間章 難攻不落(1)
----------- 彩乃視点 -------------
イギリスのお兄ちゃんたちから会わせたい人がいるからと呼ばれた。
日本からだとかなり時間がかかるけれど、総司さんもわたしも時間に余裕がある生活をしているから、イギリスに行くのは旅行みたいで嬉しい。そんなことを口にすれば、総司さんから暢気だねって言われちゃうけど。
イギリスのお屋敷は相変わらず広い。それに働いている人が一杯いてホテルみたい。着いたその日に会えたのはお兄ちゃんとレイラちゃんだけだった。
「土方さんはどうしたんです?」
総司さんがお兄ちゃんに聞くと、お兄ちゃんは澄ました顔で返事をした。
「ロンドンに買い物に行ってるよ」
あの土方さんがロンドンにいるもの想像がつかないけど、買い物をしているのも想像できない。英語で会話して買い物…しているんだよね? 多分。
数日滞在して土方さんには会ったけれど、お兄ちゃんが言う「会わせたい人」には会えていない。総司さんは事情を知っているのか、土方さんが隠していると言っているけど、隠すってどういうこと?
夜になると総司さんはお兄ちゃんとなんか相談をするとかで、二人きりで部屋にこもってしまって出てこない。今後のことを話しているのかなって思う。
わたしたちが日本にいられなくなったとき…それはすぐに来ちゃうけど、そのときにはイギリスに来ようねって言っていたから。それを相談しているのかな。だったらわたしも一緒でもいいのに。
その日はレイラちゃんも見つからないし、一人で部屋にいるのもつまらないから、ふらふらと庭に出てみた。月夜に照らされる英国式庭園。少し早い薔薇の香りがどこからともなく漂ってくる。
薔薇の香りって好きだな。なんか不思議な香りって思う。甘すぎず、少し青い匂い。それにかぶさって、足元からリンゴのような香りがする。足元まで伸びてきているハーブを踏んじゃったみたい。なんだっけ。このハーブ。お兄ちゃんが何か言ってたのに。忘れちゃった。ハーブティーになるんだよね。
灯りが無い庭園でも、わたしの目にははっきり見える。だから庭園の真ん中でうずくまっている人を見つけたときにはビックリした。華奢な身体つき。女の子だ。浅黒い肌に黒い髪。こちらに背を向けて、庭園の木の陰で隠れるようにしゃがんでいる。
「あの…」
声をかけたとたんに、びくりと身体が震えてこちらを向いた。大きな目。その目に涙が浮かんでいる。わたしは驚かさないようにゆっくりと近づきながら、英語で声をかけた。
「どうしたの?」
「あ…」
見たことの無い女の子だったけれど、でも悪い人じゃないと思う。
「迷ったの?」
女の子が首を振る。
「あなた…この近くに住んでいるの?」
こくん。女の子の首が縦に動く。見れば寒そうな薄手のワンピース一枚だけ。わたしは自分が着ていたカーディガンを脱いで、女の子の肩にかけてあげた。わたしたち一族は体温が高いから、このぐらいの肌寒さなら全然平気だもの。
「ありがとう」
涙を拭いながらお礼を言う姿は幼くて…。
「おうち、どこ? 一人でこんな時間に出歩くと危ないよ?」
「あ…私…」
そのときだった。ガサリ。微かな足音をわたしの聴覚が捉える。誰かいる。複数。しかも足音を殺して、忍び寄るように歩いてきている。緊張したわたしの顔を見て、女の子が怯えたような表情になった。
思わず人差し指を唇に当てる。静かにというつもりで。女の子を背にかばうようにして、立つと周りを見回す。
あるのは…庭師が置き忘れたシャベル。うん。これ、使えるよね。剣の要領で構えて、前を見据える。
わたしの後ろで女の子が息を飲むのが聞こえた。ガサリ。大きな音をさせて黒づくめの男たちが目の前に現れる。わたしたちを見たとたんに驚いたような表情をしたけれど、すぐにニヤリと嗤った。
「こりゃ、ついてるぜ。こいつらを人質にしよう」
多分…そんなことを言ったと思う。あまりにも言葉が訛っていてよくわからない。どうしよう。先制攻撃していいのかな。迷っていたら、男たちのうちの一人がにやにや笑いながら手を伸ばしてきた。
仕方ないよね。正当防衛…だよね?
シャベルを振り回して最初に手を伸ばしてきた男の胴体を薙ぐ。男は簡単に吹っ飛んだ。シャベルを反しながら、別な男の胴体を薙ぐ。その男も吹っ飛ぶ。
「このやろう!」
多分、そんな感じ? なんか言ってきた男には、肩を狙って袈裟にシャベルを下ろしたら、ガキンと大きな音がして男がひっくり返った。鎖骨が折れたかも。
「すごい…」
後ろの女の子が声を漏らす。
目の前に残るは二人。多分逃がさないほうがいいから…そう思って一人は足を狙った。ボキン。やっぱり凄い音がして、男の足が反対方向へ曲がる。
「ぎゃぁ」
凄い声がした。逃げようと背を向けた男も肩から袈裟にシャベルを薙ぎ下ろす。すごい音と共に最後の男も地面に沈んだ。
「すごい。すごい」
わたしの後ろの女の子が暢気に手を叩く。
ん~。思わず小首を傾げれば、女の子がわたしの手を取った。
「もしかして…アヤノ?」
「え? わたしを知っているの?」
「あ…えっと…トシに話を聞いていたから…」
「トシ?」
だれだっけ? 思わず考えてから思い出した。そう。土方さんだ。お兄ちゃんは土方さんをトシと呼んでいる。
「えっと…あなた…だれ?」
「あ。ごめんなさい。私、ルイーズ」
「るいーず?」
聞いたことがあるような…。あれ? 思わず考え込めば、複数の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。今度は知っている足音。
「おい。大丈夫か?」
土方さんの声が聞こえた。振り向けばデイヴィッドさんとジャックさんも一緒になって走ってきている。
「あ…。だいじょうぶ…です?」
「なんで疑問文なんだよ」
「えっと…わたしは大丈夫だけど…あの人たちが…」
襲ってきた男の人たちは全員、あちらこちらで気を失っていた。足とか手とかへんな方向にねじれていたりするから、折ったかも。ううん。確実に折れてる。
とたんにデイヴィッドさんが、ぱたぱたと手を振った。
「構わないわよ。あんなの。生きていればいいんだから」
わたしがよく分からなくて首を傾げれば、デイヴィッドさんは嫌そうな顔をして男たちを見る。
「マスターが生かしておけって。これだけ大勢消えたとなると後が面倒だから、人間に引き渡すって」
「え? 大勢なの?」
「そうなのよ。窃盗団だったのよ。向こうで対応していたから、こっちが遅れちゃった。ごめんなさいね。まあ、手引きした奴もうすうす分かっているから、そいつは後で見つけ出すわ」
窃盗団…なんだか大変そう…そう思って考え込んでいたら、土方さんがぐいっとわたしに寄ってきて、ギロリと睨んだ。この目、怖くて嫌いなのに。
思わず一歩下がろうとして…下がれない。あれ?
「おめぇ、ここで何してる」
「わたし、散歩をしていただけです」
わたしが答えたとたんに、土方さんが吼えた。
「おめぇじゃねぇよ。宮月の妹」
「彩乃です」
「だから。彩乃、おめぇじゃなくて。その後ろだ」
後ろ? 思わず振り返れば、わたしに隠れるようにしてさっきの女の子がしゃがみこんでいた。




