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Red Eyes ~ 吸血鬼の落ちどころ ~  作者: 沙羅咲
特別番外編 I I
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The Previous Days 前編(13)

 奥さんが放心したように黙りこみ、その隣のご主人の目に怒りの感情が見えた。言ってはいけない、彼女にはぶつけてはいけない言葉をぶつけたということを自覚している。


 しかし、僕にも堪忍袋の緒というものがある。


「失礼します」


 おびえている彩乃を片手で抱き上げて、くるりと背を向けて歩き出した僕に、またもや罵声が浴びせられる。


「彩乃ちゃんがうちの子をそそのかしたくせにっ! 赤信号で渡ろうなんて言ったのは、そっちでしょっ!」


 僕は再び足を止めて振り返った。


「彩乃は赤信号で渡るような真似はしません。お宅のお子さんが『車が来ないときは渡っても大丈夫ってママが言った』と言って、渡り始めたそうです。そういう教育をされたのは、あなたではないですか?」


 彼女が真っ青になった。思い当たる節があるのだろう。


 実際、彩乃の耳には車が来る音が聞こえていて、渡っちゃダメと言ったのに、女の子が「大丈夫だから」と言って、一緒に渡ったそうだ。


 彩乃は耳がいいし、目もいい。そのせいか交通量が多い道路を渡るときなど車が走る音が怖いらしく、きちんと車が止まるのを確認してから渡ることが多い。だから彩乃が赤信号で渡ろうと言うなど、ましてや近づくトラックの音がする中で渡ろうと友達に提案するなど、絶対にしないだろう。


 去っていく後ろから、なおも言い募る女性の声が響いてきたが、僕はもう振り返らなかった。これ以上は何か言っても水掛け論だ。


 足が向くままに、彩乃と二人、うちの傍の小さな公園に来た。小さな街灯があるだけで誰もいない。真っ暗な公園だ。それでも夜目が利く僕らには関係ない。しょんぼりしている彩乃をブランコに乗せて揺らしてやる。


「おにいちゃん」


「何?」


「かずみちゃんはどうしたの?」


「かずみちゃんは死んだよ」


「しんだの? また、いっしょにあそべる?」


 彩乃はじっと僕の顔を見ている。僕が言った「死んだ」という言葉を繰り返したけれど、意味が分かっていないんだろう。


「死んだらもう会えないんだよ」


「あそべないの?」


「遊べない」


 小さな口がへの字に曲がって、眉毛が下がる。それでも彩乃は泣かなかった。そしてまたその小さな口を開く。


「ひとごろしってなに?」


「人を殺した人のこと」


「かずみちゃんのママは…なんでおこってるの?」


 僕はため息をついた。


「かずみちゃんのママは少し混乱しているんだよ。僕がかずみちゃんを見捨てたと思ってるんだ」


「みすてた?」


「見捨てたって言うのは、助けなかったっていう意味」


「かずみちゃんをたすけなかったの?」


「いいや。お兄ちゃんは彩乃を助けるので精一杯だった」


「ん」


 彩乃が考え込むような表情で黙り込んだ。


 翌日。彩乃が学校でいじめられた。皆から「人殺し」と呼ばれたと泣きながら帰ってきた。


「それで? 彩乃は何かやり返したの?」


 ほんの一瞬、本当の力をふるってしまったら…と考えたけれど、彩乃は小さな頭を左右に振った。


「ううん。かなしいの。だから、かえってきたの」


 彩乃は泣きながら僕に訴える。荷物も何も持たずに、そのまま帰ってきたそうだ。僕はほっとして彩乃の頭を撫でた。


「いい子だね。彩乃。大丈夫。彩乃は人殺しなんかじゃないよ」


「おにいちゃんもちがうよね?」


 一瞬、詰まってしまった。


 あ~。どうしようかな。確かに彩乃の友達は殺してない。殺してないけど…今までに人を殺してないかって言ったら、別問題で…人殺しって言われて否定できない。まったく。僕の場合、あながち外れてないところが困ったところだ。仕方なく肩をすくめた。


「彩乃のお友達は殺してないよ」


「うん」


 それで彩乃は満足したようだ。


 彩乃が落ち着いてから、手をつないで二人で夕飯の買い物に出かける。今日は彩乃が好きなものにしてやろう。ハンバーグかな。甘いカレーでもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら歩いていたら、見覚えのある老人を見かけた。向こうも僕を見て会釈をする。


