間章 記憶のかけら(2)
ふと花の香りを感じてベッドサイドを見れば、花とハーブの小さな花束が生けてある。その横にはガラスのボトルに入った血液と空のグラス。私たちにとっての命の元。
彼よ。彼が持ってきたのよ。
違うわ。きっと最初からあったのよ。
ほら。メリッサに、ミント。清涼感がある香りよ。
きっと伯母様だわ。
彼よ。彼は薬草に詳しいんですもの。
ああ。もうやめて!
私を翻弄しないで。
部屋を出て、どこへ行けばいいか分からずにふらふらと歩いていたら、ねね伯母様が現れた。
「レイラ。大丈夫? 俊哉は…あの子ったら。傍にちゃんとついてなさいって言ったのに」
「あ…目が覚めるまでは…いました」
「そう。あの子、あんなだけど、本当はいい子なのよ」
何も言えずに俯けば、伯母様の口からため息が漏れた。
「伯母様」
「何?」
「あのお部屋に…花束が…」
「花束?」
「ええ。お花とハーブの」
そのとたんに伯母様がにっこりと笑った。
「ああ。俊哉が持っていったのね。あの子、ハーブが好きというか、得意というか」
「え?」
「ハーブの薬効に興味があるみたいよ」
私はそんなこと知らなかったわ。人の心を読める力がある。でもそんなこと…読んでないわ。知らなかったわ。
彼よ。彼なのよ。
また騒ぎ出す。私の内側の声。ああ。もう!
「大丈夫?」
伯母様が心配そうに私を見ている。
「あ。はい」
「まだ少し休んでいたらいいわ。さっきのお部屋、あなたのお部屋にするつもりだったの。しばらく滞在するでしょ? きっと長旅で疲れたのよ」
伯母様の暖かい手が背中に回って、ゆっくりと押されながらさっきの部屋に戻る。
ドアを開けたとたんに感じる清涼感のある香り。
「あら。こんなものまで置いてあるわ」
伯母様の視線の先を見れば、ラベンダーのハーブティーセット。
「変なところでマメなのよね。きっと自分で栽培したラベンダーよ」
伯母様は私にウィンクすると、「おやすみなさい」と言ってドアから出ていった。
包み込むようなハーブの香り。安らぎのラベンダー。でも冷たい彼の瞳。
私はどうしたらいいか分からなくて、思わず泣き出した。
「レイラ?」
彼の声がする。目を開けば、彼の顔。
「どうしたの? 大丈夫?」
優しい声。一瞬、どこにいるかわからず…自分のフラット(アパート)だと気づいた。夢を見ていたのだわ。あれは彼と出会ったころの夢…。
私がいるのは彼の腕の中。それでも不安で、あたりを見回して確認していると、彼の温かい手が私の背中を優しく撫でる。
「落ち着いて。怖い夢でも見た? 傍にいるから。大丈夫だよ」
彼を見れば優しく微笑んでいる。温かくて、優しくて、私だけを見ている瞳。
「夢を…見たの」
「うん」
そこでちらりと彼を伺う。
「何?」
「あなたと初めて会ったときの夢」
「うっ」
私の背中を撫でていた彼の手が止まった。気まずそうな顔をしている。思わず私の中の悪戯の虫が騒ぎ出す。だって彼のこんな顔を見られるなんて、滅多にないわ。
「覚えてる?」
「えっと…殆ど忘れてる。なんか、かわいい子が来たな~って思った…と思う」
「うそつき」
「えっ」
彼がうろたえている。面白い。
「あなたがあまりに冷たくて、私、倒れたのよ」
本当は、私が混乱しただけだけれど…でも彼はそれすら覚えていなかったみたい。
「えっと…そうだっけ?」
「そう。それに『綺麗なだけの女の子なんて興味がないんだ』って言った」
「よ、よく覚えてるね」
「あまりにも冷たくて、泣きたくなったわ」
彼がほとほと困り果てた顔をする。
「…ごめん」
「嘘よ」
「え?」
「冷たかったのは本当だけど」
「うっ」
「それで倒れたわけでも、泣きたくなったわけでもないわ」
彼が私の言葉を待つように、じっと見つめてくる。




