、困っているとレイラちゃんが微笑んだままの目を細めた。
「今度、彼が出るパーティーに連れていってあげるわ。ドレスアップした彼は、堂々としていてまさに貴公子よ」
想像できない…。ううん。お兄ちゃんは格好いいから、貴公子っていうのはわかる気がする。でも、想像できるのは結婚式で見たスーツ姿で、お金持ちっていうイメージと違うよね?
思わずぐるぐる考えていたら、レイラちゃんがわたしの腕を取った。
「行きましょ」
レイラちゃんに引きずられる感じで売り場を目指す。
日本のデパートではあまり見ない、面白いものを見せてあげると言われてつれてこられたのは、おもちゃ売り場。
「わぁ」
わたしとルイーズの声が重なる。だって…すごく大きなぬいぐるみが置いてあるの。大きな熊のぬいぐるみ。ハロッズのマスコット、ハロッズベア。
「写真撮ろ?」
ルイーズの手を引いて熊に近寄れば、小さな子供が熊と写真を撮っている。ん…子供と同じ行動しているけど…いいよね?
「撮ってあげるわ」
レイラちゃんが肩にかけていたバッグから四角いノートみたいなタブレット端末を取り出した。
そういえば電車の中でも見ていたっけ。レンズに向かってルイーズと一緒に微笑む。
「チーズって言って」
レイラちゃんに言われて、チーって言ったところでカシャリと機械音がする。
「彩乃、チーズって、ズを日本語的に発音しちゃダメよ。笑顔じゃなくなっちゃう」
そうなの?
「英語のcheeseは、横に開くでしょ? だから写真を撮るときに使うの。ズって日本語的に言うと口がとがっちゃうもの」
「あ、確かに…」
レイラちゃんがくるりとルイーズの方を向く。
「英語には少しは慣れた?」
ルイーズがにっこりと笑う。
「はい。少しだけ」
ルイーズはメアリさんに特訓されて、すごい勢いで英語が上手になっていると思うの。
「この熊、買おうかな」
レイラちゃんの言葉に、ルイーズとわたしの目が丸くなる。だって、すごく大きいんだよ? どこにおくの?
「彼のベッドの上におくの」
レイラちゃんが、わたしの考えを読んだようにつぶやいた。それって…。お兄ちゃんがすごく困る気がする…。
「部屋をあけて、熊が寝ているのに驚けばいいのよ。それで寝る場所がなくてうろうろすればいいんだわ」
なんというか、意味のない嫌がらせ? レイラちゃんは本気なのかな。じっと熊を見てるけど。そこにルイーズがぽつりとつぶやいた。
「この熊、値段が高い」
「このぐらい、平気よ」
レイラちゃんの言葉に、ルイーズがゆるゆると首をふる。
「だったら…そのお金…私の国の人たちにあげてくれませんか?」
思わず息を呑んだ。
少しだけ土方さんから聞いたルイーズの国の事情。まだまだ内戦は収まっていなくて、難民として避難している人たちもたくさんいる。ルイーズは自分の国に戻りたいって言ったけど、土方さんとお兄ちゃんに反対されていて、今は戻れないって言っていた。
ぬいぐるみを見て浮かれていた気持ちがしぼんでいく。
「あ、ごめんなさいっ」
雰囲気を察してルイーズが謝ったけど、でもルイーズは悪くないの。だって本当にそうなんだもの。彼女に対して、わたしができることは何?
思考がぐるぐるし始めたところで、レイラちゃんがわたしたちの肩をポンと叩いた。
「ね。お茶をしましょう? おいしいものを食べるぐらいの贅沢は許してくれるでしょ?」
きれいなウィンクをルイーズに向かってすれば、ルイーズの頬が赤くなった。レイラちゃんは綺麗だから、ウィンクすると、とっても似合う。
「ティータイムはイギリスが誇れる文化だと思うわ。お茶とスコーンの組み合わせって最高よ」
いきましょ? とレイラちゃんがわたしたちを促して、その場を離れていく。
ふっと。今、ふっと。知っている匂いがした気がした。あれ? 総司さん? きょろきょろと周りを見回したけど、見当たらない。気のせいかな?
「どうしたの? 彩乃?」
レイラちゃんが振り返る。
「今、総司さんの匂いがした気がして…」
レイラちゃんが笑いをこらえるような表情をした。
「まさか…」
「うふふ。さすが彩乃の鼻ね。ごまかせないわ」
ちらっとレイラちゃんが視線を送ったほうに、サングラスをかけた怪しい男の二人組み。体格から言ったら、土方さんと総司さん。
「えっと…」
口を開こうとしたところで、レイラちゃんがルイーズに見えないようにそっと人差し指を唇に当てる。
ん。そうだよね。今日は女の子だけで来たんだもん。見なかったことにしよう。ごめんね。総司さん。
わたしたちはレイラちゃんが案内してくれるままに、お茶ができるところへ歩いていった。




