間章 千々に乱れる(2)
「あ、他に」
また宮月くんに急かされる。思い出しかけた風景を諦めて、他にいた仲間の名前をあげる。
「他に? 伊藤さん、松原さん、武田くん、島田くんに…山崎くん…あれ? ちょっと待ってくれ」
あれ? 彼らは…。試衛館の仲間ではない。なんだったかな? ああ。そうか新撰組だ。新撰組は…。どうしただろうか。何かを私は忘れている気がした。
「他にも思い出しますか? そうだなぁ。源さんはどんな人でした? 外見は?」
ところがそれを思い出す前に、また新たな問いを宮月くんが発した。
「え? 源さん?」
問われるままに源さん…井上源三郎さんの描写をすれば、総司がほぅっと大きく息を吐いた。何だろう? 何かがおかしい…。
そう思った瞬間だった。ガチャリとドアが開いて、女の子が入ってくる。
「パパっ!」
小学生の私の娘。ひかるだ。。
小学生?
待ってくれ。小学生っていうのは…。
いや。その前に、この子はドアから入ってきた。
いや。ここは…。
ひかるが私の顔を心配そうに覗き込んでくる。
「パパッ。大丈夫っ?」
ああ。この子を心配させてはいけない。そう思って、私はひかるの頭に手を置いた。
「ひかる?」
「うん! ひかるだよっ!」
少し遅れて女性が入ってくる。隊士たちのほうを見て軽く会釈した。
「あなた…」
「美由紀…?」
ああ。妻だ。ここは…。
寝ているのはベッドだ。
天井には電灯がついていて、枕元にはテレビがあった。
そうだ。
私は…。
隊士だと思っていた人物達のほうを見れば、トシの友人たちでバーにたまに来てくれる宮月さんと沖田さん。それから…もう一人の女性、沖田さんの傍にいた女性は、多分初対面だ。バーに来たことは無い。
私が宮月さんのほうを見れば、彼が肩をすくめた。とんだ勘違いをしたらしい。
何をどう間違ったか分からないが、夢を見た。どうやら夢の中で自分は新撰組の局長になっていて、彼らを隊士にしてしまったようだ。あまりのことに申し訳なく思って、慌てて謝った。
「すみません。寝ぼけていたみたいで…」
ところが宮月さんは微笑んだ。
「いいえ。寝ぼけていたわけじゃないですよ。近藤さん。今は…家族水入らずのほうがいいと思うからお暇しますけど…。そのうちにゆっくり話しましょう」
寝ぼけていたわけじゃない…というのはどういうことだ?
あの夢は? 彼らが隊士だと思い込んでいたのは?
彼が名刺を渡してくる。名刺には彼の名前と住所、そして肩書きとして牧師という文字が入っていた。
「牧師?」
「ええ。僕、牧師なんです。何か思い出したら…いいえ。迷ったら、どうぞいらしてください」
思い出したことがある。もしもそれが正しければ、彼は…人間ではないわけだ。
それにトシ。どう見ても彼は土方歳三だった。
「あの…トシは…」
私の言葉に彼が顔を顰める。
「ちょっと彼は来られなくて…」
「そう…ですか」
一体どうしたんだろうか。出て行きかけた彼が、ふっと足を止めてこちらを振り返った。
「彩乃は…ここではあなたとは初対面ですけど、僕の妹で、総司の恋人なんです」
その言葉を聞いて、意味が分かった次の瞬間、思わず笑みがこぼれた。そうだ。総司はずっと彼女に懸想をしていた。どうやらそれが実ったらしい。総司を見れば誇らしげにしている。
「それは良かった」
総司にそう伝えれば、彼はしっかりと頷いて返事をした。
思えば思うほど、あの出会いは夢だったんじゃないかと思えてくる。
しかし手元に残った名刺は消えなかった。
その上、日に日に記憶がはっきりしてくる。
幕末の日々、彼らとの出会いと別れ。
しかし一方で、現実の生活も待っている。
あのバーでの出来事も思い出した。トシと私は襲われて、トシが殺されるんじゃないかと言うぐらいやられていた。
無事だったのだろうか?
そして私も殴られて昏倒したことを思い出した。
あの日を境に、妻と娘は我が家に戻ってきていた。
まだ身体が本調子でない私は、バーに行こうとするのを妻に止められて、日がな一日ごろごろとする生活をしている。
私の手元に残る名刺。それだけがあの日々と現実をつなぎとめている。
そしてある日尋ねてきた一人の男。スーツを着て、抜け目なさそうな表情がこちらをうかがうように見る。
話があるというので居間に通せば、あの店を売ってほしいという話だった。
「あの店は…」
私が渋っていると、男はちっとも心のこもっていない雰囲気で頭を下げてくる。
「売っていただきたいのです。相場の三倍は出しますので。我々はぜひあの場所が欲しい」
貰った名刺にあったのは、聞いたことのない会社名だった。
眉唾もので話を聞いていれば、きちんと仲介を立てて処理をするという。手数料は先方持ちだ。心配なら法律相談できるように弁護士もつける。それも先方持ち。
「そんな話、聞いたことがありません」
そう言っても、男は引き下がらなかった。
「こちらも事情がありまして。なんとしてもお願いしたい」
口調だけは丁寧だが、目つきが段々変わってくる。
「相談先は私が決めていいんですね?」
「はい。かまいません」
その返事を聞いて、私は決めた。すぐにその手のことに詳しい法律家に相談し、商談の場にも参加してもらい、問題がないというお墨付きを貰って契約書を交わした。
不思議だ。なぜあの場所が、そんなふうに売れたんだろうか…。都会の小さなバー。そんな場所に三倍もの値段がつくことが不思議だ。一体どんな利益があるのだろう。
そう考えたときに、なぜか浮かんだのは宮月くんの顔だった。
理由はない。理性的に考えたら、可能性もない。だが…なぜだろうか。裏に彼がいるような気がした。
一度…会いに行ってみようか。いつならいいだろうか。新年の挨拶としてならおかしくないかもしれない。
そんなふうに考えて、私は彼がくれた名刺の住所を指でなぞった。




