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Red Eyes ~ 吸血鬼の落ちどころ ~  作者: 沙羅咲
特別番外編 I I
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The Previous Days 後編(10)

 箱根スカイラインを走らせながら、景色が綺麗なところで小まめに車を止める。そして芦ノ湖スカイラインへと入った。


「あれ? なんか音楽が聞こえるよ?」


 彩乃が言い出す。思わず笑みがこぼれた。芦ノ湖スカイラインには、メロディペーブと言う車で走ると音がする場所がある。『ふじの山』という日本の童謡だそうだ。


「あ、終わっちゃった」


 少しばかり流れたと思ったら、すぐに終わってしまう。それが残念だけれど楽しめたようでよかった。


 芦ノ湖では遊覧船に乗り、箱根の関所跡に行き、大涌谷で硫黄の匂いが充満する谷を見る。大涌谷は強烈だった。僕らは硫黄の匂いにやられた。


 人間よりも嗅覚は鋭いからね。彩乃なんてハンカチでしっかりと鼻を押さえて泣きそうになっていたから、ちらりと見ただけで、慌てて僕らは退散する。


 おじいさんはちょっとだけ残念そうな顔をしていたけれど、それでも僕らに付き合って、そのまま踵を返した。


 夕方になって宿に着く。広い温泉がある宿で部屋も和室の広めの部屋を手配した。せっかくの家族旅行だし、本当はもっと高い宿でもいいかと思ったけれど、高すぎて疑われるのもどうかと思ったので、ちょっと奮発したぐらいにしておいた。


 食事の前に温泉へ入る。露天風呂だ。


 彩乃は一人で女湯に行った。嬉しそうに歩いていったから大丈夫だろう。


「お兄ちゃ~ん。いる?」


 湯殿に入ったとたんに彩乃の声が向こうから聞こえて、周りからクスクスと笑う声が聞こえてくる。


 こっちでも一緒に入っている数人から笑みが洩れた。


「いるよ~」


 安心させるように返事をすれば、おじいさんが拗ねたような表情を見せる。


「彩乃は俊哉くんばかり呼ぶんだね」


「きっとおじいさんのことも呼びますよ」


 彩乃の耳ならこの会話が聞こえているだろうと思って言えば、すぐに彩乃の声がした。


「おじいちゃ~ん。いる?」


 おじいさんが嬉しそうににっこりと笑って答える。


「はい。はい。いるよ~」


 そのやりとりに、また周りから笑みが零れる。微笑ましいやりとりというところだろう。


 女湯のほうでは、彩乃と誰かの声が聞こえてきていた。


「お風呂は一人なの?」


「はい。でも向こうにお兄ちゃんとおじいちゃんがいるから、大丈夫です」


「偉いわね。小学生かな? 中学生?」


「小学六年生です」


「そう」


 おじいさんが湯船に移動したので、僕も一緒になって入る。少し熱いかな。熱すぎるほどじゃないけど。


「ああ。気持ち良いね」


「そうですね」


 おじいさんと共に足を伸ばす。空は夕暮れというよりは夜に近くて、露天風呂の隅にある電灯に明かりが灯されていた。


「ねえ。俊哉くん。この世は奇跡で満ち溢れているね」


「はい?」


 おじいさんは僕の問いかけには答えずに、空を見上げて独り言のように言葉を続ける。


「こんなに美しい自然があって、このような空の色を見られて、暖かいお湯もあって。こんなにも優しいもので満ち溢れている」


 僕もつられて空を見上げた。夜の帳が落ち始めた青紫色というか、群青色に近いような、もうすぐ黒になりかけた青色。


 そこにいくつかの星が見えた。一番星である金星と、木星だろうか。


 周りは木々で囲まれていて、その姿がシルエットのように映っている。


「そして傍には、可愛らしい孫と」


 おじいさんの視線が女湯との間の塀に向かう。向こう側の彩乃に視線を送っているのだろう。その視線が僕に戻ってくる。


「私の後をついでくれようとしている頼もしい孫もいる」


 そう言ってから、おじいさんはにっこりと笑った。


「神様に感謝だ」


 何も言えずに、深い皺が刻まれたおじいさんの顔を見ていると、おじいさんがさらに口を開く。


「俊哉くん。私はね。君と彩乃が来てくれて、一緒に住んでくれて、本当に感謝しているんだよ。君たちは私に生きがいをくれて、家族を再びくれた。あのときに偶然にも出会えたことを本当に感謝しているんだ」


 何かを言おうとして、何も言えなくて、僕は口を開けては閉じて、開けては閉じて…を繰り返していた。


「僕は…何も…」


「居るだけでいいんだ。居てくれるだけで。孫が傍にいる。それだけで私には大きな満足なんだよ。この年で孫と一緒に住んでいる者がどれだけいると思う? しかもこんなにいい孫たちなんだ。自慢の孫と一緒にいられる老後なんて、夢みたいだ」


 何を返事すればいい? 


 僕もです? ありがとう? 何も言えやしない。


 僕らはそもそもこの人の孫じゃないんだ。


 ぽんとおじいさんの手が僕の肩を叩いた。


「そんな顔しないでくれ。罪悪感なんて必要はない」


「え?」


 僕の戸惑いを消すようにおじいさんは、ざぱりと音をさせてお湯から立ち上がる。


「そろそろ出ようか」


「はい」


 なんだろう。おじいさんは…気づいている? 何を?


 僕はしっかりと記憶を変えたつもりだ。解けているようには思えない。


 ではなぜ?


 風呂から上がって、部屋に運ばれてきた豪華な食事を食べて、おじいさんは満足そうに笑っている。その姿には、僕らに対しての疑惑も何もないように見える。


 彩乃に自分の分のデザートのメロンをあげて、彩乃が大喜びする様子に目を細めてみている姿は、孫と一緒に喜ぶ祖父そのものだ。


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