間章 記憶のかけら(1)
---------- レイラ視点 -------------
初めてイギリスの屋敷に行ったのは、生まれて…多分50年ぐらい経ったころだった。50歳っていっても、私たちの一族と人間では年齢の感覚が違う。私たちの感覚で言えば、彼に出会ったのはとっても若いころ。ようやく大人になったばかりというぐらい。
一目見た瞬間に狂おしいくらいの感情が湧き出た。息が出来ないぐらいに苦しくて。ああ、この人だと思ったわ。会いたくて、恋しくて。この人が好き。そんな感情が次々と湧き上がってくる。
その一方で生じる戸惑い。違う…私の感情じゃない。だって初めて会うのよ。どうしてこんな感情があるの?
それなのに止まらない。
ああ。会いたかったの。愛おしいこの人に。彼に抱きしめられた感覚が肌を襲う。
違う…私の記憶じゃない。知らない。こんな感情。こんな感覚。男の人に抱きしめられたことなんて、父親や親戚ぐらいだもの。そんなのと違う感覚。直接肌に触れられたような感覚。なんなの。これは。息ができない…。
「どうも」
私の戸惑いを他所に、そっけなく彼は挨拶をした。とたんに隣にいたアルバート伯父様に頭を小突かれている。
「レディにはそんな風に挨拶をするもんじゃないよ」
母の兄。深くて耳に残るいい声なのに、私の耳に残ったのはそっけない彼の声のほうだった。彼は面白くなさそうに私を一瞥すると、ふいっと歩きだす。
「あっ」
私が声をかけようとしたけれど、聞こえていないように無視をして去ってしまった。
「ごめんなさいね。愛想がなくて」
私の沈黙は機嫌を損ねたのだと受け取って、ねね伯母様が代わりに謝る。
違うの…。彼に視線を逸らされたのが辛い。私を見てくれていた瞳が私を避ける。いつ見たの? 私を見つめていた彼の瞳を、私はいつ見たの?
私じゃない。私の記憶じゃない。
「レイラ?」
伯母様の声が耳に届く。
「顔色が悪いけれど…大丈夫?」
「レイラ?」
母が私の顔をのぞきこんでくる。
「私…」
ああ。凄く彼が好きなの。
違う。私の記憶じゃない。
彼に会いたかったの。
初対面なのに。
「レイラ?」
母の声が遠くに聞こえて、私の意識は途絶えた。
うっすらと目を開くと、彼がいた。壁紙は落ち着いたアイボリーの明るい部屋。見慣れないベッドに私は横たわっていた。その傍に彼が立っている。
「大丈夫?」
不機嫌を隠しもしない声音。身体を起こして見回して…自分が倒れたことを思い出した。
「僕のせいで倒れたらしいね。君、一族のくせして、弱すぎるんじゃない?」
初対面のはずなのに暴言を吐く彼に、唖然として私が何も言えないでいると、さらに彼が口を開く。
「父さんに母さん、君の親まで、僕を捕まえて、僕のせいだって言うんだから…はっきり言って迷惑だ」
ぱくぱくと口を開くけれど、何も出てこない。
「ちょっと人が無視したぐらいで倒れるなんて…人間だったとしてもか弱いんじゃないの? 初対面で僕に何を期待してたのさ」
「なっ」
「何? 謝って欲しいわけ。ま、別にいいけど。『ごめん』。はい。これでいい?」
口先だけの心がこもっていない謝罪。冷たい瞳が私をじっと見ている。
「何を期待してる? かわいいって言って欲しかった? 綺麗って言って欲しい? いいよ。言ってあげる。『なんて綺麗で可愛らしいいとこだろう。こんないとこをもって僕は幸せだよ』これでOK?」
思わず頬を叩こうと手を出したら、すばやく手首を掴まれた。鼻で嗤われる。
「は。僕に手を出そうなんて、100年早いよ。残念だね。悪いけど、綺麗なだけの女の子なんて興味がないんだ。ベッドでなら相手してあげてもいいけど?」
「最低」
彼は冷たい瞳のまま唇の端だけを持ち上げた。
「ありがとう。上級の褒め言葉だね」
手首が離されて、力なく落ちていく。
こんな奴…嫌いよっ! そう思うのに、脳裏をよぎるのは寂しそうな彼の瞳。目の前の冷たい表情とは打って変わったように優しく微笑む彼の顔。違う。
私は見ていない…こんなもの。それなのに、なぜ、頭の中に映るの?
「何? 僕の顔に何かついてる?」
「べ…別に」
「そう。じゃ、目も覚めたし、もういいよね? 僕は行くから」
彼はさっさと立ち上がってドアの向こうへ出て行ってしまった。
思わず泣きたくなる。
嫌い。
好き。
嫌いよ。酷い人だわ。
好き。優しいのよ。寂しい人なの。
いやよ。あんな人、私の好みじゃない。
好き。大好き。
頭の中が混乱して一杯になった。




