The Previous Days 後編(13)
え?
自分の目が信じられなくて、瞬きをしてもう一度見るが、すべてが一直線になっている。慌てて枕元にあったナースコールを押した。
「どうしました?」
「バイタルサインが…全部…」
上手く言葉が出なかったが、察してくれたのだろう。バタバタと音がして看護師と医師と思える人が走ってきた。
「すみませんが、出てくださいっ!」
僕らはすぐに病室から追い出された。
「お兄ちゃん…」
彩乃が僕の手を握ってきたから、僕も握り返してやる。大丈夫という言葉は言えなかった。
病室を出て、廊下を挟んだ反対側にあったソファーに彩乃と二人で座り込み、おじいさんの病室の壁を見る。
僕らと入れ違いに、バタバタと数人の白衣の人たちが入っていった。安心させるように彩乃の頭を撫でて、そして壁に視線を移したときだった。
おじいさんが壁から抜け出てきていた。半透明のおじいさんが、無表情のまま、すーっと右から左へ向かって歩いていく。歩くというよりも揺れもせずに、移動していった。
病室の扉が開いた。
「田島さんのご家族の方」
「はい」
呼ばれて僕は返事をする。もうおじいさんの姿は見えなかった。
「残念ですが…」
そう言って医師は今日の日付と現在の時間を告げて、おじいさんの死亡を宣言した。彩乃が僕にしがみついている。
「おじいちゃん…死んじゃったの?」
「うん。亡くなったよ」
おじいさんは数分前に見たときと、なんら変わることもなくそこにいた。心臓の音も呼吸の音もしないけれど、見た目は何も変わらない。
「死んじゃったの?」
彩乃がまた聞き返す。
「うん。そうだよ」
僕はそう答えておじいさんの手を握った。彩乃もおずおずと僕と同じようにおじいさんの手に触れようと手を伸ばす。僕は自分の手をずらして、彩乃に手を握らせてやった。
「冷たいね」
さっきと同じ言葉。
「そうだね」
一種の虚脱状態とも言うのだろうか。彩乃も僕も、あまりにも現実感がなかった。
「この後、身体を綺麗にして、地下に行きますので」
看護師さんがこの後のことを説明してくれる。特に決めたところがなければ、葬儀社は病院のほうで手配をしてくれるらしい。
あっという間に僕は事務手続きに追われることになった。
遺体は教会に安置する。その頃になって実感が沸いてきた。おじいさんは亡くなったのだ。彩乃もそうなんだろう。僕が実感したと同じ頃に、彩乃がわんわんと泣きはじめた。
手伝いで来てくれた教会員の人たちが慰めるけれど、泣き止まない。皆から「そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ」と言われながらも泣き続けていた。
夜中。ぐすぐすと泣き続ける彩乃と二人で、教会堂の中、おじいさんの遺体の傍にいる。教会員の人たちはとっくに帰ったあとだ。
おじいさんを見ながら、自分の中で抱える虚無感をもてあましていた。
僕の年齢の1/3ぐらいしか生きていないのに、人間は死んでいく。それは自然の摂理だ。
おじいさんの死を見て、僕はおじいさんの言葉を思い出した。
「相手のために祈る…」
何を祈ったらいいだろうか。僕の中に出てきたのは、聖句だった。詩篇の23。
----- Nam et si ambulavero in valle umbrae mortis,non timebo mala, quoniam tu mecum es.Virga tua et baculus tuus,ipsa me consolata sunt.
おじいさんが信じた神の御許に行くことができますように。僕は、多分初めて、相手のために心から祈った。
教会は僕が継ぐことになった。いいのだろうか…という思いもあるが、周りの後押しと助けがあって、なんとかやっていく。
そして彩乃は中学生になった。
中学生になって暫くして、彩乃が夜遊びをしている。正確に言うとリリアがやっていた。
以前にレイラが言った通り、妹の身体には彩乃とリリアという二人の人格がいる。彩乃はおっとりとした子で、リリアはどちらかというと一族の気質をそのまま引いている。
お互いにお互いは意識されているし、何をしているか分かっているらしい。
大部分の時間は彩乃の時間で、リリアは夜中から朝方の時間が活動時間だから、めったに出てくることがない。
それでも中学に入って暫くしてから、リリアが夜中に出てきては遊びに行くということを繰り返すようになっていた。
最初は夜の散歩程度だったのに、どうやら仲間を見つけたらしい。
だんだんと朝方まで出歩くようになり、昼間、彩乃があくびをするようになり、とうとう朝に起きてこなくなった。
当然だ。
いくら僕ら一族だって、ずっと起きていられるわけじゃない。人間よりは夜更かしが得意だといっても限度はある。
リリアがこっそりと抜けていくのを一度はそのまま見て見ぬふりをして見送ったのだけれど、やっぱり思いなおして探すことにした。
一体どこで何をしているのか。放っておくには、まだ子供過ぎる。
中学生が行きそうな場所を探し回る間もなく、リリアは近所のコンビニの前に数人の子供たちと一緒にたむろしていた。
わりと大きな子もいて、その中でリリアは小柄で幼く見える。リリアが座り込んでいる横には、大柄な男の子がリリアの肩を抱くようにして座っていた。
それを見た瞬間の僕の気持ちをなんと表現したらいいだろうか。
見知らぬ男…子供とは言え、男だ。それに肩を抱かれて笑いながら人の話を聞いているリリア。




