間章 紛争地帯(12)
もう何年も誰も訪れていないような廃屋の中で、違和感で目を覚ましたのは昼過ぎだった。殺気はじゃねぇな。なんだ?
ほこりっぽい床の上に、とりあえず俺の上着を敷いてルイーズを抱いた。口先だけで、ちっともしないうちに、根をあげたあいつを腕の中に入れて眠った。
だが腕の中にあいつがいねぇ。静かで…静か過ぎて、俺は辺りを見回す。
「ルイーズ?」
がらんとした部屋の中には人影はねぇ。耳を澄ましたが呼吸音もない。慌てて起き上がって、周りを見ると手紙が一枚。
俺が現地の文字は読めないと言ったせいだろう。へったくそな英語だったが、最後の署名はルイーズだった。
なんとか解読して分かったのは、俺を仲間のところへ返すということ。それから巻き込んですまなかったという謝罪。そして感謝の言葉。
「あいつは…馬鹿かっ」
俺の裏をかくなんてやってくれるじゃねぇか。さっと身支度をして飛び出して、ルイーズの後を追う。昨晩の状況を考えれば、そう遠くへは行ってないはずだ。
ほら。見つけたぜ。俺は先を行くルイーズの前に、頭上を飛び越えて降り立った。
「きゃっ」
小さな悲鳴をあげてルイーズが立ち止まる。
「トシ…」
「トシじゃねぇよ。何やってんだ。てめぇは。俺の傍にいろって言っただろ」
ルイーズの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。泣きながら歩いてやがるなんて、本当に何やってやがるんだ。こいつは。
「だって」
「だってじゃねぇ」
「トシは…トシは…みんなのところに戻らなきゃダメだよ」
「ああん?」
「ソウジとミヤツキと…えっとアヤノとデブが待ってるよ」
「デブじゃねぇよ。デビだ」
「ごめん」
俺は盛大にため息をついた。
「おめぇ、俺の話を聞いてたか? 俺らは死なねぇ。年を取るのもゆっくりだ。だからちっとばかりあいつらを待たせたって問題ねぇんだよ」
「でも…トシはここにいたら死んじゃうかもしれない」
「死なねぇよ。俺が死ぬ確率よりも、てめぇが死ぬ確率のほうが高いだろうが」
「確率って何?」
「はぁ。てめぇのほうが死にやすいってことだ」
ルイーズが黙り込んだ。俺はルイーズの腕を引っ張って抱きしめた。
「いいからてめぇは黙ってここにいろ」
「でも」
「でも無しだ。次に言ったら、その口塞ぐぞ」
「う…うん」
本当にこいつは馬鹿だ。吸血鬼の俺の心配をしてんじゃねぇよ。泣き笑いの表情で返事をするルイーズに愛しさを感じて、そのまま唇を重ねる。暫く甘い口の中をむさぼっていたら、ルイーズが胸元を叩いてきた。
「く、苦しいっ! トシ」
「うるせぇ」
「酷いよ。『でも』って言ってないのに」
「今言った。黙ってろ」
俺はもう暫くルイーズを黙らせておいた。
足元で草が柔らかく潰れていく感触がする中を二人で歩いていく。その下はさらさらした砂地だ。
「トシって俺様だよね」
「ああん?」
「ううん。なんでもない」
「おう」
また静かになる。まるで散歩みたいだが、俺は人の気配がないか、音はしないか、全神経を使いながら歩いていた。
昼日中から瞳を紅くして能力を発揮するわけにはいかねぇからな。そのギリギリのところでやるっていうのは、意外に手間がかかりやがる。
少しばかり坂道を登って、一番上まで来ると遠目に夕暮れに包まれる町があった。東京を知っている俺からしたら小さい町だが、この国にしちゃ大きいほうだろう。米粒の大きさで、石造りのごつごつした家が立ち並んでいるのが見える。
「着いたね」
「もうちょいだがよ。俺が走れば明朝には街に入れるな」
「うん」
