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第5章  大和屋燃ゆ(10)

 まだ火が来ていない部屋を見てまわる。大丈夫。誰もいない。そう思ったときに、おばあさんがビクリとして、部屋の奥に手を伸ばした。


「あ、あれを…」


 仏壇にある黒い札のようなものに手を伸ばす。大事なものなのかな?


 煙だらけの部屋の中に踏み込んで、仏壇までいくと、おばあさんは手を伸ばして黒いものを掴みとった。そして胸にしっかりと抱きこんでいる。続いて軽く咳をした。煙を吸ってしまったかも…。


 最後にもう一度、声を張り上げる。


「誰かいませんかっ!」


 耳を澄ますけれど、聞こえてくるのはパチパチという音と、壁か何かが崩れていく音だった。おばあさんをしっかり抱きかかえて、僕は燃え盛る家屋を出た。



 ぐるりと回って道に出ると、僕とおばあさんを見かけて、町人風のおじさんと若い人が走ってくる。大和屋の関係者だろうか。


 おばあさんの手を握ると、はらはらと涙を流した。


 僕はその人たちにおばあさんを渡す。ふっと顔をあげると、隣の屋根の上からこちらを睨みつけている芹沢が見えた。


 人々の様子を見れば、大和屋も公明正大で綺麗な商売をしていたとは言えないのかもしれない。しかし、だからと言って、それを暴力で返していいのだろうか。そのために巻き添えになる人がいてもいいのだろうか。


 睨みたければ睨めばいい。たった一人でも僕は助けたかった。それだけだ。



 

 さっきの場所に戻ると、総司が不安げな顔で待っていた。僕がにやりと笑ってみせるとほっとした顔になった。


「酷い顔ですよ」


「そうかな」


「ええ」


 まあ、煤だらけだろうな。手を見たら真っ黒だし、着物はあちこち焦げて穴が開いていた。何回か火傷をしては治癒する感覚があったし。今更ながら僕自身も危なかったことに気づいた。


「帰りましょう。私たちができることは何もありません」


 芹沢は筆頭局長だ。そう。壬生浪士組には局長が3人いる。ここで仲たがいするわけにもいかない…というところだろう。


「ん」


 僕は大人しく総司から刀を受け取った。


「誰か残っていましたか?」


「足の悪いおばあさんが一人」


「そうですか」


 …。


 僕は何をしてるんだろう。ここで。


 ふっと夜空を見る。もう明け方が近い。


 不意に聖書の言葉が浮かんだ。僕は心の中でそれを唱える。


-----benedicite maledicentibus vobis orate pro calumniantibus vos----( Lucas 6:28)

――あなたを呪うもの、悪意を持つものに対しても祝福し、祈りなさい。


 そうだ。僕はここでは部外者だ。僕には誰かを裁く権利などありはしない。



 僕たちは黙ったまま屯所まで戻った。 



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