間章 紛争地帯(10)
俺が外に気を配っている間にルイーズは缶詰を開けて、食事を済ませる。味気ないが、何も食べないよりはマシだろう。
「少し寝ておけ」
「トシは?」
「俺は大丈夫だ。何日か寝なくても大丈夫なんだよ」
「一緒に寝よう?」
「馬鹿言え。敵地のど真ん中で眠れるかよ。いいから。俺が見張りをしてる間に寝とけ」
そう言えば、やっとルイーズは横になった。疲れていたんだろう。すぐに寝息が聞こえてくる。
俺は起こさないように缶詰を机の上にあったテーブルクロスで包む。風呂敷包みって奴だ。こういうときには便利だよな。
それから警戒しつつもおれ自身も身体は弛緩させて、休憩を取った。ずっと緊張させているのは馬鹿みたいだからな。ゆるゆると窓から入ってくる太陽の位置が変わっていく。ぶんぶんと耳元を飛び回る蝿が煩い。血の匂いと肉の匂いがするからな。
「おい。起きろ」
陽が暮れたところでルイーズを起こす。夜のほうが俺ら一族の活動時間だから、身体が軽いし、全速力で走っても見られることがない。
「ん…時間?」
「ああ。行くぞ」
缶詰をルイーズに持たせ、剣を背中に背負う。そして昨日と同じように華奢な身体を横抱きに抱え込んだ。
「よしっ! 行けっ! トシっ」
「何、てめぇは勝手に命令してんだよ」
「え? なんか景気づけ?」
俺はため息をついてから、走り出した。できるだけ道路以外のところを抜けていく。
腕の中のルイーズはご機嫌だった。
ったく。分かってんのか? これは逃げながら走ってるんだぞ?
行き着く先は幸せな場所なんかじゃない。血で血を洗う地獄だ。殺し合いのど真ん中に戻るんだぞ?
…きっと俺がそんなことを言っても、ルイーズはご機嫌なままだろう。
こいつは分かっていて、やってるんだ。
どれだけ過酷な状況にいるのか、わかっていて笑える奴だ。家族を殺されて、自分もぼろぼろになって。
それでも笑えるこいつは、強い。
「トシ」
「なんだ」
「楽しいよ」
一瞬、俺は言葉に詰まった。
「馬に乗ってるみたい」
「俺は馬かよ」
「えへへ」
ルイーズは笑って、片手は缶詰を抱えたまま、片腕を俺の首に回して抱きついた。
「ずっと走っててもらいたいな」
「俺を殺す気か」
「えへ」
笑ってごまかして、ルイーズは俺の胸に顔を寄せて伏せた。まったく。こいつは。
「いいから黙ってろ」
「うん」
夜の闇の中を走る。行き先は地獄。それでも走るしかねぇ。
ふっと新撰組に居たころを思い出した。
あんときも血で血を洗う戦いだったな。俺の人生には、戦いがついて回りやがるのか?
いや、違うな。俺が選んでるんだ。戦いのある場所を。血が流れる場所を。
夜明け前。俺は林の中にある大きな木に登った。ルイーズには悪いが、木の上なら暫く休める。
「落ちるなよ。俺は暫く寝る」
「えっ? ちょ、ちょっとトシ」
「でっかい声出すな。気づかれる。ほんの数時間だ。静かにしてろ」
「ちょ、ちょっと。凄く高いんだけど…ここ。足場ないし」
「大人しく座って缶詰でも食べてろ」
俺はルイーズを枝と枝の間の比較的座りやすいところに座らせて、自分は枝の上で横になった。
ちっとばかり寝にくいが、まあいいだろう。落ちたときは落ちたときだ。
目が覚めたとき、一瞬どこにいるかわからなかった。落ちそうになって木の上にいることを思い出す。
とりあえず身体を起こしてルイーズのほうを見れば、こっちを見てる黒い瞳と目があった。
「人の寝顔を見てたのかよ」
「うん。可愛い寝顔だったよ」
「けっ。男に向かって可愛いとか言うな」
「だって…寝顔しか見るものが無かったんだもん」
「下でも見てろ」
「怖いよ」
俺は身体を起こして、ルイーズを抱き寄せる。とたんにルイーズの頬が赤くなった。これぐらい、今までだってやってるだろうに。
「なんだよ」
「えっと…言いにくいんだけど…」
「言ってみろ」
「トイレに行きたい」
そういうことか。
「飛び降りる。しっかり掴まっとけ」
ルイーズが無理やり飲み込んだ悲鳴を無視して、俺は一直線に木の上から飛び降りた。
「ト、トシ…」
「なんだよ」
「もうちょっと、降りるときには…」
「降りるって言っただろうが。いかねぇのか。便所」
俺が後ろの草むらを親指で指してやれば、ルイーズは顔を真っ赤にしてから、そこへ駆け込んでいった。
ルイーズが草むらにいる間、俺はあえて意識を他にまわして周りを警戒していた。ま、一応な。聞こえてくるもんは来るだ。そんなもん、人間なら不可抗力だ。それに真昼間だからこそ。何が起こるか分からない。
「終わったよ。トシ」
「おう」
「あ、あれ。食べられる実だよ」
ルイーズが草むらの奥の赤い実に向かって駆け出した。
「おい。待て」
ルイーズの先、草むらの影に人影が見えた。
「止まれ!」
ルイーズが振り返ったその後ろに見えたもの。それは鉈の切っ先だった。鉈を持った男がルイーズの背中に斬り付けようとしていた。