「どうも」


 どこで見たか思い出せずに、そのまま挨拶すれば、向こうも足を止めた。


「その後、どうですか?」


 知っているかのような口ぶりに、なんだっけ…と思いつつ、僕はへらへらとごまかすように笑った。


「あ~。それなりにやってます」


「お嬢さんですか?」


「いえ。妹です」


 老人は彩乃の前にしゃがみこんで頭を撫でようとする。とたんに彩乃は恥ずかしがって僕の後ろに隠れてしまった。


「どうしたのかな?」


 彩乃が塞ぎこんだ表情をしているので、優しく問いかけてくるが、彩乃は僕にぎゅっとしがみついたままだ。


「友達が交通事故で…それでちょっと」


「ああ…それはかわいそうに…」


 老人がほぉっとため息を吐き出した。


「交通事故ですか…私の娘も生きていたら、あなたや妹さんみたいな孫がいたのかな」


「お嬢さんは…亡くなられたんですか?」


 老人が少しばかり悲しそうな顔をする。


「ええ。私の娘も交通事故で。もう八年近くなります。お恥ずかしい話ですが、若いころに家出をして、音信不通の上での事故だったので、死に目にも会えなかったんです」


「そうですか。それはお辛いですね」


「ええ。しかし娘は、きっと神の御許で平安に暮らしていると思っています」


 そう言われて思い出した。いつだったかに公園であった人だ。


『神様はいるんです。だから元気を出してください』彼はそう言っていた。


 老人は彩乃ににっこりと笑いかける。


「お友達は神様のところにいるんだよ。だから悲しまなくていいからね」


 彩乃が目をぱちくりとさせた。それを見て軽く微笑むと、彼は立ち上がって僕と目線を合わせて口を開く。


「私、今度東京に帰るんですよ」


「そうなんですか」


「私は牧師なんですが…実家の教会を預かっていた友人が、奥さんの転勤についていくという話で、私が戻らなければならなくなったんですよ。妻ももう亡くなっていますし、独りあの家に戻っても…と思うんですけれどね」


 なんでも実家の教会は友人であるほかの牧師に預けて、こちらで友人の教会を手伝っていたそうだ。ほとんど見ず知らずの僕に身の上を話すこの人も…孤独なのだろう。


「でも…私も一人でやるのはそろそろ無理で…。腰が悪くてたまに立てなくなるんです」


 その瞬間に僕はふっと思いついた。交通事故でなくなった老人の娘さん。そして同じく交通事故で無くなった僕の両親。その二つが僕の中でリンクする。


 この老人について行ったらどうだろうか。少なくとも家はただで提供してもらえる。そうすれば今よりは楽な暮らしができるだろう。


 僕が昼間に出歩いたとしても、老人が居てくれるから学校から帰ってきた彩乃も寂しくない。


 人の良さそうなこの老人の顔をまじまじと見た。


 僕は自分で思っているよりも精神的に参っていたらしい。なぜか非常に良い案のように思えた。


「あの…良かったらお名前を教えていただけませんか?」


 一瞬、老人は怪訝な顔をしたけれど、それでも拒否はしなかった。


「いいですよ。田島と申します」


「えっと…田島…何さんです?」


「は? ああ。田島弘和です。それが何か?」


 僕は周りを見回して、彼の腕を取ると裏路地に引きずりこんだ。


「ちょっ、ちょっと何をするんです」


 慌て始めた彼に視線を合わせて、力を使う。瞳の色が赤くなるのを感じると同時に、相手の身体がぐらりと揺れた。


「田島弘和さん、僕と彩乃はあなたの孫です。僕は宮月俊哉。妹は彩乃。あなたの娘さんは結婚相手と一緒に交通事故に合って、そしてあなたは僕らを発見した」


 田島さんの首がこくんと揺れた。僕は出来る限り細かく彼の情報得て、そして彼に偽りの記憶を作り上げた。


 僕の傍で彩乃がじっと黙ってその様子を見ている。きっと僕の様子がただ事では無かったから、声をかけられなかったんだろう。


 すべてが終わって…田島さんは僕らを孫だと認識した。


「こんなところで会えるとは!」


 田島さんが僕を抱きしめる。


「僕も信じられません。おじいさん」


 そう言って僕は田島さんを抱きしめ返した。


 それから先に東京に向かった田島さんの後を追いかけて、僕は彩乃の転校手続きを行い、新しい土地へと向かった。


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