The Previous Days 中編(15)
店員が唱和する独特の「いらっしゃい!」の声の中、奥にあるテーブル席に案内されて杉森さんと二人で座った。居酒屋というと大人数で来るものかと思えば、意外に二人連れも多い。
「最初はビールでいい?」
杉森さんがメニューを開きながら言う。
「は、はい」
「落ち着けよ。今日は俺のおごり」
僕が落ち着かない理由は、お金かと思ったんだろう。前まで年中貧乏だったし、いかに貧乏かを訴えて仕事を貰ってきたしね。
「い、いや。いいですよ。払います」
「いいよ。俺の自棄酒につき合わすんだから。おごる。食べ物の好き嫌いは?」
「特には無いですけど…」
店員が来たところで、杉森さんは生ビールとつまみをいくつか見繕ってオーダーをした。水商売やっていたころは、焼肉とか寿司とか多かったから、こういう居酒屋は本当に始めてだ。しかも自分の客でもなく、女性でもない。どうやって相手をしたらいいんだ?
「緊張してる?」
「い、いえ。ええ。まあ」
そう答えた瞬間に、杉森さんが笑い出した。
「なんで。俺が仕事相手だから?」
「いや。こういうところ初めてで」
そう言った瞬間に、杉森さんが目を丸くする。
「居酒屋、来たことないの?」
「外食自体が稀なので」
そう答えれば納得したようだ。杉森さんはぐるりと周りを見回した。
「安い居酒屋。ま、気楽にして」
「ええ」
生ビールがジョッキで運ばれてくる。
「俺の失恋に乾杯」
「は、はぁ」
何と言っていいかわからない僕に、杉森さんが無理やり笑う。
「そういうときには、一緒に『乾杯』って言っちゃえばいいんだよ」
「はぁ。じゃ、乾杯」
その瞬間に杉森さんが今度は吹き出した。
「意外に面白いね。山形君」
「え?」
「妹を養ってるからかな。年齢のわりに凄く大人びてるって思っていたけど、実は世慣れてないし」
「そうですか?」
「うん」
それから暫く無言でビールを飲み、途中で来たおつまみを摘んでいたが、途中から杉森さんが、ぽつりぽつりとことの次第を話し始めた。
入社したときに出会った田中さんのこと。それからどうして魅かれたか。彼女の好きなところ、ちょっと気になるところ。それでも好きということ。
僕は適当に相槌を打ちながら、聞いているしかできない。酒はビールから日本酒に切り替わった。
「山形くんは、失恋経験あるかい?」
その言葉に僕はチクリと胸が痛くなった。
「ああ。あるって言うか、なんて言うか…」
「え? そうなの? どんなだったの?」
「いや、好きだって気づいたときには、もう彼女は手が届かないところに行っていたっていうか…」
なんとなく曖昧に伝えれば、杉森さんは大きく頷いた。
「ああ。そういうことってあるよな。他の男に取られるとかさ」
「え? ええ」
「取り返さなかったの?」
「いや、もう無理だったっていうか…」
「はあ。そうだよな~。そうならないように俺も、まだ一人のうちにと思って勇気を振り絞ったのに…本気にされてないなんて…」
杉森さんはがくりと肩を落として、お猪口を引っつかむと酒を煽ろうとした。見れば空になっていて、慌てて注ぎ足す。
「あ、ありがとう。いいよ。気を使わなくて。手酌で」
「え? ええ」
いや。ほら、なんとなく。水商売のときの癖だよ。相手の杯に注ぐっていうのは。杉森さんがまた飲み干すから、なんとなく僕はまた注ぎ足した。
「ああ。ダメだ。明るい話をしよう。なんか面白い話してよ。山形くん」
杉森さんは僕に投げるように言うと、腕に顔を伏せてしまう。焦ったのは僕だ。そう言われても、こんなときに話す話なんて、何を話したらいいかわからない。
「えっと…こういうときって何を話したらいいんです?」
その言葉聞いたとたんに、伏せた顔がまた上がった。
「友人と飲みに行ったりしたときの、馬鹿話でもいいよ」
「いや、そもそも飲みに行くことがないんで。杉森さんはいつもどんな話をしているんですか?」
そう返せば、杉森さんがちょっと考え込む。
「そうだなぁ。飲み屋の定番は仕事の愚痴、人の噂話。芸能・テレビネタ。それから趣味の話。アメリカだと家族の話に、スポーツと政治の話が多いらしいね。日本だとそれらはタブーって言われたりするなぁ。ケース・バイ・ケースだけど」
「へぇ」
「ほら、家族の話はプライベートに関わるから話したがらない人も多い。それからスポーツは場合によるけど応援チームの関係でケンカになることもある」
「なるほど」
「それに政治の話と、そうそう宗教の話も結構微妙だから、やらないね。アメリカ人はよく政治の話をしてるよね~。アメリカの大統領選挙の前に出張したことがあるけど、時間があれば、どの候補者がいいか、みんなで話をしてたよ」
ああ。それはそうだね。うん。特に知識層は好きだよね。誰がいいとか。でもあれもケース・バイ・ケースかなぁ。話している相手が対立候補を応援していると、喧嘩になったりすることもあるし。なかなか難しい。




