第5章 大和屋燃ゆ(8)
総司との試合から間もない日の夜。皆が寝静まる真夜中に半鐘の音が鳴り響いた。火事の合図だ。
「何?」
まだ眠けの残る頭で、傍にいる彩乃に尋ねる。あ、今の時間だとリリアかな。
「火事だよ。俊にい。大和屋だって」
「え?」
「芹沢先生がやってるみたい。『止めてください』『芹沢先生にさわるな』…知らない人と…新見さんの声だね」
リリアが耳を澄ましている。リリア、イコール彩乃もだけど、身体能力は人よりも大幅に優れている。それは筋肉だけじゃなくて、視力とか聴力もそうで、瞳が紅に染まっている今は、それをフルに活動させている証拠だ。
新見さんっていうのは、芹沢先生と行動といつも一緒にしている人だ。あんまり僕たちと接点がないけどね。
「リリア、誰かくる!」
僕は廊下の足音を聞き取って、リリアに注意した。慌ててリリアが瞳の色を元に戻す。遠くの音を聞いていたせいで、近くの音への注意が落ちていたんだろう。まあ、そういうもんだ。
「俊、彩乃さん、いますか?」
総司の声だ。僕はちらりと見て、リリアの着物がちゃんとしていることを確認すると、襖をあけた。
「ああ、いた…」
総司が安堵の表情を浮かべる。
「何かあったの?」
僕はそ知らぬ顔で聞いた。
「実は芹沢さんが大和屋にここの半数を連れて行ってしまって…」
僕は思わず目を見開いた。静かだな~って思ってたけどさ。そんなにいなかったんだ。
「ちょっと様子を見てこようかと」
「一緒に行く」
僕は総司が言葉を言い終わる前に立ち上がった。
「リ…彩乃はここにいて」
一瞬、リリアは不安そうな顔をしたけれど、黙って頷いた。
多分、リリアと彩乃では行動が違う。気づく人は違いに気づいてしまうだろう。それと、火事の現場に彼女を連れて行きたくなかった。
急いで着替えて、考えた末に刀も持って、たすきをかけて出る。
僕は数日前に善右衛門さんから聞いた話を思い出していた。でもあれは天誅組の話で、壬生浪士組がどうこう…という話じゃなかったはずだ。
総司が行く道すがら説明をしてくれた。天誅組に金を出したという話を聞いて、芹沢さんは、うちにも金を出せと、大和屋へ交渉に行ったらしい。ところが主がいないとか、適当な理由をつけて、何ももらえずに返された。
それで頭にきた芹沢さんは、大和屋にみんなを引き連れて押しかけたらしい。もちろん、その動きは近藤さん一派には知らされることはなくて、見回りしていた連中が聞きつけて、戻ってきて、それから総司が様子を見に行くことにしたらしい。
近藤さんと土方さんは対策を検討中で、部屋から出てこないとのこと。
「あ」
火が見えた。大和屋に火が放たれている。でも驚くのはそこじゃない。
火の回っていない家屋は、町人の人々に打ち壊されて、金目のものが持ち出されている。そして火消したちは、火を消そうとするけれど、鉄砲や刀をもった壬生浪士組の人たちに拒まれて、消せずにいた。
大和屋を打ち壊している町人たちは、口々に大和屋を罵っている。どうやら生糸の買占めに対して、怒りを爆発させているらしい。
総司がごくりと唾を飲む音で我に返った。
「中に人がいないか確認してくる」
総司に自分の刀を押し付け僕は走り出した。打ち壊しはどうでもいい。でも火の中に人がいるなら助けたい。だったら重いものは邪魔だ。
ついでに道端の桶の水を浴びる。街中にこういうときのためにおいてある大きな桶の水だ。季節柄、ボウフラが湧いていて汚かったけど、気にしている場合じゃなかった。