ルイーズが下を向く。
「おめぇ、俺を出し抜こうなんてヘンな気を起こすなよ。てめぇが逃げても何度でも見つけてやるからな」
そう脅すように言ったとたんにルイーズが笑った。
「うわー。怖いっ。トシ、私に執着してる?」
「ちげぇよっ。いいか。耳をかっぽじってよく聞け。てめぇが本気で俺のことを嫌ってるんなら、1秒で消えてやる。だがよ、そうじゃなくて遠慮してんだったら、俺は遠慮しねぇ。何度でもおめぇを捕まえるから観念して、俺の傍にいやがれ」
「トシ…」
「まったく、てめぇは。人のことを散々好きだなんだと言っておきながら、こっちが本気になれば逃げやがる。何を考えてんだ」
「だって」
「なんだよ」
「トシに待ってる人がいるって思わなかったんだもん」
「ああん?」
「トシは一人で旅してて、誰かと連絡を取るようなことも無かったし。てっきり一人ぼっちなんだと思ってたの」
「なんだそりゃ」
「それなのに、仲間がいたら…ここに留まってもらうわけにはいかないよ」
俺はルイーズの額を人差し指ではじいた。いわゆるデコピンって奴だ。当然加減はしてる。本気でやったらこいつの頭は簡単に割れるからな。
「痛いっ」
「馬鹿が遠慮してんじゃねぇぞ。言っただろうが。あいつらは何年でも何十年でも俺を待ってられるんだよ。百年なんてあっと言う間っていう連中なんだ」
「でも、トシが死んじゃったら…」
「おめぇな。俺が死ぬのが前提かよ」
「だって嫌なの。トシはこの国の人じゃない。たまたま旅行して、たまたまうちに泊まって…私に付き合って…それで死んじゃったら、トシを待つ人たちに対して、私は何もいえないよ」
必死にルイーズが言葉をつむいでいく。
「昨日、トシが仲間の話をしているとき、楽しそうだった。凄くいい人たちで、トシもその人たちのことが好きなんだった思った。だから…ダメだよ。こんなところで死んじゃ」
ルイーズの黒い瞳から、ぽろりと水滴が落ちる。俺はそっとそれを拭ってやった。
「おめぇは、本当に人に話を聞いてねぇ奴だな」
「トシ?」
「俺はおめぇを守りたいんだよ。おめぇを死なせたくねぇ。そんでもってこんなこたぁ、さっさと片付けて、俺の国におめぇを連れて帰るんだ」
ルイーズが瞬きをして俺を見る。
「だからとっとと、おめぇの同胞を難民キャンプに送りやがれ。手伝ってやっから」
「一杯いるよ?」
「この国にいる程度だろうが。大したことねぇよ」
「そ、そうだね」
「おう」
印象的な瞳が俺を見上げてくる。
「トシは私を自分の国に連れて帰るの?」
「悪いかよ」
「ううん。トシと一緒に行けるなら嬉しいよ」
「それで…おめぇが…良ければだが…そんときに気が向いたら…俺と長い時を一緒に生きてくれ」
「え?」
「そのときに気が向けば…で、いいが…人間じゃなくなるが…」
思わず口ごもれば、ルイーズが目を見開いて俺をじっと見ていた。
「トシ…それ、プロポーズ?」
「ああん?」
そう言われて、考えてみたらそんなもんだと、初めて気づく。なんてこった。俺が結婚の申し込みだ? 馬鹿言いやがれ。
「ちげぇよ。そんなんじゃねぇよ。口が滑っただけだ」
「なーんだ。びっくりした」
「おう」
ルイーズは一瞬足元に視線を落とした後で、俺を見上げてきた。
「トシ。行こうか。あの町へ」
「そうだな」
華奢な身体を抱き上げて、喋っている間に暗くなったところへ足を踏み出す。
「運んでやるから寝てろ」
腕の中でルイーズが驚いたような顔をする。
「落とさない?」
よりによって、心配はそっちかよ。
「おめぇな」
「嘘だよ。行こう」
俺たちは闇の中を駆け抜けた。




